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2020年06月13日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室

 谷村藩 天和元年 訴人の磔とその惨刑

 

122日、郡内領農民代表七人秋元家失政を江戸町奉行に越訴。『治績考』

225日、越訴の主謀者七名処刑。『治績考』

 

 

 関戸奥脇等七人の惣代は、町奉行所に於いて一と通りの取調べを受け、其訴願書に列記せる苛斂チュウ求の事情より、武田氏以来の慣例等を披陳し、更に其十数年に渉る濫刑殺虐の事実まで、洩すところなく中明し、伝馬町の獄に囚はれ居ること凡そ二十日間にして、其六人(七人の誤りと思うが原文のまゝ)の身柄は、所管主たる秋元発朝に削付され、発端は直様之を谷村の代官陣屋に檻送し、其獄舎に拘囚した。これが延宝九年二月十四日であった。是より日夜拷問の限りを尽し、七人中の一人たる羽田武兵衛は絶えてよみがえらず、其他の者も…幾度か絶えてまたよみがえり、よみがえれば雅枝交も下り、然るに十日間を閲みし、二月二十五日金井河原の刑場に於て先ず奥脇等の六人を斬罪に処し、郡内一同を代表せし関戸左近をたく刑(はりつけ)に処した。その拷問に範れたる羽田武兵衛は当時の常例により、死屍を引出し打ち首を加へたものである。此はいずれの考左も、六人の者打首となると書いてあるに依り分明である。

 此の二月十四日より、二月二十五日迄の間に、是程の重刑を処断したと云ふことは、其聞に都ての審理を終りしものとは見られぬ。この七人の惣代を礎新することは、固より江戸公邸にありし。商朝が既定の断案にして、克く幕閣要人の了解を得たるものと考へられ且つ又処刑前十日間、ありとあらゆる拷問。を加へれば、郡内一般を戦慄價伏させ、再び是等の問題なからしむる方策と認めらる。





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最終更新日  2020年06月13日 11時45分00秒
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