カテゴリ:松尾芭蕉資料室
資料 昭和8年 萩原井泉水氏著 神田豊穂氏発行 春秋社刊行 一部加筆
貞享五年九月、改元して元禄元年となった。 江戸幕府の創建以来九十年。その基礎は全く堅いものとなった。 朝廷と幕府との間に、とかく理解を欠き易かった諸種の問題も殆ど解決して、 東山天皇は新な位に着かれた。 将軍、徳川綱吉は前代家綱の税政の後を受けて明敏の聞こえが高かった。 天下三百の諸侯は、既に手も足も出ないようになって、 心から徳川氏に帰服するより外はなくなっていた。 外国に対する問題も、鎖国令に依って、兎も角、防ぎとめる事が出来た。 国内は草も木も枝葉を鳴らさぬような太平の空気が充ちていた。 殺伐の風は拭い去られて、和瑞の春が開き初めた。 そういう時期を劃するように見えたのが、元禄という改元であった。 社会には士農工商の階級が居然として分れていた。 然し、四民の首班としての士、即ち武士も、もう武を用うべき時ではなくなっていた。 士人には暇があった。官職に就いている者とても職務は形ばかりであったから、 彼等はしぜんに文学又は遊芸に心を向けた。 農人は平和な土に安穏な光を耕す事に目を驚かしたが、それは彼の心までを驚かさなかった。 江戸の町筋がどのように賑って行こうとも、新しい文化が華々しく開けて来ようとも、彼(芭蕉)にはあまり興味がなかった。この点に於いては、彼は時代と離れていた。 彼は到底都会の人ではなかった。 芭蕉は江戸に戻るや、深川の庵室籠って、殷賑の中へは、出てこようともしなかった。 その庵室は昔のままの狭い貧寒なものではあったが、彼にとっては懐かしく、 古巣という感じだった。
冬ごもり又よりそはん此のはしら
芭蕉は一人深川の庵に居て、決して物足りない処はなかった。 かれはそこに自分の世界を持っていた。 その世界に住んでいる人々は、今は日本の国中に広がっている。 近畿と東海道とには、二度の行脚によって幾多の同人が加えられた。
芭蕉の心は、復時は美濃尾張りに、或時は近江の湖辺に、或時は故郷の伊賀に、 復路は京都のあたりに遊んで、飽く事がなかった。 その所々には親しい同人の顔が浮き出て来るのであった。
二人見し雪は今年も降りけるか
こう書いて彼は尾張の越人の許に消息したりした。 それは二人で伊良古崎に杜国を訪ねた時の思い出なのである。 こうした時、旅の淋しさ、旅の楽しさが、彼の心に生き生きと脈をうってくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月22日 06時16分54秒
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