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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月24日
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〇 吉保就奢侈(しゃし)雑説 【奢侈 度を過ぎてぜいたくなこと】
世の浮説は難用と雖も、其の頃専ら申ふらせしは、吉保養女の腹に公胤出来させ給しにより、倍々暴悪募り、西の丸を廃し奉り、幼君を立て、其の身は天下の後見と成んの謀略の外他事なし、先づ其の逆謀の権輿(けんよ)【事の始まり】は、北丸御造営を催し、是へ公を御隠居なさしめ、一且家宣公へ御政事を譲らせ奉り、北丸御普請成就せざる内は、公を白山御殿に置き奉り、折を見合せ御上洛を催し其の身も供奉(ぐぶ)【お供】して、花落御遊覧に月日を移し、その間に家家宣公を讒(ざん)し、御帰府の砌、駿府城にて御滞留、駿府より上使を以て、家宣公御儀御心に協はせられず、因茲柳営の御職を可被辞旨厳命な演達し、若し異儀に及せ給はゞ駿府より討手を向られ、御父子の御鉾楯を企ん、素より家宣公は仁義を宗とし給ふ大将なれば、此巌旨賜わり候はゞ、速に退給うべし、然らば北之丸へ押籠奉り、其の身幼君を補佐して、遠くは北條時政、近くは神組の秀頼公を輔し給う如く、天下の執柄(しっぺい)【政治上の権力を握ること】と成んの巧なり、斯る大望有れば、先づ甲斐駿河両国の境の山を切抜き間道を付んと欲す、又米田新八(後伴内)と云ふ、射をよくする者を召抱え、
私曰く、柳澤家新家の事なれば迫々諸士を召抱らる、天下の諸浪士是を聞侍て、常時発輿の家柄、其の上頓て壱百萬石拝領と沙汰有る故、歴々由緒の者或は武芸に名有る者共は、彼家に陪仕せん事を庶幾(しょき)【心から願うこと】して、我も我もと手筋を以て申込み抱られける程に新家とは云ながら、家中の諸士は由緒正く故有る者共多しとぞ、
京師三十三間堂にて大矢数(おおやかず)【通し矢】を張行(ちょうぎょう)【容赦なく事を行うこと】させ、総一の望と称して数度の矢数に夥(おびただし)く弓矢を拵(こしらえ)させ、此紛れに軍用の弓矢を多く拵え、また殺生禁断により、世上の獵筒無用の由にて、悉く鉄炮を取り上げ、其の外何角(なにか)に事寄せて、武器を揃て、手立を以て甲府へ取込み、或は馬の鬣(たてがみ)を切らぬ法を立て兼ねて令し置き、荷馬に紛せて軍馬を数多く領国へ牽入れ、東海道、吉田・岡崎・勢田の橋等、倹約に事寄せ船渡とし、木曾の梯・猿橋等を皆刎ぎ落し、佐渡の米蔵には荻原近江守に申し含めて、夥しく米を積入、是甲州通路自在の国なるを以てなり、如是類一々挙げるに不遑(ふこう)【余りにも多すぎて】、實にも世にひそめくも理とぞ聞こえける、
 私曰く、此本文に記する類は、世説にも遣りて、余も聞傳わる處也、左無き事だに事々敷云立るは世の習ひなるに、況や斯程の事に於いてをや、雑記區々(まちまち)たるは理ぞかし、其の内は内一二を捨てゝこゝに載せる。
 
○ 井伊掃部頭直興、吉保の所行を怪しみ、岩間兵左衛門と云軍者を間者に入置き、萬事掃部頭へ通すと。
〇 北之丸に於いて無礼講の事。
〇 御城妖怪の事
〇 護持院、酒井雅柴頭を賺(すか)す事【だます】、或は雅柴頭忠挙、吉保が連判状を奪って焼棄てたる事など書かれたれ共、雅楽頭女を甲斐守吉里へ縁を組れたれば、吉保と不和の説は非ざるか。
○ 護持院が家宣公なし呪詛(じゅそ)【のろうこと】、或は毒を以て家宣公を饗し奉るに、御家臣根津宇左衛門の子宇八郎が忠死により、此害を遁れ給うと。
○ 井伊直興を五十萬石に被成、西国へ所替え被仰付しを、直輿神組の仰を述て、固辞せられ共、其の後大老職御免と。
〇 藤堂和泉守は徒党の筆頭たる故に、露顕を怖れて自殺すと。
 
右之類其の外色々の詮を厳めしく書たれ共、みな虚贉成るべし、或は少き似寄たる事を文筆を添て書しと見えたり、吉保護持院合体して事を成す様に記せども、一説には両雄相争う習いにて右の両人は不和なりし共云えり、
不知實否、各設棄之、

〇 宝永落書
天よりはすなほに降れと降らせども人は汚れて泥棒となる
六つとや むごく運上とられたる 
諸国の民は 楽を待つ人は謂う 
竹は六月 木は六月 美濃(吉保)が腹は今が切りどき
茂りたる 
柳を松に植かへて 奢つくすも みの(美濃)終かな

 
〇 鹿島大明神御神託
有がたくも、鹿島大明神御神託のそのふ、天照大納言御ざり申(もうす)ぞ.年々の困窮は、美濃(柳沢吉保ほこり、荻原(重秀)、稲(稲垣重富)といふ厄神の仕業で御座る。先、上の胸中に移し、大名′小普請手伝の病をはやら
せ、夫れのみならず押領の高登ぼせんと、砂をふらせて【富士山火山】石弐両の薬代を出させ、明百姓に運上の風を吹かせ、借金の淵に沈めんと御座あらざれ共、黄金の光強き事、心に任せんとの道理を思ひ、外道の言付で金銀に銅を病せて、大切な折小判となし、年々に金銀失せ事数知らず。
 これは、柳沢吉保や萩原重秀ら疫病神が綱吉を惑わし、大名等に煩雑に御普詣御手伝い役を課し、富士山宝永噴火に事寄せて、富上山噴火後、砂除けの為と称して諸国から石高百石につき、金二両の「薬代」、すなわち高役金を徴収、民百姓を苦しめたと批判している。また金銀の質を落として益金(出目)を上げた貨幣改鋳も槍玉に挙げている。そして、人々は家宣の登場を歓迎している。
  有り難くも天照大納言(家宣)、間部大明神(詮房、あきふさ)松前大菩薩(嘉広)顕われたまひ、先大銭をからめて、蔵へ入れなさって御座ある。諸厄神(柳沢吉保等)には法を使い勘定を言いつけ、閉門休足、犬同前に宿無しに成る事御座ある。是からはいよいよ国土安全こまごま成就、借金の病なく、民繁盛と御座あり申す。
 家宣を天照大神に見立て、間部や松前など家宣側近を取り上げ、「生類憐み令」を廃し、吉保を退け、悪評の宝永大銭の鋳造停止した。これは当時の世人の家宣に掛ける期待が滲み出ていて、さらに、鶴(綱吉)は飛び 亀の甲府(家宣)の御代なれば 宝永宝永と 民は喜ぶ しかし家綱は正徳二年に薨去し、子の家継が七歳で七代将軍となった。果たして民の喜ぶ政治になったのか。  









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最終更新日  2021年04月24日 06時40分15秒
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