**俳諧「古池や」の句(『三養雑記』山崎美成著 天保十年)
「池」を「いけ」といふは「為活」の儀なるべし。魚鳥を活けておく所也。古書に、園池とつゞけていへるは、園は菜類を植る所、池は魚鳥を畜ふる所なれば也。火をいけておくといふも、消ざるやうにしておく事也。芋大根をいけておくといふも、腐ざるやうにしておくとと也。彼芭蕉翁の「古池や蛙飛こむ水の音」といへる句は、我友石雲法師宅の跡を見て、懐古の情をのべたる句也といへり。此説、池といふによくかなひておもしろし。昔何がし此所に在て、人多く住めりし時は歌舞の声も絶えざりしが、今は只此池のみ其の跡とて残りたるに、それもかき拂ふ人なければ、草おひ茂りて、いたく荒れたるに、只蛙の飛びこむ音ばかりする也といへる、懐古の情言外に溢たり。さるは古池といへるにて、廃宅の跡年経たる事を知らせ、又池といへるにて、賤しき人にてはあらざりしさまをおもはせたり。彼唐詩に、只今惟有鷊(?)鴣飛。といへるに同じ意なり。かれは越王勾踐破呉帰。義士遷家盡綿衣。官女如花満春殿。とあらはにいひたてたるを、是は只池とばかりいへるにて、その人不レ賤(いやしからず)して、富饒たりしとおもはれ、さて古池やといへるやの一聲にて、その昔を恋ふれども、過しことのかへらざる歎、深く聞ゆるぞかし。比和、世に称するもうべなるかな。