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2019年05月23日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
「御宿監物状」信玄の葬儀直後に御宿監物友綱が小山田信茂に送った書状
【天正四年(一五六七)四月十六日の信玄の葬儀直後に御宿監物友綱が小山田信茂に送った書状】
 〔読み下し〕『甲府市史』
元亀〔壬申〕三年十月三日、武田信玄分国の諸卒を引率し、一団扇を掟へて遠陽に至り、強旗を発せらるるのところ、徳川前三河守家康廻避するところなく、甲兵に向って刃を交ふると雖も、大倉の一粟、大海の一滴、対揚を合はすにあらず、大敵を凌ぐ力なく、戈を倒して敗北し、浜松の城地に楯寵る。喩へばなほ紅炉の雪を消すが如く、劫石の卵を圧するより易く、寸鉄を施さずして遠一州を檎にす。直ちに三州に向ひ、千戈を動かし、在々所々を撃砕せしむ。暫時にして一煙の焦土となす。両季張陣に覃び、際限なく兵を労するにより、偃息のため、先づ信国に至って、馬を納めらるべく評定し畢んぬ。元来玄公は望を天下に懸け、胸に四海を呑み、舌を九河に巻き、家名を海内に振ひ、名を後代に始さるべく、襟懐骨髄に徹す。若しくは肺肝により、病患忽ち腹心に萌し安んぜざること切なり。
これにより、倉公花佗の術を尽し、君臣佐使の薬を用ふると雖も、業病更に癒えず。追日病枕に沈む。玄公政務の間、向ふところ靡かざるはなく、攻むるところ傾かざるはなし。武勇の誉天下に振ひ、文道の名世上に聞ゆ。数万の豼貅囲繞し奉り、忠信義士渇仰せしむると雖も、無常の殺鬼を防ぐべき兵塁なく、有待の壊身を留むべき関鍵なし。 

終に信州駒場に於いて、黄泉の下既に属纊の砌、勝頼公を枕頭に近づけて、曰く、信玄一期の佳運、今日を限って命を没す。我三戸の小国を以って隣国他郡を攻め伏せ、策を帷幄の中に廻らし、敵を鉄鉞の下に亡ぼす。一事として欝望を散ぜざるなし。然りと雖も旌旗を帝都に挙げざるの儀は、妄執の随一なり。信玄命を亡ぼすの由露顕せば、当方の怨讎時節を窺ひ蜂起すべきは必なり。三四霜の間、勤めて批判を秘し、先づ封内の備を堅め、国家を鎮め防ぎ、義卒を撫育し、一度花洛に責め上るべきこと、縦へ生死両頭を離れ、金剛実体となると雖も、歓喜たるべきの由、僅かに遺誡あり。年を積む五十三、天正元年四月十二日東岱の煙を立て、北邙の露と消ゆ。

幕下の大小上下の士卒、中流に舟を覆し、一瓢漂浪し、暗夜に燈を消し五更の雨に向ふが如し。群議盈腹の衆胸を塞ぎ難し。勝頼公は恩愛別離の悲、家僕の面々は累年旧好の歎、愁傷浅きにあらず。敵国漏れ聞えば難儀の間、内には愁涙を含むと雖も、外には悲歎の色を顧はさず、密かに甲陽に送り奉り、塗寵の中に塾屈す。

そもそも勝頼公は隠に終に顕はるるを懐ひ、国主に備はりては、愛するところのものも罪あれば必ず罰し、悪むところのものも功あれば必ず賞し、賞罰厳重なり。慈悲を先にし、理非を分明にして師直を糾し、万事私を顧みず、廉潔に下知あるにより、万民帰伏すること、草上に風を加ふるが如く、国家いよいよ安泰にして、威光ますます新なり。仁智勇の三徳、恐らくは先君に恥ぢず。(下略、天正四年四月十六日の信玄の本葬儀の次第)





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最終更新日  2021年04月17日 14時34分40秒
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