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2022年03月11日
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柳沢吉保(松平美濃守)吉里『兜嵩雑記(とんがざっき)乾』
宝永四年(1707)二月十九日より同六己賃年迄五年之間、
松平美濃守吉保卿御知行所と成り、
さて此美濃守殿と申は、元来其古しへ先祖は武川十二騎之内、
柳澤三左衛門とて知行貳百石敢納被成りし人の末葉也、
此美濃守殿始は柳澤太郎左衛門と名乗しか、
其後追々に出世有て大名と琥給ひ柳澤出羽守と號す、
間もなく美濃守と改、常時五代将軍綱吉公御治世の程は、
殿中に勤仕し、たれか上を越者無し、
天下の大老として壹人之師範たり、武州河越之械主と號し、
七萬石を領し、亦々松平之姓を被下、
剰悉も御諱名之被下加之、『従四位少将松平美濃守源朝臣吉保』と改、甲斐國三郡之御朱印封し被下ける、其文曰く
 
  甲斐國者要樞之地而一門之歴々雖領来依真忠勤
  今度山梨・八代・巨摩之三郡一圓宛行之爲
  先祖舊地永領知之仍如件
     宝永二乙酉四月廿八日    御朱印
               松平甲斐守とのへ
右之御朱印頂戴有、誠に前生如何成る善因を結置給ふらん、
天下の四民浦山さるはなかりける、
宝永六年、松平美濃守吉保隠居御願有、
御家督は松平甲斐守殿え相続無相違、
益々大君の御前宜敷有けれは、下萬民に至迄
  千代に八千代に細石(さざれいし)の、
     岩音鳴りて苔のむす迄
と悦ひ勇み、踊り上りてよろこひけり、
同年五月六日美濃守御嫡男、
『従四位下侍従兼松平甲斐守源吉里公』
始めて御入郡御座ける、
御知行先規に不替、拾五萬三千予石也、
  柳沢時代 甲府の街
扨御城内御普請美濃守殿御代より御郭内外御普請有といへ共、
別て隣国他國より馳集る諸職人美を盡し、
御城内には八数の館を建て
 御楽屋、比沙門堂、稲荷堂、學文所、公文所、政所、
 臺所、贅殿、局部屋、四阿屋、御書院に続て禮堂、
 特佛堂、政所、櫓に至迄中々筆頭に盡かたく、
 庭前泉水の石、築山之遺水、蔵文庫、東西に鞠之場を構え、
 四掛りを植え、見附御門、二之郭十五カ所、
 其内には諸大将、物頭並び諸侍之部屋迄印に不及、
 土手より外は、先東之方は籠舎町、此所は町方の組、
 足軽衆、長禅寺には御目附、与力、
 元樹木には御歩行、御料理方、御能組、役者、
 南は教安寺表門深町、蔵田村之組合、輿力、足軽也、
 さて廿人町は城代組之足軽、表佐渡町、裏佐渡町、代官町、
 樹木町是等は地方御代官、物頭、西は穴切明神、弓手、
 右手此所には御川除方、代官村之地方、与力、同心、田町、
 百石町、小砂町、上下相川、横澤、是には近習取次、
 北は小納戸小路、八幡之宮近邊、元紺屋町、竪町、元三日町、
 鹽部村、増山町、相原、御崎町、醤油町、岩窪村、元館、
 下之丸に至迄数万軒の御家中、
 竪小路、横小路、棟々棟門に門を並へ、
作り並へし有様は是そ甲府の花盛り、時を得たりと見へにけり、
君々たれは臣々たり、上を敬下を撫、
誠に目出度御代琥と萬民萬歳を唱る。
 
柳澤吉保 甲斐 龍華山草創之事
そもそも此龍華山と申寺は、故美濃守吉保殿御願として、
山梨郡岩窪村に一宇を御建立有、則寺號龍華山永慶寺と號し、
山城國宇治の里、黄檗山高副寺之先住悦峯禅師を請待し、
當山の開山と敬ひけり、是渡唐名僧なり、
是より君を始奉り諧士島民に至る迄、晝夜之警語引もきらす、
堂上堂下之御作事宇治之里萬副寺之圖を以て、七堂伽藍建並へ、
加旃之殿堂蔓を並へ、楼門高聳其風景郡懸に冠たり、
去れは堂内之諸佛諧菩薩は暉光を輝し、所謂唐佛也、
荘戴珠玉鏤(ちりばめ)誠に殊勝の霊場也、
毎に毎年七月十五日、聖霊の供養として大施餓鬼之御法事、
日中より八ツ時迄、諧僧数多にて各々回向有けれは、
見聞の貴賤難有事感涙肝に命じけり、
扨正徳五乙未十一月二日、美濃守吉保殿逝去ましましける依て、
尊骸を江戸屋舗より御引取有之、
則御菩提所岩窪龍華山に奉葬、
御法就は、
『永慶寺殿前濃州太守甲鉏御羽林次将保山大居士』
誠に此殿は一生之内、繊(わずか)の知行より段々官録益り、
甲斐少将迄に昇り給ひし事、前代如何成善道を積置給ふらん、
アゝ、世の人の身の上斗り難し、行すゑ不思儀なりし事共なり、
 豊臣秀吉のこと
去は是をむかしに譬へれは、
前関白秀吉公は尾州の土民筑阿彌入道か子にして、
始の程は隣村の寺に居て小沙彌と戌しか共、是も不遂追出され、
夫より人の世話をもって奉公に出る事何軒と云数を知らず、
後遠州之浪人松下嘉兵次と云し武士の所に奉公に出しが、
爰に始て二三年も働けるか、
或時金五両を預り織田信長の城下へ具足誂に来られしか、
彼の預りし金にてふと信長へ奉公之望起り、
主人の誂(あつらえ)の鎧は不調、己か身の挊(はたらき)に事寄、
乞食同前に形振を拵へ、信長狩野の時を見澄し御目近く罷出平伏しける、其時信長其方名は何と申そと御間ひ被枕けれは、
筑阿彌か子にして名もなき由申上ける、然は小筑と申昔とて、夫
より馬屋之用事杯勤、
叉或時は殿御覧被成る小筑は「去」とは「猿」に似たり、
今より猿と呼へしとて、夫より猿々とそ召れける、
然るに用向の勤誠に實躰にして、物毎人之致より利口に出来しけれは、次第に立身いたし、木下藤吉邱と成り、
間もなく播州姫路之城代と成り給い、羽柴筑前守秀吉と名乗り
大名と成り給ひ、終始太政大臣開白秀吉卿と敬せられ、
天下を常に握りて朝鮮迄も切隨へ、
異國迄も其名高く聞へさせ給ひ、御逝去之後、
「豊國大明神」と贈官仕奉る事、前代未聞の事也、
是はむかし事、
今美濃守入道保山居士(吉保)も只ならぬ不思儀の人也、
扨叉開白秀吉公高位に昇進し天下を治給ひし時
  
落 首 
  木の下に捨る乞食もすへを見よ
     さる関白を見るにつけても





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最終更新日  2022年03月11日 09時30分03秒
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