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2019年06月23日
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カテゴリ:神さま・仏さま

閻魔大王 えんまだいおう

 

「地獄の沙汰も金次第」といわれるが、

閻魔大王が聞いたらなぐられてしまう。

閻魔大王さまは決して欲深な方ではない。

威武も屈する能わず、富貴も淫する能わず、

閻魔大王の目から見れば、日本国憲法の条文のごとく、

すべて国民は法の下に平等なのである


 「日本国憲法」第十四条もさることながら、しかし、憲法には、善悪、正邪を見きわめる鉄則があります。在世中、いかに名誉名声を得ても、また金銀財宝を蓄えても、その根本なる精神、心の
(よこしま)な者は、その天眼鏡によって見破られてしまうのです。汚職代議士先生、高利貸諸君、君らは閻魔大王さまがどん

な方であるか、ご存じであろうか。粒さに本項をひも解いてもらいたい。

 本名をヤーマといい、妹をヤーミと呼び、大王さまのお城は、地獄道にあり、冥官、すなわち亡者世中の是否曲直を判別するを天職としています。

 つまりあの世の懲罰司法の大権を握る大裁判長なのです。 大王の妹、女閻魔は、一切の女性を審判し、兄は男性を裁判します。ここでは男女共学は認められていないのです。

 大王はあの世の安寧秩序を文況していますが、そこには一切の造悪不善を止め、諸芸を励まし、生類を憐れみます。すなわち誕生の善神といわなければなりません。

 しかし法は厳として犯すべからずで、ここでは、生存中の罪業を記録し、罪の軽重を定めます。生存中に悪い事をした者には、剣の山に曇らせたり、火の車に泉せて駆けさせたり、釜ゆでの刑を執行したりします。そのため大王は十八の将官、八万の獄卒、赤鬼、青鬼ら監守、巡羅を従えています。

大王の居城、地獄道は「ナラカ」というのが本名で、膳部州の下、五百踰繕那(ゆぜんな)にあると「婆妙論」にあります。ここは根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三州に分れ、それがさらに各小国に区分されています。

 これを次に列記してみましょう。

 ○ 根本地獄=等治、黒縄、衆合、号叫、大号叫、炎熱、極熱、無熱。

○ 近辺地獄=(火君)煨増、屍糞増、鋒刄増、烈河増。

○ 孤独地獄=山野曠原空中にたちまち現われる地獄。

以上百三十六の地獄国があります。そこには残忍ではあるが、針の山、血の池、おへその抜取り、舌のシチュー製造場まであるのです。

 さて大王のご面相ですが、よく「借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔」といわれこの大王を醜顔、ぶ男の代名詞にしているが、これは当たっているといえます。しかし、妹王は可愛い者で女らしく蓮華を捧げて立っています。兄王は正義と忿怒とを加えて、こね回したような面構えです。

冠を戴き、椅子に腰かけて、手に笏板(しゃくいた)を持ち、ぐっと大眼をむいています。その隠には、浄玻璃の鏡をおき、亡者の悪事を手に取るように写しとって、手帳につけるのです。いわゆるこれが、われわれ学生時代こずき回された「閻魔帳」の起こりです。

 人間最後の価値は、実はこの地獄で決定されるのです。ことわざにも「棺をおおいて事定まる」というのがあります。棺のふたをした後に、その人の生前の事業や性行の真価が決定するのです。大岡越前守以上の名判官が地獄におられる間、人間道の人々は善を尽くさなければならないのです。未来永劫に。

元来、閻魔は、インドの神話にもとづく冥界の王で、護世十二天のうち南方の天である閻魔天の変化といわれます。梵語のヤマ=ラージャを音写して閻魔羅闍(えんまらじゃ)書いたのです。ラージャは王のことであるから閻魔王といい閻魔大王ともいい、また閻魔羅王、閻羅王ともいいます。これはインド古代の聖典リグ=ベーダで、死者の霊魂を、天上の光明のうちにある無限の楽土に導いて昔の知人に合わせ、福徳を受けさせ

る神としています。つまりインドの閻摩像が恐ろしい形相をしていないのはこのためです。しかし、中国に伝来してからその性格がかわり、あの恐ろしい大王になったのです。しかも宇も彦から魔の字(梁の武帝=在位五〇二~四九)にあらためられ「閻魔」とはなったのです。

 さて、わが国では民間で、一月十六日と七月十六日は「閻魔の斎日」といって、地獄の釜の蓋のあく日で、亡者の骨休みをする日とはなっています。寺院では閻魔堂の開帳のおり、地獄変相図、地蔵、羅漢の図などの仏画を掛けて参拝者に拝ませる年中行事があります。昔は、この日に商家の男衆、女子衆に暇をあたえて閻魔参りをさせる風習がありました。

平安時代では唐朝画の影響による密数画の好画題となり、曼荼羅または十二天の一として焔摩天の名で描かれ、その姿は、水牛に乗り、右手に人頭幢(じんとうどう)をとり、左手は腕をまげて(てのひら)を上にむけます。

 西大寺(奈良市)、東寺(京都市)所蔵の十二天画像中にそれぞれ優秀な焔摩天(平安朝)を伝え、どちらも国宝となっっています。






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最終更新日  2021年04月13日 12時37分05秒
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