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2019年06月10日
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山梨の伝説 『伊勢参りの犬』『蝮の薬』『竜宮淵』『花魁(おいらん)淵』 

  「伊勢参りの犬」

 国鉄中央線の小仏トンネルを過ぎ、相模湖を左に見て、小さなトンネルをいくつも抜けると、山梨の東端の上野原町に着く。駅から曲がった坂道を数十メートル上ると平らな町へ出る。桂川の岸にできた段丘の上で、古くは甲州街道の宿場として繁栄し、甲斐絹と養蚕が主な産業であったが、最近中央線の複線化と中央高速道路の完成によって、首都との関係が密接となり、ベットタウンの傾向が強まっている。

 役場に近い西北に「大塚」がある。

ある百姓夫婦が雌犬乳で男の子を育て、恩返しにその犬を伊勢参りに行かせた。犬の首に

「伊勢参りの犬」

と書いた札をつけて送り出したが、翌年正月の夜何かが戸に当たる音がする。あけて見る衰えた雌犬がころげこんだ。頚には伊勢の大神宮のお札の紙包みを下げている。それをはずしてやると犬は息絶えたので、百姓夫婦は明神社の境内に犬塚を立ててやった。その石碑には裏に天照皇大神宮、裏には安政六年(一八五九)正月と彫りつけた。

 

 「蝮の治療薬」

上野原新町には次のような話が残っている。

昔、里古銀右衛門という変わった人がいた。毎朝未明に山田の水を見に往復し、その途中で身長三メートル余の大男の仙人に数回も出会ったが少しも恐れなかった。

ある日、この仙人が

「汝は世に恐いものはないか」

と問うと、彼は、

「飽か恐いのは蝮(まむし)だけだ」と答えた。

すると仙人か蝮に噛まれた時の治療法と薬を授けたので、世の人々は彼を「蝮の銀右衛門」とよび、蝮に咬まれた者は皆治療法を授かったという。

 

「竜宮淵」

上野原の台地をくだって松留の悉聖寺(しんしょうじ)の南方、桂川の北岸に浸食され縦に刻まれた岩が立っていて、その下が竜宮淵になって、深い蒼い水を湛えている。

昔一人の百姓が、岩の上で木を伐っていると、誤って鉞(まさかり 大きな斧)を下に落とし、あわてて自分も落ちて淵の底へ沈んだ。すると、水の中から女神が現われて助け、宝珠の玉を与え、

「ほしい物の名を書いて淵へ投げ入れるがよい。ただしこの玉を誰にも見られてはならぬ」

と教えた。男は喜んで家に帰り、ほしい物の名を紙に書いて淵に投げこむと、驚いたことに書いた物が何でも出て来るので、家は急に御大尽(豊か)になった。不思議に思った女房が、旦那の留守に秘密の風呂敷をあけて見るとただの石が一つ入っていた。

不思議な事にそれからのちは玉の力が消えて、家はもとの貧乏な百姓になった。今この淵は旱魃(かんばつ)の時には雨乞いの場所になっており、その宝珠の玉石は悉聖寺の観音堂に納めてあるという。






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最終更新日  2021年04月14日 14時23分53秒
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