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2019年05月04日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室


旅人芭蕉 元禄改元

 

資料 昭和8年 萩原井泉水氏著 神田豊穂氏発行 春秋社刊行 一部加筆

 

貞享五年九月、改元して元禄元年となった。

江戸幕府の創建以来九十年。その基礎は全く堅いものとなった。

朝廷と幕府との間に、とかく理解を欠き易かった諸種の問題も殆ど解決して、

東山天皇は新な位に着かれた。

将軍、徳川綱吉は前代家綱の税政の後を受けて明敏の聞こえが高かった。

天下三百の諸侯は、既に手も足も出ないようになって、

心から徳川氏に帰服するより外はなくなっていた。

 外国に対する問題も、鎖国令に依って、兎も角、防ぎとめる事が出来た。

国内は草も木も枝葉を鳴らさぬような太平の空気が充ちていた。

殺伐の風は拭い去られて、和瑞の春が開き初めた。

そういう時期を劃するように見えたのが、元禄という改元であった。

 社会には士農工商の階級が居然として分れていた。

然し、四民の首班としての士、即ち武士も、もう武を用うべき時ではなくなっていた。

士人には暇があった。官職に就いている者とても職務は形ばかりであったから、

彼等はしぜんに文学又は遊芸に心を向けた。

農人は平和な土に安穏な光を耕す事に目を驚かしたが、それは彼の心までを驚かさなかった。

江戸の町筋がどのように賑って行こうとも、新しい文化が華々しく開けて来ようとも、彼(芭蕉)にはあまり興味がなかった。この点に於いては、彼は時代と離れていた。

彼は到底都会の人ではなかった。

芭蕉は江戸に戻るや、深川の庵室籠って、殷賑(いんしん)の中へは、出てこようともしなかった。

その庵室は昔のままの狭い貧寒なものではあったが、彼にとっては懐かしく、

古巣という感じだった。

 

冬ごもり又よりそはん此のはしら

 

 芭蕉は一人深川の庵に居て、決して物足りない処はなかった。

 かれはそこに自分の世界を持っていた。

その世界に住んでいる人々は、今は日本の国中に広がっている。

近畿と東海道とには、二度の行脚によって幾多の同人が加えられた。

 

芭蕉の心は、復時は美濃尾張りに、或時は近江の湖辺に、或時は故郷の伊賀に、

復路は京都のあたりに遊んで、飽く事がなかった。

その所々には親しい同人の顔が浮き出て来るのであった。

 

二人見し雪は今年も降りけるか

 

こう書いて彼は尾張の越人の許に消息したりした。

それは二人で伊良古崎に杜国を訪ねた時の思い出なのである。

こうした時、旅の淋しさ、旅の楽しさが、彼の心に生き生きと脈をうってくる。









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最終更新日  2021年04月22日 06時16分54秒
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