カテゴリ:山梨の民話 昔ばなし
山梨昔話 鰻の救い
じいさんとばあさんが話してくれました。 むかし、むかし、塩部(現、甲府市)の郷に悪病が流行り、人々はたいへん困っていました。 熱が出て体がはれ、下痢もひどく、いくら薬をのんでも、医者にかかっても治りません。 たまたま通りかかった行者が、村人の悲しんでいるようすを見かねて、 「これこれ村の衆よ、なにをそんなに悲しんでおじやる」 と聞きました。すると村人は藁をも掴む思いで、 「実はもう十日あまり前から、あっちこっちに高い熱の出る病人が出て、いくら手当てをしても治りません。 もう幾人がお寺さんに埋められたか知れません。どうぞお助けください」 とすがるように話しました。 行者はしばらく天の一角をじっと仰いでいましたが、
「これは大変じやあ、生首の祟りだや、体の長い長い生首だよ、 甲府の城から乾(北西の方向)の方にあたるところに相川が流れている。そこのたもとの大榎の下に「保食神」を祀った祠がある。 そこに生きた鰻を捧げ、罪穢れを祓い清めて相川に放流して禊ぎをなされ、三日後には悪病は退散する」
というお告げをして西の方に去って行きました。 村人はお庄屋さんを先頭に鰻を保食神に捧げ、相川に放流して禊ぎ祓いをしました。
するとどうでしょう。数日も経たないうちに病人たちの熱は下り腹痛もとまり、たちまち病は治って、暮らし易い、昔の明るい郷になりました。 喜んだ村人は行者のお告げをありかたく長く伝えるため、ここに保食神を御神体として、原山神社を建てました。 村を救ったこの偉い行者さまは、それから湯村山の地蔵尊に立寄り、途中、金剛杖を大地に突き立てたそうです。 すると不思議なことにここから温かい湯が湧き出しました。村人はたいへんよろこんでそこに池を掘り、流れ出した温泉をここにためて、野良仕事の帰りに牛や馬とともに湯浴して一日の疲れをいやしたそうです。(湯村温泉) この話を終ると、じじとばばさんは間もなくこの世を去りましたが、原山神社の鰻の放流祭りはいまもなお続いています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月14日 05時43分57秒
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