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2019年06月09日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
甲斐源氏の祖 新羅三郎義光の官歴
武田義清・清光をめぐって(『武田氏研究』第9号 志田諄一氏著 一部加筆)文中の各標題は加筆

『尊卑分脈」には義光の官歴を「常陸介、甲斐守、左兵衛尉、刑部丞、左衛門尉、右馬允」あるいは「常陸介、甲斐守、左衛門尉、右馬允、刑部少輔、左衛門尉、刑部丞」としています。後三年の役が終わると、京都に帰りふたたび朝官に任ぜられたのでしよう。
 関白藤原忠実の日記『殿暦」長治二年(一一〇五)二月十八日条によると、義光は刑部丞の地位にありながら二年前から常陸に居住し、勅命で上京をうけながら命令を聞かず、支障を申し立てて猶予を請う返事を送っています。そのころ義光は、常陸国で常陸大橡平重幹と結び、義家の第三子で下野国足利荘を本拠としていた義国(新田・足利氏の祖)と対決し合戦をしているのであります。藤原為隆の日記『永昌記」嘉承元年(一一〇六)六月十日条によると、朝廷では東国の国司に命じて義光・重幹らの党を召し進めさせ、義国に対しては父の義家に命じて京都に呼びよせているのであります。





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最終更新日  2021年04月14日 14時32分31秒
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