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2020年06月13日
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カテゴリ:俳諧人物事績資料

俳諧作者 夏目成美 なつめせいび 『俳文学大辞典』 一部加筆

 

寛延二年(1749)~文化一三(1816)六八歳。本名、夏目包嘉。江戸蔵前の札差。通称、井筒屋八郎右衛門(五代目)、隠居して儀右衛門を名乗る。初号、八良治。別号、修行庵・随斎・四山道人など。法名、等覚院成美日済居士。墓所は江戸下谷車坂蓮華寺(のち駒込に移転)。

 

[閲歴〕

父は俳号を一雨、また宗成といい、四時観連の祇明は父の兄。成美も早くから俳諧に親しみ、宝暦一三年(1763)、一五歳の折、『猪武者』に八良治の号で一句入集。俳系は四時観派の流れを汲む。弱冠一六歳で豪商井筒屋の世

帯を任され、その二年後に痛風を病み、以来右足の自由を失う。弟庄兵衛も俳諧をよくし、吟江、また陽子と号した。安永八年(1779)、兄弟協力して『糂汰瓶』を編む。天明二年(1782)、虚弱多病を理由に弟に家督を譲るが、弟が翌年急逝し、再び家業を継いだ。その前年に京の重厚、同五年に凡董を迎え、当時彼は蕪村風を志向。また、暁台らの芭蕉翁追悼の企てや喋夢の『芭蕉翁絵詞伝』の刊行に協力し、蕉風復古に寄与している。市河寛斎『日本語紀』巻五の校訂を担当。寛斎は成美の句読の師であり、成美の清雅な作風は平明淡彩な寛斎 の写生詩に通う。翌七年、立砂の芭蕉遺句『もとの水』の版下および校正を担当。

 また、寛政六年(1794)冬の成美の句が西国行脚中の一茶に伝えられ、一茶西国旅行の記念集『たびしうゐ』に収められ、両者はすでに知己の間柄であったことがわかる。文化期(1804~6)、一茶はしばしば成美亭に寄食し、経済的庇護を受けた。長者の風格をもって多くの人々に慕われた成美は、晩年本所多田の森近くに隠棲し、悠々自適の生活を送った。『随斎諧話』には素堂関係の事掲載されている。また成美は甲斐酒折の宮神主飯田正紀と懇意で正紀が所有して素堂関係のものを見て転写している。    *        

 






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最終更新日  2020年06月13日 13時33分47秒
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