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2020年06月19日
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カテゴリ:武川衆資料室

武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社)

 

永禄10年 丁卯(156787

 六河衆(武川衆)の馬場信盈らが六郎次郎(武田信豊)を介し、武田信玄に起請文を捧げる。

〔懸紙〕

(ゥハ書)

「 青木 山寺 柳沢 六河衆

丁卯 八月七日

六郎次郎殿」(武田信豊)

馬場小太郎信盈 (花押) (血判有り)

青木与兵衛尉信秀(花押) (血判有り)

山寺源三昌吉  (花押)

宮脇清三種友  (花押) (血判有り)

横手監物満俊  (花押)

青木兵部少輔重満(花押)

柳沢壱岐守信勝 (花押) (血判有り)

        (上田市生島足島神社所蔵文書)

読み下し

    敬白 起請文

一 この己前捧げ奉り仮数通の誓詞、いよいよ相違致すべからざるの事

一 信玄様に対し奉り、逆謀叛等相企つべからざるの事

一 長尾輝虎を始めとし、御敵方より如何様の所得を以って申す旨慎とも、同意致すべからざるの事

一 甲・信・西上野三箇国の諸卒、逆心を企つと雖も、某(それがし)に於いては無二に信玄様御前を守り奉り、忠節を抽んずべきの事

一 今度別して人数を催し、表裏なく、二途に捗らず、戦功を抽んずべきの旨存じ定むべきの事

一 家中の者、或は甲州御前悪しき儀、或は臆病の異見申し候とも、一切に同心致すべからざるの事

右の条々違犯せしめば上は梵天・帝釈・四大天王・閣魔法王・五道の冥官、殊には甲州一二三大明神・国建・橋立の両大明神・御岳権現・富士浅間大菩薩・当国諏訪上下大明神・飯縄・戸隠、別しては熊野三所権現、伊豆・箱根・三島大明神・正八幡大菩薩・天満大自在天神の御罰を蒙り、今生に於ては癩病を享け、来世に到りては阿鼻無間に堕在致すべきものなり。仇って起請文件の如し。



解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)

 六河衆連署のこの起請文を含む八三通の武田将士起請文は、これら以外に生島足島神社に所蔵される一一通の文書と共に、昭和六二年六月六日、国の重要文化財に指定され、その重要性を国により証明された。六河衆は武川衆の当時における別称である。巨摩郡北部の釜無川上流一帯に勢力を待った在地武士団で、地名を苗字としている者が多い。

 六河衆の起請文は、本紙と包み紙とから成る。本紙を折りたたみ、大型の良質の和紙(これを懸紙という)で包み、その上下を折り曲げ、

「上

  青木

  山寺  六河衆」

  柳沢

というように記す。これをウハ書という。本紙は紀州熊野三社からもたらされる牛王宝印を捺した牛王統である。牛王紙の裏に起請文が書かれる。その書き出しには、「敬白 起請文」とあり、行を変えて誓約事項を箇条書きに記している。その内容は、

これ以前に捧げ奉った数通の誓詞について、これからもますます相背くことはしないこと。

信玄様に対し奉り、道心をいだき、また謀叛を企てることはしない。

長尾輝虎をはじめ敵方より、どんな所得(利益)をもって誘われても、同意はしないこと。

甲・信・西上野三か国の諸卒が逆心を企てても、私は無二に信玄様をお守り申し上げて、忠節を尽すこと。

この度は、ことに多くの部下を動員し、かげ日なたなく、二途に迷わず、ただひたすら戦功に励む決心でいること。

家臣の者が、甲州のために悪いようなことや、臆病な意見を申しても、それらに一切同意するようなことは致さないこと。

と、いうもので、どんな場合でも信玄様に忠節を尽して励み抜く、と誓った六か条の誓約事項である。

 次に神文の形式であるが、「上梵天・帝釈・四大天王…」と書き出し、冥界支配の閻魔・五道冥官(五道の衆生の罪を裁く冥府の役人)、それに甲州で一宮・二宮・三宮、国建・橋立両神、御岳・富士浅間社、信州で諏訪上下大明神・飯縄・戸隠、熊野・伊豆・箱根・三島、八幡・天満天神など、二〇社に近い著名な神社を挙げ、前記の誓約事項に違背したときは、これら仏神の罰を蒙るべきことを記したものである。

 次に署名者七名の在所であるが、

馬場小太郎信盈が白須村、(白州)

青木与兵衛尉信秀・同兵部少輔重満が青木村、(韮崎市)

山寺源三昌吉が山寺村、(韮崎市)

宮脇清三種友が宮脇村、(武川町)

横手監物満俊が横手村、(白州町)

柳沢壱岐守信勝が柳沢村とみてよいであろう。

(山寺昌吉は、のち武田郷鍋山村に移った)。

 六河衆起請文に連署した七人の名は、江戸初期に編纂されるそれぞれの家譜(系図)には全くあらわれない。たとえば、柳沢吉保の家譜に壱岐守信勝の名は見えない。柳沢家譜において、永禄10年前後の当主は靭負信房で柳沢斎と号するが、格別の事績も記されていない。

 また青木氏の場合も兵部少輔重満・与兵衛尉信秀、ともに同氏の家譜に見えない。同氏は武川衆中での名門で、天文1012月、青木尾張守満懸は、武田八幡宮本殿造営に際し、板垣信方・浅利虎在らと小檀那を奉仕した(同官別当加賀美山法善寺旧蔵本殿棟札写)。この事件は、武田晴信が父信虎に代って甲斐守護になった年のことで、名誉ある本殿造営の大檀那は信自身であった。

青木満懸はその小檀那で、青木氏一門にとり、この上ない名誉の出来事であった。それにもかかわらず、同家譜には満懸・重満・信秀の名は全く記されていない。

 以上のことから考えて、武川衆諸氏が江戸期に幕府に提出したそれぞれの家譜は、武田時代の事績を忠実に記載したものではなく、同族で合議のうえ、無難な記事だけを記して提出したものと考えられる。

 






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最終更新日  2020年06月19日 19時45分15秒
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