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2019年04月19日
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カテゴリ:富士山資料室

富士吉田市史」資料編第三巻 近世1

第四節 富士山噴火(読み下し)

富士山焼出しの事  宝永四年(一七〇七)

 

ころは宝永四丁亥年十月四日昼の九つに大地震、冨士山麓表口駿州大宮町之民屋は残さず潰れる、その後地震日々止まず。

月ヲ越霜月(11月)十日頃より冨士山麓一日の内二三度づゝ、鳴動する事甚し。

十一月廿二目夜地震之する事及三拾度、三日之明六つに大地震、女人子供は慌てゝ倒れる者その数おびただしく、然れども死するものは一人も無御座候。

同朝五つに大地震、鳴動する事車の輪の如き轟(トドロク)くして、富士の麓駿州平野村の上木山与砂山との境より煙うずまき立登り、その音雷のようにして民屋もたちまち潰れるように動く故、一人も家に居ることができなかった。

夜に入り、渦巻きのように立ち上った煙は火炎となり空に立のぼり、そのうち鞠のような白いものと、火玉が天を突抜く如にして、上ヵまことおびただしく、昼のように輝き、吹出る煙り東人押払い、雲の内にて鳴動事如雷天地に響き、たちまち落事を思い、火元より雲先まで、火気の行事稲妻のようにして、夜には徴塵も見えず、その昼よりしげく輝く。

その昔桓武天皇御字延暦十九年不二山は自ら焼けて山河水紅なり、昼は暗くして夜は輝く、その音雷のごとく、銭を以って求録事不得と有、今以ってその説に疑いは無い。

須走村を始め御厨(ミクリヤ)領、廿三日の昼五つ時より暗くして、昼夜の分別は知れない。始めには白き灰が降り、次に白き色にして塩石のごとく大きな石が降る。

その内に火気を含み、落ちては則火災と焼満ち、廿三目昼の七つに須走村禰宜(ネギ)大和の家に火之玉が落ち忽ち炎焼する、須走村の者、石の降るのを凌ぎ、立ち騒ぐところに、夜の九つにまた村の内へ火石が落ち、何も残さず須走村は焼払う。

廿三日より廿七日迄五目之内砂之ふる事須走村壱丈余、下は御殿場むら仁杉村を切り、東は足軽山御厨領砂の降る事、或は三尺、或は四尺ばかりずつ降り積り、谷河は埋まり、平地となり、竹木は色を変じて枯山となり、人の之住むべき様もなし。

廿七目之夜中より煙の出る事日々薄くして、月を越し十二月八目の晩に、又前記のようにおびただしく焼上りて動かず。

その夜半頃より、何やら二度火元より東海面へはね満ちると人は皆聞く。

九日の朝自煙り鎮まり、

十目の朝雪降り、雲が晴れて、御山あらはる。

石焼出し所より須走村の上にかゝり、富士山麓に火成宝珠のごとく新山出る。

誠に吉田ロは元より神職浅間へ守護深きゆえ、須走村堺の加古坂(籠坂)を切り、下は上の原堺を切り、郡内領之内少も煙も不掛、殊に砂の不満事一所もなし、折々煙りたなびくといへども、西風が起きて吹払い、片時も暗事不得して、且那場へ出さる御師は廿三目より浅間御宝前に参籠して、

日々御山御安全・天下泰平・国土安穏・諸旦那長栄之御祈祷抽(ヌキンシ)丹誠、煙リ鎮まで御宮に集って、祈者や何も且那中為知せ之、又ハ後記しため、斯くの如くに御座候。

以上宝永四年亥十二月也 伏見忠兵衛(山口由富家文書)






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最終更新日  2021年04月25日 08時50分48秒
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