食卓歳時記 ふのり 杉浦明平氏著 1972年
食卓歳時記 ふのり 杉浦明平氏著 1972年 海藻類は冬がよい。というのは、わたしの地方は南海に属しているから、早く潮があたたかになって、陸の草が穂を出してしまうように、海藻類も胞子を放出して、枯れる寸前で、昧がわるくなるのかもしれない。そのうえこの渥美半島のまわりには巌礁が少なくて、海藻の茂るに適した場所が狭く、したがってその種類も多いとはいえない。 わたしの家ではむかしから海藻をよく食べてきた。コンブは、もちろん、この伊勢湾にも遠州灘にも生育しないから、生のコンブについては知らないが、大根が一年じゅう欠くべからざる存在であるように、海のコンブもわが家の食県にとって同様な存在をなしている。第一に、毎日の昼食べるうどんのつゆは、コンブと鰹節とからだしをとる。第二に、昼飯晩飯ともに、最後は茶碗四分の一ほどの飯に、漬けた葉っぱのみじん切りに塩吹きコンブー切れをのせてお茶漬でしめくくることにしている。わたしの家でお茶清に一切れの塩コンブを加えるのは、けっして高血圧予防のためではなく、お茶漬の昧が断然よくなるからである。この塩コンブは、小倉屋その他大阪の名代の店の方がいいことはまちがいないけれど、大阪で売っている百グラムー五十円、百八十円の安物でもわるくはない。ただ東京や名古屋で求めた同じ値段の安い品では、まったくお茶清に昧が出ない。 わたしたちの海でとれる海藻は、種類が少ないといっても、ノリ、青ノリ、ワカメ、アラメ、ヒジキ、モズク、オゴノリ、フノリ等どれも食用になる。ノリソダがノリ網にかわて福江湾から渥美湾の沖に進出した現在でも、渥美の干ノリはあまり上質とはいえない。まだ海水浴場として水質がよいとほめられるほど海がきれいで、栄養分に不足しているからだろう。福江湾の内では、もっぱら青ノリを採っているが、これは佃煮の原料で、青ノリと並んで網につく緑色の綿のようなアオサは、干燥して振りかけの材料の一つになる。アオサは生では食べないけれど、浅草ノリも青ノリも海から採ったばかりものを三杯酢で食べれば、磯くさくて、いい酒の肴だ。この場合には、干ノリとちがって、青ノリの方が香りが高くて上等のようである。 ワカメは太平洋岸の海底遂に生えるが、これは他の海藻よりもややおくれて、春の潮にかわるころがいいらしい。内海でも、一時、ロープに胞子を植えつけて養殖したけれども、たいしてもうからぬと見えて、このごろはやめてしまった。ワカメは伊良湖岬の観光みやげとして売られており、はげしい海流にもまれる伊良湖産のが一ばん質がよいけれど、今は主として伊良湖岬よりも東側の和治海岸で採取される。ワカメがもっともうまい味噌汁の実の一つであることはいうまでもないけれど、新ワカメの三杯酢もぬるぬるした中に歯ごたえがあってわるくない。しかし三杯酢には芽株の方がコシコシして一段とまさっている。 はじめて牡鹿半島の宿で芽株が出されたときは、コンブの根かと思ったが、家へもどると、八百屋のFさんが、和地ではワカメだけ採って根はみんな捨ててしまうから、ただでもらってきたと、箱一杯届けてくれた。芽株もデパートで売っているより新しい方が歯ごたえがしなやかである。ただし砂にまぶしてあるから、いくら丹念に洗っても、ジャリジャリと砂が舌や口蓋にさわる。Fさんは、「とろろのようにして飯にかけて食うとうまいよね」といっている。 アラメは海中の雑草で繁殖力旺盛なため、そのまま放っておくと、ワカメがほろびてしまう。そのため伊良湖岬では、八月には村中総出で、アラメ刈りをやる。アラメの食べかたは、大豆の煮豆といっしょに煮るだけらしい。そのときわたしは豆の方はさけて、アラメだけを拾い出して食べることにしている。長くかけて煮るせいか、かたいアラメも適度にやわらかになっている。 ヒジキは、アラメよりもっと香りも乏しく昧もそっけなく、黒いすじみたいなものだが、それでも油揚といっしょに煮れば、つまみとして、ちょっといかす。これも干燥したものよりも生の方がほのかに磯のにおいがするだけよい。 オゴノリは、浅い岸辺の小石などについている十センチたらずの紫褐色で、太さ一mmくらいの細い海藻で、熱陽にとおすと、鮮かな緑色になる。べつにうまくはないけれど、歯にギシギシとあたり磯のにおいがするので、たまにはよいものだ。 モズクの酢は子供のころからわたしのもっとも好きなものの一つであった。酒を飲み習うようになってからはとくにそうである。そのころ三河湾の中で田原沖姫島附近でとれたモズクは、冬になると、田原の草市にたくさん並べられた。十二月から取れだすが、初冬のモズクは、細くみじかくやわらかすぎて、酢に溶けてしまいそうで、たよりない。寒に入ると、つるつるしているけれども、よ肋。筋が舌で識別されるほどで、まさにシュンである。海がぬるみはじめると、モズクもだらしなく大くなって、昧がなくなる。だからわたしの家では寒中のモズクを伺升も買うのがつねであった。足で踏みこむほど庖を多量に入れてよくならして、床下に保存する。それでも年によると塩が甘かったと見えて、土用ちゅうにとろけてくさってしまうことがあった。もっと沖合にある佐久島がもっとも主要なモズク産地で、冬になると、毎日伺十樽も積み出していたけれど、この四、五年三河湾産のモズクを目皆にことがない。今はほとんどみんなビニール袋入りの能登モズクである。能登のモズクも昧がいい。そしてむかしは冬しかなかったのに、今では一年じゅういつでも生モズクが手に入る。ただしうっかりすると、フトモズクを買って帰ることがある。フトモズクは文字どおり太くて、舌ざわりはモズクとまったくちがって、いわばごつく、なめらかでない。 フノリも姫島沖でとれて田原の市に並んでいたが、もうそちらものはだめだろう。福江湾の出入口に黒部岩という大きな暗礁が横だわっているが、十二月末になると、その巌にフノリが伸びはじめる。同じ巌にモズクも少々は生えるけれど、わたしたちのところへ廻って来るほどの量ではない。フノリは太さ五ミリの黒褐色の藻で、さかんに枝を茂らせる。さきにふれたオゴノリを十倍化したような感じだ。 椀の中にまず好きなだけ生フノリを盛ったうえに、熱い三州味噌の味噌汁を注ぐ。味噌汁の実は、豆腐のように水っぽいもの、ワカメのような同系統のものでない方がよい。里芋が一ばんあっているかもしれぬが、莢(さや)エンドウも彩りをそえるからわるくない。あるいはこの二つをいっしょに実にしてもよい。熱い汁に浸ると、ややこわばっていたフノリがぐにゃぐにゃとやわらかになって、目ざわりがちょうどになるのである。なまぬるい汁ではフノリがかたくてだめだ。好みによって、フキのとうなり。ユズなりを薬味として用いるのもよい。何しろこの味噌汁ほど海のにおいが強く追ってくるものはない。しかもフノリの一部が熱さで溶けるのだろう、汁も甘みを増す。 もっともこのフノリもごくわずかしかとれないのだろう、そんなに容易に手に入らないのでこまる。自分で冬の海に入って水中の暗礁から刈りとってくる知り合いにわけてもらうだけだ。もちろん、寒が明ければ、フノリは太くこわく、干燥して壁ぬりや衣類の洗濯に使用されるよりほかはなくなる。それはともあれ、磯くさい湯気を吹き吹き、熱いフノリ入り味噌汁をすするとき、今年も冬の中にいるなあとつくづく感じる。