2295734 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年05月03日
XML
カテゴリ:江戸時代史料

江戸名所図会 武蔵 立野舊跡

 

  〔一部加筆 口語に〕

 

甲斐の古代御牧をはじめ、官牧のあった群馬・長野・武蔵にしても、明確な比定地は解明されていない。

そんな中でこの書を見ることができた。参考になった。

〔本文〕

 今指所一ならずといえども、新座郡に属して引又村の南に隣り、

館村と称ふる地あり、是は其俯の跡と思われる。

〔割註〕しかれども舊跡の地、皆村里の称に従い、原野の称も自ら古名をうしなう、

中古に至っては、又いつしか「多知」をも「多天」と転訓し、宇をも今は館村と更たり。」 

土人云、黒馬(くろま)川という地を中にはさみ、

梁瀬川、白子の辺りまでの地すべて古の牧野の舊跡なりと云う。

依って考えてみるに、其の地は水浜にして、地勢最も馬を牧場に適していると思われる。

地域の人の説は頗るあるに似たり。

〔割註〕同名の地、足立、賀美(かみ)、都筑(つづき)等の郡にもあり。」 

また大江戸より西の方の地に、練馬、竹馬澤、内牧、黒馬、川引、馬多〔割註〕今馬多に作る。」 

馬引澤、駒林、野牧〔割註〕今野馬木とする。」等の地名多きも牧野に囚る証なり。

 

『拾芥抄』 年中行事の部

八月二十日牽、武蔵小野御馬。(中略)

二十五日、牽、武蔵立野 

 同書、牧名

   石川・田比・立野・小野・秩父、以上武蔵云

 

『公事根元』

i八月廿日には武蔵國小野御馬四十疋をひかる。

其外秩父の御馬廿疋、立野の御馬十五疋、毎年にたてまつる云々。

 

『後撰集』  

兼輔朝臣左近少将にはべりける時、

むさしの御馬むかへにまかりたつ日、

にはかにさはる(支障)事ありて、

かはりに同じ司の少将にて迎にまかりて、

 逢坂より随身をかへしていひ送りける。  

  秋宵の立野の駒を引時は心にのりて君ぞ恋しき         藤原忠房

 

   『後勅撰』

日をへては秋風塵し棹鹿のたち野の真ゆみ紅葉しにけり綾     信実

   『続千戟』

花薄ほのかに聞ば秋霧の立野のすえに男鹿なくなる       入道太政大臣

『績後拾遺』

  今は身のよそに隔つる秋霧の立野の駒はけふか引らし       新院

   『同』

旅人の立野の原のから錦織はへさらす秋萩の花         冷泉太政大臣

   『同』

棹鹿の立野の原の櫨(はぜ)もみぢ越え脈かはく迄ふくあらしかな 公朝

   『同』

さをしかの立野のま葛・かれねただ恨し程それらなかれける     有重

   『伊平家哥合』

   春霞立野の薄つのぐめば参だになづむ駒ぞいばゆる        通平

   『古今六帖』

   あふ坂に引らむ駒を秋霧の立野かとこそとはまほしけれ     紀貫之






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月22日 15時59分53秒
コメント(0) | コメントを書く
[江戸時代史料] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X