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2019年05月15日
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柳沢吉保(竜華山永慶寺)穏々山霊台寺の碑の銘

 
  天北辰に曰い、地に富士と曰う。富士の山、天柱のごと屹峙す。

  淼(ビョウ)々たる大洋、・舶津に迷う。何を以て迷を指す。富士と北辰なり。
  富士の崇き、寔に寰中に表わる。何ぞ啻に秀異なるのみならんや。爲に日  

東を鎭む。富士の陰(きた)甲斐維れ国たり。天とともに党を為す。海に   拠り背を道とし、東は筑波よりす。蓐食して九たび戒む、碓尊の賡歌は艸昧に輝き映ず。四塞の天府、毛龍の産するところ、豊聡の驪駒(りく)は、駿を蜚ぶの往典。曩祖は三郎、甘棠の遺蹤、源族乃と繁り、武田是れ宗たり。桓々たる機山、恢いに覇圖を拓く、胸に韜略を洞(つらぬ)き、目に孫呉無し。駿を呑み信を併せ、衝を北越に争う。東西二つながら平らぎ、智竭き力屈す。五州に雄拠し、遐邇胆を喪う。森然たる兵律は、百世の範たり。祖開を鑽仰し、恵林を廟貌とす。耿々として常に存し、泯びざるは心なり。我れ庶族を忝くし、昭運に遭逢す。斷祀は乍ち続き、墜緒は旧に復る。元宰職は隆く、少将階は貴し。寵は国姓を冒し、芳は国諱に聯なる。雄藩 第、旧物を失しなわず、四郡の版籍、一朝握に在り。朱章赫として有り。表わすに眞忠を以てす。華袞の栄慊然として躬を省る。我何する者ぞ。徳の以て酬いる靡し。玄元同均、信ずること何ぞ彷彿たる。山関境を異にするも、機、何ぞ契を合する。家は世々禪を崇び、法山殊に調う。一旦にして、寤 め、遂紹ぐ攸(ところ)に協う。故劍、遺冑、往々にして主を識り、山川と土田、欣然として吾をむかう。邂逅すること乃ち爾り。孰れか因縁に非ざる。因縁孰れの時ぞ、既に来処有り、歸するや曷んぞ無からん。其れ何くにか歸するや。城の艮隅、躑躅が崎。機山の遺愛なり、茲に窀穸を卜し、是に経し、是に界す。寺を霊台と称し、山を穏々と曰う。穏かなるかな、穏かなるかな、我が息偃する所。寺の東南は、渓流粼々たり。群壑を会同し、百里にして駿に赴く。浩瀚たり汪瀁たり、名を富士にならぶ、富士の名、山においてし。山水の粹をあつめ。蕨の地乃ち霊たり。祥の斯に発する有り。熒然たる瓊。美しなるかな、斯の宮、幽を明に貫く。一念三千、一日三生。孰れか三に、孰れか一なる、孰れか後に、孰れか前に。往くとして我に匪るべし。子孫万年ならん。
  寳永三 歳丙戌に次る 月 日
   甲斐國主従四位下行左近衛權少将兼美濃守 源朝臣吉保撰す

 というものである。序は略したが、その内容は、吉保の未見の地、峡中の自然、人文両面の描写と、事ここに至るまでの経緯を叙したもので、その詳細で且つ適切な表現は、さすがに学者大名にふさわしい文章といえよう。






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最終更新日  2021年04月18日 06時22分40秒
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