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2019年05月01日
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カテゴリ:食べ物 飲み物

醸造法の変遷 古代から奈良朝

 

『日本の酒』 住江金之氏著 河出書房新社 昭和37年刊 (一部加筆)

 

「古事記」

応神天皇の朝、奏造(はたのみやつこ)の祖漢直(あやのあたえ)の祖とともに、

酒造技術者仁番(にほ)またの名「須須許理 すずこり」が来朝したと書いてあり、

「日本書紀」には仁徳天皇の朝に

醸酒を知る人曾曾保利(そそほり)兄弟が来朝したと記して

 

応神天皇の歌に、

   

すゞこりがかみし御酒に我酔ひにけり

     事無酒笑酒(ことなぐしえぐし)に我酔ひにけり

 

 とある。

すずこりは秦氏とともに来朝しているので、たぶん支那人と思われる。

支那ではすでに周時代からカビの使用が記されているので、

多分支那の法が伝わって、

しかもこれまでよりも格段とよい酒であったことは、

すずこりが宮中造酒司(みきのつかさ)の主任となり、

酒殿神としてまつられるに至ったことで推察される。

 しかし、ここに重大な問題は、

現在、中国・朝鮮の法とわが国の法とくらべてみると、

 

わが国では米が粒々に離れているバラ麹(こうじ)で、菌種は麹カビであるのに、

いずれも大陸では麦または麦粉で団子状または煉瓦状に固めた麹が普通で、

菌種は麹または、蜘蛛の巣カビで、まったくわが国のと異っている。

この相違は学術上からみると大変な違いである。

支那の古代文化は米に乏しい北支で発達したので、

麦で造るが普通だったと思われるが、

麹には米字も含沁吻で米入りの麹もあったに相違ない。

山崎百治博士によれば、

麦で造る餅状の麹が岫で米のバラ麹が蘗(こうじ)であるいう。

菌の種類は判明しないが、支那麹のなかにも麹カビを主とする麹があるので、

多分は麹カビをつけた蘗(こうじ)が伝わったのであろう。

わが国平安朝時代、宮中の酒の原料に蘗(こうじ)字が記してある。

 

大嘗会(だいじょうえ)に使用される白酒黒酒は神代の酒であると一般に信ぜられている。

毎年神嘗祭(かんなめさい)用として東京台東区の加鳥屋が醸造している。

現在、毎年の神嘗祭用には十一月初めに仕込む。

  麹二介五合乃至三升、

蒸米三斗、

水三斗三升。

 麹の割合がとくに少ない。また現代のような三段掛法でなく、

酛(もと)段だけであることと菩提酛式を採用している。

水と米の割合は現代の法と大差がない。

 桶に仕込みおくと三日で米粒梢浮き、

良い香が出るころ、京にあけて汁と米粒を分ける。

紺彫(各段二升五合入)です。この際必ず松薪を用いることになっている。

 

『日本の酒』 住江金之氏著 河出書房新社 昭和37年刊 (一部加筆)

 

伊勢神路山の杉で造った杉桶(径二尺三寸、高四尺)に前記の汁と蒸した物とを入れる。

室温華氏六十二~六十三度、初めの三日間は暖気樽を入れて暖める。

三日くらいで暖気樽を抜く。

この間漸次発酵が進み、泡立ち四~五寸の高泡となり、

八日くらいで発酵が衰え落泡となる。

全発酵期間は二十一曰くらいで、

これを目の荒い布袋(豆腐用の袋程度)に入れて手押で濾(こ)す。

これは毎年神嘗祭の時のやり方で、

大嘗会の時は仕込量も多いので酒槽(さかぶね)を用い、

中に扉を入れた荒目の袋を積み、

男柱を立て旧式の槙棒球で石掛でしぼる。

従って、この白酒は米粒を去っただけで白濁している。

手押しの粕は十分搾りがきかないので相当に酒を含んでいる。

 黒酒には「くさき」の灰を入れるが、

この灰の製法は、壹の中に「くさき」を入れ藁火(わらび)で焼いたものである。

 加島屋の白酒黒酒(しろきくろき)は、たしかに古い方式であるが、

平安朝時代に行なわれた仕込み法とはだいぶ異なっている。

「延喜式」によれば、

米七斗一升四合、

蘗(こうじ)二斗八升六合、水五斗

を甕(かめ)に分け、十月上旬に仕込み十日間に熟成する。

熟成後久佐岐(くさき)の灰三升を加えたのを黒酒とする。

酒は白黒各一斗七升八合を得る。

 これでみると、水量が著しく少ないことと、

水量にくらべて酒の出来高もかなり少ないことがわかる。

 

原料米(米と麹)一石にたいし酒三斗五升六合。

 原料米一石にたいし酒七斗一升二合。

 

普通、白酒黒酒は神代酒で濁酒のように思われているが、

濁酒であれば酒の量は米の量よりも水の量よりも多くなければならぬ。

ところが、そのいずれよりも少ないところをみると、

濁酒ではなく米粒を除いたものに相違ない。

製成酒の量が仕込水に比べて著しく少ないところをみると圧搾したと思えない。

 

[延喜式]

当時宮中で造られたほかの酒のことも記してある。

他の酒の項に酒垂袋が載っているが、

白酒黒酒用具としては、酒袋に相当するものはない。

籮(いかき)と志多美(したみ)は一種の笊(ざる)である。

酒壷として甅甕など種々の器がある。

酒槽の用法は明らかでないが、

多分このうえに籮(いかき)または志多美をおいて醪(もろみ)を注ぎ、

垂れる汁を分けたのであろう。

古墳

古墳から発掘されるものに石の酒槽がある。

当時木造または石造でこの形状をした大形の酒槽が使用されていたと思われる。

奈良県飛島村に酒槽石というのが残っている。

多分はこの円形の凹所に笊をおいて醪を濾し、

溝を流れて途中に浮造物を沈澱して白濁程度の酒となったのであろう。

 

醪から粗大な粕を去り、汁を分けることは原始的操作であるから、

古代でも容易に考えつかれることで、上流階層に行なわれたに相違ない。

石器時代の出土品には(「瓦泉」 はぞう)という酒器がある。

以前から酒瓶と考えられていたが、

女がこれを捧持する埴輪が発見されたので、

たしかにそうであると確認された。

この瓶には横に孔があって、この孔に竹管をつけて酒をつぐのである。

もし濁醪であれば、

小さな竹管から流れ出にくいから米粒を分けた汁があったと推察される。           ’

 






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最終更新日  2021年04月23日 04時32分06秒
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