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2020年06月13日
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カテゴリ:俳諧人物事績資料

頓 悟 蕪村

 

 亡師宋阿の翁は業を雪中庵にうけて、

百里、琴風が輩と鼎のごとくそばだち、

ともに新意をふるひ、作家の聞えめでたく、

常時の人ゆすりて、三子の風調に化しけるとぞ。

おのおの流行の魁首にして、

尋常のくわだて望むべききはにはあらざめり。

師や昔、武江の石町なる鐘楼の高く臨めるほとりに、

あやしき舎りして市中に閑をあまなひ、

霜夜の鐘におどろきて、

老のねざめのうき中にも、予とともに俳諧をかたりて、

世の上のさがごとなどまじらへきこゆれば、

耳つぶしておろかなるさまにも見えおはして、

いといと高き翁にてぞありける。

ある夜危座して予にしめして曰、

夫俳諧のみちや、かならす師の句法に泥むべからす、

時に變じ時に化し、

忽焉として前後相かへりみざるがごとく有べしとぞ。

予、此一捧下に頓悟して、

やゝはいかいの自在を知れり。

されば今我門にしめすとどろは、

阿叟の磊落なる語勢にならはす、

もはら蕉翁(芭蕉)のさびしほりをしたひ、

いにしへにかへさんことをおもふ。

是、外虚に背て、内實に応ずるなり。

これを俳諧師と云ひ、信心の法といふ。

わきまへざる人は、

師の道にそむける罪おそろしなど沙汰し聞ゆ。

しかするに、今このふた巻の歌仙は、

かのさびしをりをはなれ、

ひたすら阿叟の口質に倣び、

これを靈位に奉て、

みそみめぐりの遠きを追ひ、

強て師のいまそかりける時の看をなすといふことを、

門下の人々とゝもに申ほどきぬ。

  (蕪村文集)

 

【註】

宗阿は早野氏、江戸の人、日本橋石町に仕して夜半亭と称した。即ち夜半亭第一世で、蕪村は第二世である。宗阿は初め嵐雪に就き、叉、其角に学び江戸座風の句を作ったが、蕪村に教へるには「かならず師の句法に泥むべからず」と云った。

蕪村は其語に悟って俳諧の自在を得たといふ。聞くべき言葉である。

宗阿は薙髪して巴人といひ、寛保二年六月六日歿した。年六十六。

それより「みそみめぐリ」即ち三十三回忌は安永三年である。此二巻の歌仙は今傳はらない。

 






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最終更新日  2020年06月13日 21時14分20秒
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