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2019年04月26日
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カテゴリ:甲斐武田資料室

天文 八年 1539【甲陽軍艦】《信虎-45歳・信玄18歳》

 

●天文八年正月元日の日。右の亥の年の間じゅう、

晴信公のご行跡が乱れ果てていたことは、当時ご奉公していた人びとも、

これを残らず申し立てることはできないほどであったという。云々(本文参照)

天文 八年 1539【高白】

○正月、大。

○大持人足鎮目沢尻万力鳥居笠木知野宮ニテ伐。

天文 八年 1539 6月【甲陽軍艦】

●(略)信州方は、甲信両国の国境に砦を構え、

やがては甲州へ侵入しようとの準備を整えて、

村上義清勢は、若神子筋の境、諏訪勢は台ケ原筋へと、

それぞれ千四、五百ずつの軍勢を向けてきた。

●晴信公の側からは、若神子(須玉)筋には、飯富兵部が八百騎を率いて進撃し、

村上勢と対戦諏訪地方には板垣信方がこれも七百騎で出撃した。

●六月二十日辰の刻、飯富兵部の軍を防戦に勝利し、村上勢の雑兵九十七人を討ち取った。

これは念場、野辺山(高根町)という場所でのことである。

●また板垣信方は、同月二十三日巳の刻(午前十時)、

蔦木(富士見町)において防戦に成功、諏訪勢の雑兵百十五人を討ち取った。云々

天文 八年 1539【妙法】

※此年も未だ両国取相不止然秋世中半分。

○此年、導者に下吉田にて附候。法花堂には鬮を取宿を取被申候。在所六ヶ所鋪御座候

而、民も喜申候。

○此年。極月十五日に大風吹候而、大水出て候。

天文 八年 1539 10月【妙法】

※此年十月、小林刑部左衛門殿、松山を御立て候。大原富貴。此方はけかちと見候。

天文 八年 1539 11月 1日【甲陽軍艦】

●(略)晴信公は、そこではじめて心づかれ、板垣信方をご寝所につれて行き、

涙を流して誓紙を入れられ、それまでの無軌道をお直しなった。

●晴信公が十九歳の御時のことである。当時、晴信公がお作りになった詩、

二十首ほどを本になさり、京都の高僧が序文を書かれたものが残されている。(品第十九)

●此年、武田信虎、甲斐大井俣窪八幡社を造立し、

総門前の石橋を高遠石工北原茂右衛門が造る。【長野】

 

 

天文 九年 1540【高白】《信虎-47歳・信玄20歳》

 

○正月大。春夏大疫人多死。

天文 九年 1540【王代】

○命禄と伊豆暦ニスル也。八幡宮鳥居二月廿七日河畔ニ始立。

八月十一日申時ヨリ大風、河原明神社大木打散ス。

天文 九年 1540【妙法】

○此年、春賣買安し。殊更大麦分十に越候。賣買六升、小麦二升五合買申候。

○五月、六月大雨降世中さんさんに候處、

又八月十一日の暮程に大風吹候而、亥刻迄三時吹申候。

大海端は皆浪に引れ、山家は大木に打破られ、堂寺宮悉く吹たふし候。

地下に家は千に一寓に一御座候。鳥獣皆死申候。世間の大木は一本も無御座候。

去程に世の中の事申に不及候。殊の外物一向無御座候。

浄泉寺も吹たふし申候。諏訪方の鳥居をも吹たふし申候。諏訪の松をは一萬本計と承候。

天文 九年 1540  4月【武川/塩山】

●信虎が板垣信方に命じて信州佐久郡に侵入し、

臼田、入沢両城のほか、数十の城を陥れ、前山城を築いて布陣する。

天文 九年 1540  5月【長野】

●武田信虎、佐久郡に攻め入り、臼田・入沢両城をはじめ数十の城を落とし、前山城に布陣する。

●七月、諏訪頼重、信虎と結び小県郡長窪城を占拠する。

天文 九年 1540  8月 2【武川/津金】

●信虎が佐久郡の占領地に伝馬制を布く。

●武田信虎、佐久郡海之口郷に伝馬制をしき、

竜朱印の手形携行者以外に伝馬を出すことを禁じる。【長野】

天文 九年 1540  9月【妙法】

●此年、九月より武田殿信州へ取懸被食候。

去程に弓矢に切勝被食候而、一日に城を三十六落し被申候と聞え候。

去共佐久郡と申候を御手に入候。

※小山田殿と小林宮内助殿一城をかまへ候。

去間此方寄子近付陣立しげく候而、皆々迷惑いたし候。

○此年、七月御本寺へ参詣申候而、坊号を賜(【武田】輝)候。

人数千人計に而候。殊大石より寺を買い候而本寺当寺立て申候。

●此年、武田殿御息心、信州諏訪殿御前に御なほり候。

◎此年、鎌倉若宮八幡御遷宮。

天文 九年 1540 11月 8日【妙法】

○此年、霜月八日猿橋掛り申候。

天文 九年 1540 11月15日【妙法】

◎霜月十五日、伊勢新九郎殿氏縄の御本願と申傳之候。殊雪ふらず。

天文 九年 1540 11月29日【武川/御頭】

●信虎の息女祢祢が諏訪頼重に嫁す。

●この頃、信虎、娘等を彌津神平・海野某らに嫁がせる。【長野】

 






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最終更新日  2021年04月23日 19時35分17秒
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