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2019年04月29日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
田勝頼に見捨てられた幼君の顛末

 二つの(芍薬)シャクヤク塚 

 天正十年三月九日のこと、新府城を焼いて石和の宿まで落ちてきた勝頼主従の隊列にまじって、乳母に抱かれた幼児の姿が痛々しく人々の目に映った。これが勝頼あるいは一子信勝側妾の子とはっきりしない幼君だが、これからのべるシャクヤク塚の碑文通りに受け止めると勝頼側妾の男子とみるべきだろう。
 さて石和の宿半ばにして勝頼は馬上で幼君の泣き声を耳にして馬を留めた。乳母の懐に抱かれた幼君は腹でもすいているのか、火のついたように泣きじゃくって容易に泣き声は止まらなかった。名門武田の最後が迫り、打ちひしがれた将兵の中にあって、乳母は早くなだめようとすれば、かえって自分の方が泣けてくる始末だった。
 勝頼はしばらくその憐れな様子をみていたが、はたと思いつくことがあって、鎮目の臣渡辺加兵衛久郡を馬前に呼んだ。
「加兵衛に頼みがある」
「へ、へいわたくしめにできますことならなんなりと」
加兵衛は頭をたれて一礼した。
「いましきりにすねておるその子をみてふびんでならぬ。いずれは勝板の子として首討たれるやもしれぬが、その間なりとも育ててはくれぬか」
「へ、へいお言葉とあればこの加兵衛、命にかけてもお守りいたしまするが、おん殿の大事をまえに、加兵衛ここより袖わくるはうしろ髪ひかれる思いにて無念に存じまする」 
「その心づかい無用じゃ。勝頼の男子を恙なく育てかくまうことも大事ぞ、兄弟うち揃うて決戦まじうる所
存にてその子の行末しかとたのんだぞ」
 ということで、加兵衛は弟二人とともに幼君を守ってこっそりと鎮目の屋敷にもどった。
 口伝によると、加兵衛のあずかった勝頼の男子は、まもなく三日三晩泣きあかしてのち急死してしまったということである。三日目というと三月十一日、折しも勝頼主従はいさぎよく戦って、ことごとく田野において討死自刃した日である。
 現在この幼君を葬ったといういわれの、シャクヤク嫁が一つある。一つは石和北小の西側橋のたもとにある某氏宅の田の中に、五輪の頭だけをのこす古い石塚と、石和北小東側を南に少し入った突き当りの中村起雄氏宅の宅地内に、謂れの判読できる墓碑である。いずれもシャクヤクの花が植えてある。土地の人たちは昔から、「シクヤク姫の塚」といっているが、碑の正面に戒名は「武性院殿斉理周哲大童子」とある以上明らかに男子で、武将のような身分の高い子供に与えられたものである。さらに五輪塔といえば名のある武将でないと建てられなかった点で、これも勝頼が匿わせた幼君と判じて誤りはあるまい。
 よく討死した総大将の墓は五輪塔(密教に由来し、地、水、火、風、空の五大をあらわし四角、円、三角、半円、如意形の五輪の積石には一字ずつ梵字が刻まれているものが多い)で、それをとりまく家臣の墓は宝筐印塔という四角ばった宝塔であることに気づかれるとおりだ。
 棒氏宅の墓碑銘をみると、建立は文化四年(一八〇七)八月とあるから一六〇年程前のものだが某氏宅の塚は四百年の風雪を経ていることがよくわかる。
 碑文は漢書で刻んであるので分かり易く述べると次のようになる。
 
天正十年壬午、武田氏が滅んだとき、その臣渡辺加兵衛久衛は一族を率いて主君勝頼のあとを慕い追う。主君の子、二歳を鎮目に逃してこれを匿い、その成長を願った、その子は翌天正十一年三月に早死してしまった。そ
してその子を某氏の別荘に葬り、石をもって祀り、そこにシャクヤクの花を植えた。その後久しくこの墓を守っ
ていたが某家は産を失い別荘をおいて他へ居を移した。この墓の中の宝器でも目当てか、墓はその後の天明年間に盗まれて荒廃が久しくつづいたが、渡辺孫太郎兵衛の代にいたって志をおなじくする兄弟縁者集がまってここに墓碑を再建した云々)
とある。
 墓碑面の東側には、建立した者の姓名が、渡辺太郎兵衛を筆頭に五名刻まれて文化の年号でおわっている。
 渡辺家はむかしから「一丁田の郷士渡辺太郎左衛門」といわれて本家は鋲目近在の豪農といわれている。
 渡辺加兵衛久郡がわが身のため幼君を始末してしまったと考えられるのは、武田滅亡とともに久郡は大久保長安の伊豆銀山へ召し抱えられ、その子に至って長安事件で浪人したと甲斐国志にでている以上、忠臣のうちには入らない。
 





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最終更新日  2021年04月23日 06時00分50秒
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