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2020年06月16日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室

 

芭蕉談四編 次郎兵衛物語 その二 

 

何故この書を文学者は偽書扱いにしてきたのか

 

 

半七郎様十七歳の御時、

御名の御本家の御縁家に紛らわしき御名御座候とて、

藤七郎と御改名なされ候。

また後三年して、忠右衛門と改名し給う。

以上五度御名変り給う。

 

然るに寛文六年四月

若殿様御病気もなく御急死被成候。

忠右衛門様聞きせられ、

取ものも取あえず御館に駆けつけ、

御尊骸を見て愁嘆かぎりなく

既に追腹もなさるべき思召に候にも、

御一類の人々より御公儀の御觸を恐れ、

ようやくに押しつめ給いけるにぞとどまり給う。

若殿御葬送の後はや頼りなしご思召候や、

日々発心の思い止事なく、

七日の間墓參怠りなく、

その日過ぎ候て十日のお暇を申請、

高野山に登り、報恩院に御遺髪を納め奉り、

御命日の読経回向頼み置下山し給、

即御供には僕(やつがれ)也。

御奉公元の通り、

時も違えず朝五ツに御館に相詰め、

百ケ日過させられ候て、

半左衛門様に御出家の御願いなされ候得、

御承引不被候、また三十日も過て、

御同役城彌太夫殿をもって出家なりの旨趣を、

こまごま書認めて差上候いけれども、

殿様より御許し無之、

その後より御精気差起り、

七八十目御引入被成り候而、

父御出勤の上、殿様より直に御前に召出され、

主計亡跡に頻りに出家とは、

彼者亡跡にはその方処他に主人はなき事にやと

仰せられ候へば、

忠右衛門様最早御手討ご覚悟して、

恐れ乍ら申し上候、

臣襁褓(むつき)のなかを這はなれて、

七歳未満にして令嗣君の御側に召し出され、

東西不辨より御寵愛にあづかり、

其御高恩のふかき事海山も比べ難し。

 

しかるに五ツ六ツになり候時分、

令嗣君の御側に溢れ遊廻候節、

令嗣君を御指なされて仰られけるは、

此阿児こそ其方が主よ、

必ず生涯見忘れなよ、

阿児は能キ臣を持しよと仰られし事あり。

それより令嗣君を大切成ル御主君で奉存じより、

成長するに従って、

主君とあればかく有がたき者なるかや、

さればこそ古来より御馬のさきにて

打死せし事よと存じまはせは、

日夜に御厚恩が次第に思われ、

尊とかり申すに、今度御急死あらせられ、

思ひまふけし事も水の泡で存じ奉れは、

此世にて御高恩を報し奉る事なき故、

出家となりて御菩提を弔い奉らんと

御存て御願い申上奉りし事也。

かく骨髄に徹し侍れば、

天に二ツの日なく、地に二ツの主なし、

我忠心にてはなけれども、

二人の主を頼まさる心中、

御賢察あそばしくだされ候はば、

いか様とも仰付させ下さるべし

とご悲歎の泪にくれ、

御手討と覚悟を究さたる体を、

新七様御覧遊ばして、

聞かぬ體にて、

襖を引開けて奥にそっと入らせ給いける。

忠右衛門は、すごすご家に帰り、

鬱々と書見もし給はず、

同役中村真次郎・字左衛門殿に

潜に今日の様子を物語ければ、

字左衛門殿明日を待かね、

忠右衛門殿部屋見られけるに人なし、

字左衛門殿大きに驚き、

(以下欠分・不明) 

 

これ寛文六年九月廿一日の夜の事也。

半左衛門大きに驚かれ、

處々方々手分をして、

尋ねさせられけれども行方しれ給はす、

また前日の忠右衛門御前にての始末を、

御側の衆とりと聞き伝え咄を聞く、

湛々恐入、御家若衆迄相断り、

自分より引入給ひけり。

家老衆よりまで相断り、

自分より引き入り給いけり。

家老衆より其段尊聞に相達し申されければ、

殿より仰出されけるは、

忠右衛門時々精気の痛あるよし、

随分保養を致気分次第出勤いたす様にと、

何事も御存なき體にて仰せ出し給ひけり。

そのゆるやかたる事、

半左衛門殿ありがたく御受申上、

家老衆よりも、

忠右衛門事兼ての器量を惜ませ給う故、

ゆるやかなる仰出され故、

随分ゆるゆる保養を加へ、

早く出勤有様との申し渡しに相なり、

人に人を差立尋られけれど一向に知れ給はず、

 

我(やつがれ 次郎兵衛)は先の頃、

主計様御他界頃より、

何に御出家の御志と存じ候故、

直ちに高野山に馳せ登り、

報恩院に墓参り候得とも見え給わず、

山中の寺々院々不残捜し求むれども見え給わず、

近国は手の届くだけ吟味をとげ候ヘども

御足跡知れず、

それより我は十一月十二日江戸に下り、

芝明神、浅草、その外人立多き所に、

御本家の御役人衆を頼みなされ候得ども、

一向に似たる人も見受けず、

詮方なく翌年二月廿五日に罷帰り、

斯と申上ければ、

半左衛門様御夫婦は勿論我母は別して愁歎限りなく、

御病身の御子を手一ツにて育て上まいらせ、

末を頼りに思いたるに残念さよと、

既に自害せんと迄致したりしを、

奥方より様々とどめ給いければ、思い留まりける。

それより止事を得す、

城彌太夫殿をもって、

御家老衆迄實意をもって、

亡命の事内達に相成候得共、

その趣を御達し申上げければ、

可致様なしとて、

精気の狂乱にて行方しれずと申すにぞ極まりけり。

内々には九月廿一日を命日と定め、

御追善を執り行い給いけり。

我の親次郎兵衛は御内證の世話に苦労仕居候が、

右、忠右衛門様行方しれずと申時より、

持病の疝積つよく度々起りけるが、

三年病床につき居、

六十九歳にて延宝二年三月終に相果て候。

我らその時迄は次郎吉と申居候得ども、

親殿より、直に次郎兵衛で改名下され、

母共々に半左衛門に相勤め申し候。

母は髪をおろし、

寿貞と門徒坊主より改め名つけられ候。

一つは御本家の江戸交代の時分は

御願い申候て、江戸に下り候。

一ツは忠右衛門様の御行方

見出す事もあらんかと存じ候て、

御供願い申候事に候。






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最終更新日  2020年06月16日 10時20分26秒
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