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2019年05月10日
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カテゴリ:山本勘助
山本勘助100話 『甲陽軍艦』(吉田豊氏編・訳)

 人を使うな、能力を使え…山本勘助申上る条々の事…

 或時晴信公、山本勘助を召して問給ふ。「他国を切取り其国の侍をことごとく伐捨て、
又追はらひ、一入もかゝへずして、本参衆斗りに、其国の知行を我(割)くるゝは如何」
とあれば、勘助承りて申上る。
 「それは其大将、手柄たてを被成、末の工夫もなく、外聞を思ひ、ひとかわ(浅はか)
の分別と申侯て、悪き儀にて候。先第一、国持大名の、不被成して不叶慈悲かけ(欠)候
て、天道より憎み御座ありて、悪事頓(やが)て、出来住(しゅったいつかまつ)りたる
を、我等式も度々見聞申て候」
 晴信公、又た問給ふ。「関東上杉則政の様子は、いかん」とあれば、勘弁申は、
「則政は人をは抱へ、懇(ねんごろ)あれ共、又外聞を本にあそばし、国郡の主共に、能
く批判せらるれば、四方へ、大きにひびき、諸国より人々来りて則政に奉公するならば、
管領則政威光は、多きになりと少敵の氏康(北条氏康)おぢ侯はゞ、其下の者共、皆な則
政を、おぢ申べきとありて、大身の親類、或は遠国の牢人来れば、かかへ置、新参の衆、
はばをいたし、知行を過分に取り、はしりめぐり候。本座衆は、十人に一人ならで、走り
回る者無之候」
 そこにて晴信公おほきに、御わらひ仰らるゝは、
「…上杉則政、帰伏の侍を、馳走するを、能事とて跡先の分別なく、馳走して、本参には
恨られて、役にたゝぬ様につかひ、新参をば、身に慢じて、大将をかろしめて、用にたゝ
ぬ様につかひ、両方共に、忠功ひかへ、少敵に切崩され、合戦にまけらるゝ。
 則政の仕形、物にたとふれば、医師の病をなほさむとて、句薬与ふるに、医工(くしし
たくみ)あしければ、其薬毒になりて、人を殺すを、世間のさたに、薬、人を殺さず、医
者、人を殺すと、批判いたす。其ごとく、大将人のつかひやう、あしうして、諾人の悪き
様に、必ず申者あれども、晴信は、諸人のあしきとは、御旗楯なしも、照覧あれ、左様に
は存ぜず。只諸人大小、上下共、善悪のわざは、大将善なれば、其下の諸人皆善なり。大
将悪ければ、其下の諸人皆悪也。大将正しければ、被官も正しく、上下共に宜しければ、
戦に勝。戦にかてば、そこにて、大将の名四方へひゞく。其名四方へ宜くひゞけば、其の
大将、名をとるとは申せ、おぼへなき以前に名を取たがる卒、恥の根本なり。其恥をしら
ずして、当座、人のほむるを、よき事と存、忠節忠功の侍を、悪く擬作(もどきつくり)
恨をうくるは、人罰とて、必被官の罰も当ると云ふ。
 其罰にて、まけましき小人数に大人数を持ながら、まけて、あしき名を取」
 と、晴信公、御出語を承はり、山本勘助、なみだをながして、かんじ奉るなり。
 或る時、晴信公、山本勘助をめして、仰らるゝ。
「いやしくも晴信、人のつかひやうは、人をばつかはず、わざをつかふぞ。
又た政道いたすも、わざをいたすぞ。あしきわざの、なきごとくに、人をつかへはこそ、
心ちはよけれ。
 就中晴信、ひとの見様は、無心懸の者は、無案内なり。無案内の者は、不詮索也。不詮
索成者は必ず慮外なり、慮外なる者は、必ず過言を申。過言申者は、必ず奢易く、めりや
すし。おごりやすく、めりやすき者は、首尾不合なり。首尾不合なる者は、必ず恥をしら
ず。恥をしらざる者は何に付ても、皆仕るわざ、あしき物なり。
 左様の者なり共、其品々に、つかふ事は、国持大将の、ひとつの慈悲なり。
国持大将、慈悲結縁とは、寺社領を付、出家を馳走仕、或は他国の城主、牢人したるを地
へ置き、其国を切とりて、本地へ安堵させ、少身の牢人をも扶助し、国を取ては、共先方
を抱へ、諸人の迷惑なき様に、恵、如此の慈悲結縁の施にて、せりあひ合戦、城を攻めお
とし、又は国中、仕置のために科人死罪、流罪の罪、消へてのく。
 此理によりて、国持は、慈悲結縁肝要なり。
 殊更計人申事に、過言と、いんげんとは、一ッ事なれ共、いんげんは、ある事を申ふる
ゝ、過言は、なき事を、申ふるゝなり。
 さるに付、武士のいんげんは、申てさのみ不苦、いんげんの侍には大形おぼへあり、憎
むべからず。
過言申す侍は、作事成故、三度が三様に、かはりて、口ちがふは、虚言をいふ故、右之通
り也、必すなをすべき事也」
と晴信公被仰、山本勘助感じ奉る。(品第三十)

【訳】
 あるとき晴信公(信玄)は山本勘助を召し寄せて問われた。
「他国を占領した際、その国の侍をすべて斬り捨て、または追放し、一人も召し抱えず、
もとからの譜代だけに、その国の領地を分割するというやり方はどうであろうか」
 勘助は承って申しあげる。
「それは、その大将が自分の手柄を誇り、将来への配慮もなく、外聞を気にしての浅はか
な判断であります。国持大名としてなければならない慈悲の心に欠けたために、天のお憎
しみを受け、遠からず災難が起こるという例を、私なども再三見聞しております」

 晴信公はまた、「関東管領上杉則政の様子はどうか〕とお問いになった。
 勘弁が申しあげる。
「則政は、人を召抱えて大切に扱いますが、これは外聞を大事にしているためで、各国各
郡の領主たちに、これを宣伝されるので、各地にそのうわさが大いにひろがって、諸国か
ら人びとが集まってくるものと考えているようであります。そうなれば、管領則政の威光
はあがり、数の兵力しかない北条氏康もそれには恐れ、またその支配下の者たちも、みな
則政を恐れるであろうというので、大身の親類、遠国の浪人などを抱えております。これ
らの新参の人びとが幅をきかせ、知行を不相応に多くとって、精勤しております。それに
ひきかえ、社日からの並唯代の人びとは、十人に一入も、熱心に励むものはおりません」

 ここで晴信公は、大いにお笑いになって仰せられるには、
「上杉則政は、降参してきた侍を大事に扱うのがよいことと思いこみ、前後の考えもなく
厚遇するために、古参の者は恨みを抱いて役に立たず、新参の者は思いあがって大将を軽
んじ、これも役に立たず、双方ともに忠功を怠っていたため、少敵の氏康に切り崩され、
合戦に敗れたものである。
 則政のやり方は、たとえば医師が病気を治そうとして薬を与えたとき、医師のくふうが
悪いと、その薬が毒となって人を殺すことがある。これを世間の人びとは〃薬は人を殺さ
ぬ。医者が人を殺す〃というのである。
 それと同じように、大将の人の使い方が悪いために、家臣の者たちが悪くなったのを、
よく家臣の者たちの責任とする者があるが、晴信は、武田重代のお旗、楯無の鎧に誓って
も、そのようには思わぬぞ。家臣の大身、心身、上下にかかわらず、その善悪の行ないに
ついては、大将が善であれば、その下の人びともすべて善となる。大将が悪であれば、そ
の下の人びともみな悪となる。大将が正しければ家臣も正しく、かくて上下ともに正道を
いくことによって戦に勝つ。戦に勝ては、それによって大将の名が四方にひびく、その名
が四方にひびけば、大将の名声が高まるのである。
 とはいいながら、大将が実績もないうちから名声だけをほしがるのは恥の根本である。
それを知らぬ大将は、人がほめさえすればその者を大事にして、忠節忠功の侍を悪者扱い
にし、その恨みを受けるのである。家来の恨みは、必ず人罰となって、大将の身にも及ぶ
という。その罰に当たって、味方は大きな兵力を持ちながら、負けるはずのない小勢の敵
に敗れ、汚名を受けたのである」と。
 このおことばを承った山本勘弁は、涙を流し感じ奉ったという。

 あるとき、晴信公は山本勘助を召して仰せられた。
「晴信の人の使いようというものは、決して人を使うのではない。能力を使うのである。
また政治を行なうにあたっても、能力を生かすことを眼目とする。能力を殺すことがない
ように人を使ってこそ、満足できるのだ。

 晴信の人の見方というものは、まず信念を持たぬものは向上心がない。向上心のないも
のは研究心を持たぬ。研究心のないものは必ず不当な失言をする。失言をするものは、必
ずのぼせあがるかと思えば消極的になる。のぼせたり、沈んだりするものは、言行が一貫
しない。言行が一貫しないものは必ず恥をわきまえない。恥知らずのものには、何をさせても、すべて役に立たぬものである。

 しかし、そのようなものであっても、その性質によって生かして使うことは、国持大名
としての一つの慈悲である。
 国持大名の慈悲、功徳というものは、神社仏寺に領地を献じ、出家を好遇すること。他
国の城主が領地を奪われて浪人していれば、それを保護し、もとの領土を攻略して、その
本領に復帰させること。心身の浪人をも養っておくこと。他国を攻め取ったならば、その
上地の領主を味方として抱え、人びとが困窮せねようにすることなどである。このような
慈悲、功徳を積むことによって、戦闘をくり返し、城を攻め落とし、あるいは国内の治安
のために罪人を死刑、流刑に処するなどして積んだ罪も、消滅するのである。この意味か
ら国持大名は慈悲、功徳というものを大切に考えるのである。

 次に、よく入びとが過言(思いあがった失言)と因言(高慢なことば)とを、同じこと
のようにいっているが、因言とは事実を大げさにいうものであり、過言とはないことをい
いふらすものである。
したがって、武士が因言をすることは、さほど困ったごとではない。因言をいうほどの武
士は、たいてい自信を持っており、憎むべきではないのだ。
ところが過言というのは、つくりごとであるから、それをいう侍は、三度ものをいえば三
度ことばが変わる。それは嘘をついているためであるから、必ずやめさせねばならない」と。
 山本勘助は深い感銘を受けた。(品第三十)

【注】
 山本勘介入道道鬼、信玄の特大将で軍師として大沼j躍し、川中島合牧で討死したとあ
るが、その実在を疑うむきが多い。くわしくは「武出家興亡央」を参照のこと。

 山本勘助100話
 軍師・山本勘介の登場 引用資料 『甲陽軍艦』「武田家興亡史」 吉田豊氏著





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最終更新日  2021年04月21日 17時45分19秒
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