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2019年05月16日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
武田勝頼、落日の序奏 『甲乱記』より
「殿、大変でござるぞ。高遠の城が墜ちました」。負傷し息も絶え絶えで、高遠城を必死に逃げ出したてきた者どもが、十人ばかりが勝頼の居る新府中へ逃げ込んできた。「昨日高遠城が落居しました。また主城を守る多くの者も打ち果てました。」と、事の顛末を申しあげた。新府城に籠る勝頼を始めとして居並ぶ諸将は大いに驚き慌てふためいた。
高遠城は、堅固の城であり、守る諸将も勇猛な者が多い。立て籠もる人々は、仁科五郎信盛を始めとして小山田備中守兄弟の他に率いる兵が千余人籠めていた。矢楯・粮物・鉄抱・玉葉なども十分にある。力を合わせて守れば、二十日間も、三十日間も城を守ることが出来ると信じていた。
その間に新府城の普請を進めてきた。又軍の僉議(せんぎ)以下落着くべしと評定ある処に、思いの外、急に、高遠落居との由を聞いて、勝頼公や諸将はすっかり力を落してしまった。
さては新府城にて、大敵を迎えることも大切なり。何処かへ一旦引退き、北の方を始めとして各妻子たちを隠し置いて、ここで防戦を成し遂げる話し合いもあったが、現在まで準備不足で、のぞんで、乾いた井戸を掘ったり、急いで戦いの準備をしても間に合わないとの意見が大勢であった。
跡部尾張守が申し述べるには、当国には都留の郡ならでは、谿谷峻岨(けいこくけんそ)にして、大敵が押し寄せる地形はないと存じます。幸い小山田出羽守が参上して、私が召し出される事があれば、お申し付けくださいと申し出た。勝頼公は、意を得て小山田を御前近くに召寄せて、本来なら当地(新府城)に於いて、防戦しようとも思うが、未だ櫓の一間も普請完成していないので、戦うことは出来ない。その方が申し出る都留の郡は、境内堅固にして、戦う場所としては最適のようだ。ここは新府城を立退き、各々妻子どもを指置いて、敵が襲来して来たら、勝沼辺りに打ち出て一戦を交え雌雄を決すべきである。
武田家の興亡について、小山田出羽守、「つつしんで申し述べるには、仰せのごとく都留郡の地形は狭いが、数ある境は堅固にして、峻道溢路を抱えています。敵が容易く攻め入ることは出来ません。そのうえ味方が心を一つにして、これまで受けた武田の武恩の為に一身を捧げ戦えば、必ずご運が開きます」と頼もしげに申し上げた。





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最終更新日  2021年04月18日 06時05分10秒
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