カテゴリ:富士山資料室
富土石と富士講 その五 恩田疎水と原九右衛門 大淵紀元氏著 『伊那』 1986・2 恩田疎水と原九右衛門 恩田井の疎水工事は、伍和村民の長年に亘る夢であった。 「伍柏村栗矢の原九右衛門が主唱し、同志十八名が委員となって、懸命な努力の末明治三十年起工、総工事費二万金円、明治三十二年竣工……浪合村の恩田川を堰ぎ、その水の80%を伍和へ引水して、河内川の水量を増し、大鹿・丸山・備中原・河内・上郷地籍の未開地を開田して、用水の不足を補う、延長八km余の、農業用水工事であった」 この疎水開削工事は、南信濃においても有名な大事業で、永く後世に語りつがれるであろう。
恩田用水路開鑿に依る増益は(『阿智村誌』) 恩田井関迎接水田面積の増加六七、一町歩 恩田井開通前の産米高 一、八二I石 恩田井開通後の産米高 二、九九四右」約60%増に当る。
富士講・実行教の先達であった原九右衛門のこのような一大事業に、教徒の達携協力がどの程度あったか恐らく尋常一様の奉仕活動ではなかった。そのことについては「伊那尊王思想史」に詳かであるので見られたい。なお恵那山の富士見台の命名の由来と富士講修験道の「富士行屋」について識者に承りたいところである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月16日 19時40分26秒
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