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2020年06月19日
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カテゴリ:武田信玄資料室

武田信玄~勝頼年表(『歴史読本』「武田信玄怒涛の53年」詳細資料年表 上野晴朗氏著)

 

元亀2年(1571)

1月 

武田勝頼、信玄の椎‡に入る〔甲陽軍鑑〕 

13 

 正月早々氏政の将北条氏繋の守る駿河深沢城を攻め、矢文をもって降伏をすすめる〔群書類従・深沢城矢文〕

17

 

 清逝なる法師へ熊野比丘年寄を申し付ける〔社記・寺記〕

111

伊那郡下伊那宿地下人にて駿河に参降した者の功をたたえ普請役を免除する〔工藤家文書〕

213

 駿河深沢城の攻略に功のあった金山衆の攻城のための坑道掘削をたたえ、分国の内にて諸商売一月に馬一疋の役、本棟別一軒、郷次の人足普請役など免許する。

信玄より感状をもらった金山衆は田辺四郎左衛門尉、芦沢兵部左衛門尉、中村段左衛門尉、保科善左衛門尉、古屋清左衛門尉、中村輿石衛門尉らである〔甲州古文書〕 

223

 河内の穴山信君、宗威軒に対し、宗安軒領を末代まで認める〔円蔵院文書〕

2

 二月十六日に甲府を発ち、富士の大宮に三日逗留、それより駿河の田中城へ移り、

224

同月二十四日遠州小山に向かい、能満寺城普請、三月初めに城東郡の高天神城へ働くという〔甲陽軍鑑〕 

36

 朝比奈駿河守に対して知行内の退転排梱の首姓の召返しを下知する〔甲州文庫本〕

310

 信玄の実弟、松尾民部少輔信是が病死する。母松尾氏〔飯田系図〕 

312

 穴山倍君、祖父信網の開基寺、下山の竜雲寺に対し三十貫文の寺領を安堵する〔竜雲寺文書〕

313

 松尾倍是の遺跡を河窪新十郎に継がせる〔武蔵金窪陽雲寺文書〕

314

 松尾民部少輔の老母に対して、信是に前々から渡していた塚原の内十貫文の土地を従前のごとく安堵する。

また残りの分は倍是の後室の堪忍分と定め、達する〔東京西村新家文書〕

317

 家臣秋山信友に命じて大島城を普請させる〔工藤文書〕 

326

 西上を強く意図する信玄は、軍勢の増強を図り、領内の有力郷民に軍役衆同前の扶持と棟別役等の免許を与えて参陣を命ずる〔甲州古文書〕 

3月初旬

 高天神城を攻撃、小笠原与八郎よく戦い防ぐ。信玄、馬を転じて遠州乾城に入り懸川の城、久能城等を僻見、いったん信州伊那の高遠城に馬を寄せる〔甲陽軍鑑〕 

41

 岩手郷の調衆玄仁、上野左近丞に命じ、岩手能登守の家九軒、湿井同心上野清二郎ら三人の郷役を免許する〔上野正家文書〕 

419

 伊那高遠よりふたたび三河に入り、四月十五日足助城を囲み、城将鈴木垂直降伏、この日、下条倍氏に足助城を守らせる〔甲陽軍鑑〕

419

 ふたたび三月二十六日、軍勢の増強を図り領内の有力郷民に軍役衆同前の扶持と棟別役等の免許を与えて参陣を命ずる 〔甲州古文書〕

4l

信玄勝頼父子、三河に入り、足助城を陥し、ついで菅沼定盈の野田城を隔す〔武家事紀〕 

421

 富士御室浅間社の神主小佐野越後守の祈祷の奉公を賞し、駿河須走浅間之宮、岡宮両社務を魚ずる〔富士御室浅間神社文書〕 

426

 成田の藤兵衛が武田方の密使として活躍、とくに甲斐・越中間を往復して功労があるため、平井の内にて六貫文の地を与える〔府中三日町六兵衛文書〕 

428

 信玄の帷幕に入った武田勝頼は、父に代わって登場するようになり、上杉輝虎牽制のために、この日、一向一揆の主将杉浦壱岐守に書を送り、三河の足助城を始めとして武田方に陥ちたことを報ずる〔遠山文書〕 

429

 足助落城のあと、主河の浅ケ谷、阿摺、大沼、田代、八桑などの諸城を陥す〔甲陽軍鑑〕

429

 

 三河の吉田城を攻め、来援に来た家康の兵と二連木に戦う。家康また浜松より来援し吉田城に入る。信玄は牛久保、長沢を掠めて去る〔寧石文書・治世元記〕

5月上旬

 家康領内を震撼させ、五月中に甲斐へ引き揚げ、いよいよ西上の準備をととのえる〔甲陽軍鑑〕 

517

 信玄しきりに軍備休勢の増強を図り、武具等を用意し軍役を勤めることを命ずる。いまその文書の残るものは渡辺豊前守、田中弥三左衛門、ついで二十六日の名前の者石原次郎三郎、横打奥三兵衛尉、田中弥八等である〔甲州古文書〕 

67

 父に代わって総軍の指挿、陣代を務めるようになった勝頼は、その代筆も務め、この日遠州犬居城主の天野宮内右衛門に書を送り、その劫労を賞す〔武家事紀〕 

8月昔日

 来る元亀三年・四年の両年、西上の途につくため、無二に尾濃三遠に干才を動かさんとし、分国内にその備え十カ条を触れさせる。跡部大炊助・原隼人助これを奉る〔甲陽軍鑑〕 

923

 真田昌幸、信玄の意をうけて上野に侵攻、上野白井城の長尾憲景を攻めて葬らす。信玄、この功績を賞す。あるいは九月二十六日ともいう〔長国寺殿御事蹟稿・歴代古案〕 

101

 信玄・勝頼と連名にて、越中の一向一揆の主領勝興寺宛に手紙を出し、西上作戦の計画に当たり、上杉輝虎の腹背を衝かせる計画を洩らす。文中とくに信玄の病気が記録されているのも珍しい〔勝興寺文書〕 

103

 信玄の良きライバル、北条氏康没す。享年五十六歳。嫡子氏政、父の遺言により上杉輝虎との同盟を断ち、甲相同盟復活する〔甲陽軍鑑〕 

1120

 海賊衆を伊勢で募る〔古今文集〕 

11

 信玄、末木の慈眼寺へ三番祈藤奉行を定め、七力条の祈蒔僧守則を出す〔慈眼寺文書〕 

1227

 北条氏政と改めて誓紙を交換する〔越後高梼家文書〕

12

 上杉輝虎、信玄の属城石倉城(前橋市)を攻略、厩橋城に入り、関東で越年する〔上杉家年譜〕

 

元亀三年(1572)

l23

 箕輪城将の内藤昌豊、榛名町神戸の戸榛名神社の神木伐採を禁ずる〔和田山・長野正夫家文書〕 

128

 信長の臣武井夕庵に書を送り、甲相和議実現を報じ、あわせて信長との交誼を図るよう述べる〔武家事紀〕 

1

 富士山麓の上富田村を雪しろの災害を避けるため、現在地に移し屋敷割を行なう〔新地割付帳〕 ①月 吉田村の新宿帳完成する〔甲斐国志草稿〕 

13 渡辺次郎兵衛尉に官途を与える〔渡辺昭男家文書〕石原権丞に官途を与える〔石原安太郎家文書〕 

23

箕輪城の極楽院に三力条の掟を下し、武運長久を祈念させる〔極楽院文書〕 

 

24

 信濃佐久郡の岩村田御家人衆に命じ、宿中の人に竜雲寺僧堂の上葺用萱を運上させる〔竜雲寺文書〕 

230

 佐久の竜雲寺を武田家分国曹洞宗僧録司とする〔竜雲寺文書〕 

35

 甲斐一宮と二宮の神主に駿河国富士郡押出村にて、それぞれ十五貫文の地を寄進し、・神主以下の装束をととのえ用意させる〔富士浅間神社・美和神社文書〕 

36

 甘利信康と金丸虎義らの上野白井城攻略の功を賞し、同国箕輪城に在番して海津城の春日虎網と密に連絡をとり、協力するよう命ずる〔金丸利八家文書〕 

311

 河内の穴山信君、帯金美作守に対し、酸州往還の渡し場の舟が破損し不自由であるので、郷中に命じ舟を造ることを下知する〔甲州古文書〕

317

 甲府析座の斉木助三郎に対し、別て細工等奉公するにつき、町次の普請役以下の諸役を免許する〔斉木直家文書〕

同日、若神子の御用鍛冶に御被官同前に奉公するにつき、諸役免許す〔伏見文雄家文書〕 

318

 宿老の山県昌景に合して軍団の軍役を改める〔陽雲寺文書〕 

326

 大氾濫があり、荒川の上条堰が決壌したので近郷の牛句、中下条、大下条、天狗沢、下方郷、宮地等の村々に修築を命ずる〔石原初太郎家文書〕 

3月吉日

 郡内の小山田借茂、甲相の和親が成ったため、富士参詣の導者が増加するので、山麓の御師衆に対し懇切倍義を尽すよう奉行の刑部新八郎に達す〔富士浅間神社文書〕

3

 信長に焼き払われた叡山のため、延暦寺僧徒の諸に応じ、伽監の再興を約する〔甲陽軍鑑〕 

47

 当壬申(元亀三)一年の間、越後上杉軍が信濃・上野を侵すことなく、信玄の西上作戦の本意が達せられるよう、法善寺付属の福寿院・普門院に法華首都の読安読誦を依頼する〔加賀美法善寺文書〕

48

 諏訪大社の御柱祭りで上社の一之御柱引きを諏訪郡北大塩上桑原南郷に命令する〔工藤文書〕 

411

 信州佐久の竜雲寺の住持全祝、信玄の要請により、千人法幢の準備を成す。以後一夏の間、参徒の修業厳密を要請する〔越後雲洞庵文書〕

518

 甲府長禅寺より信濃小県塩田に至る諸宿駅に命じ、瑞雲院の輿昇人足を出役させる〔村上文書〕 

520

 河内の穴山信君、成島の円蔵院領を改めて認知する〔円蔵院文書〕 

521

 渡辺兵部丞、小浜民部左衛門尉に対し、別て陣中の奉公を誓うにより、一月に馬三疋分、分国中に免許する〔甲州古文

書〕 

521

 海賊衆の小浜景隆の忠勤を賞し、一月に馬」三疋分、分国中の関所通過を免許する〔旧秋山村惣右衛門文書〕

523

 穴山信君に富士兵部少輔の扱いにて条目を与える〔河内領古文書〕 

63

 甲府枡座の斎木助三石衛門(助三郎か)の奉公を賞し、甲斐国衛にて五貫文を与える〔斎木直家文書〕

6月吉日

 信玄の重臣板垣左京亮信安、於曾郷のうち一軍一首文の地を富士御室浅間神社に奉納する〔富士御室浅間神社文書〕 

619

 信玄の正室三条夫人の開基による円光院の開山説三座元禅師に妙心寺宗植から名誉職の妙心寺再任の認可があり、続いて二十三日正親町天皇より勅講の輸旨、左中妨をもって下りる〔円光院文書〕 

74

 岩村田竜雲寺の千人法幢行の小宮山昌友が精励勤めたので、山梨郡萩原郷において官貫文を与える〔小宮山文書〕 

725

 信濃の一向宗正行寺、極楽寺、安養寺など石山本願寺門徒坊主衆に、筑摩郡の深志城普請以下の諸役を免許する〔正行寺文書〕 

726

 山城国の憂殊院門跡覚怒の斡旋により、故山より僧正に任ぜられる。覚恕にこれを謝し、信濃において土地と太刀を贈る〔彙殊院文書・延暦寺文書〕 

811

 北条氏政と協力、関東に出陣し、信濃高山衆の軍役を定める〔歴代青葉〕 

919

 駿河大宮在城衆の渡辺平左衛門尉、土橋彦次郎らにそれぞれ下方(富士南麓)において重恩として十貫文の地を与える〔巨摩部首文書〕 

926

 徳条の神八に対し、父源右衛門抱置く、鋲目の内四貫七首文を下し置く〔甲斐史料集成稿〕 

926

 織田陣営の美濃部上郡の遠藤胤勝に信州にて首貫文の地を約束して武田方に誘う〔古今消息集〕 

926

 信濃木曾の山村長利、信玄に内応し、飛騨の調略に励んだため信玄篤くこれを賞す〔山村文書〕 

928

 信玄信濃伊那郡の文永寺に九十三貫入官文の寺領を寄進する。文永寺別院を甲府に建設を計画する〔文永寺文書〕 

9

 夏秋にかけて軍議を開いて遠州・三河等の絵図をもとに西上計画を練る。陣備えの編成を行なう〔甲陽軍鑑〕 

929

別働先遣隊の山県昌凛出発〔恵林寺旧記〕 

103

 いよいよ西上の途に上る。盟友近江の浅井長政にこのことを報ずる〔御宿大監物長状〕 

1010

 伊那郡より青崩峠を越えて遠江に入る〔武家事紀〕 

10月中旬

 甲府を発ち遠州只来、飯田両城を陥し、御仕置あり、犬居城の天野宮内右衛門監墟州の定番よきように申し付ける〔甲陽軍鑑〕その後、二俣城を攻めてこれを陥す〔甲陽軍鑑〕 

1014

 遠江を安堵、社人の還住を命ずる〔白羽神社文書〕 

1028

 遠江周智郡可陸斎に高札を下す 〔可睡斎文書〕 

112

 遠江小笠原郡の幡鎌右近丞が信玄に降伏出仕、所領を安堵する〔木下文書〕

1114

 信玄の部将秋山信友、美濃岩村城を攻め、これを陥す〔武家事紀〕 

1119

 遠江小笠郡の華厳院に高札を下す〔牽厳院文書〕 

1120

 使僧玄東斎に思地七十貫を出置く。越前の陣に使者としてその口才を認められたもの〔記録御用所本古文書〕 

1120

 信長、越後輝虎の諦を入れ信玄と国交を断ち、信濃に攻め入るを約する〔歴代古案〕 

1124

 武田勝頼、初めて父の代権として駿州臨済寺に寺中定書を発給する〔臨済寺文書〕 

1126

 前恵林寺住持の希庵玄密没〔開善寺文書〕 

1222

 遠江三方ケ原に徳川家康と信長の援軍を破る〔甲陽軍鑑・歴代古案・伊能文書等〕 

1222

 三方ケ原合戦に戦功を上げた石原四郎左衛門尉に思地を与える〔東大史料編纂所影写本〕 

1227

 三方ケ原合戦に戦功を上げた依田新左衛門尉に対し一腰を与える〔依田泰八家文書〕 

1228

 三方ケ原合戦に戦功を上げた羽田主税助に対し、加恩の地二首五十貫文を与える〔羽田重雄家文書〕

 






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最終更新日  2020年06月19日 10時25分32秒
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