カテゴリ:松尾芭蕉資料室
名家史傳 松尾芭蕉
名は宗房、初め金作と称し、 後、甚七郎と改め、 最後に忠左衛門と称す。 風羅坊、桃青、羽翁、釣月、羊角の数号あり。 松尾氏伊賀阿拜郡の人 津侯に仕える。 幼にしで頴悟長して老荘禅学を修め、 俳諧を好み、北村季吟に学ぶ。 西行の風調を慕い、夙世の志あり、 竊に請う一功を樹て、去らんと會。 藤堂侯命を受けて、 江戸小石川の水路を修む。 工夫を董して功を成し、 即日病と称し、暇を告げて去り。 庵を深川に結び、髪を剃りて、 夭々軒桃青と称す。 時に延宝八年、歳三十七歳。 天和三年深川に火起こりて、 庵は焼失する。 後、甲斐・駿河の間に歴遊し、 後ち深川に戻り、一室を造りて居る。 芭蕉一株を植える。 年を経て茂殖繁衍する。 (衍=はびこる) 桃青愛翫、遂に以って号と為す。 貞享四年、秋、鹿島に遊び、 明年大和を巡り、 元禄二年、陸奥に往き、(奥の細道紀行) 元禄七年秋伊賀に在り、 大阪を歴て南都に赴かんとす。 十月十二日病みて大阪に歿す。 年五十一歳。 芭蕉、俳諧に於いて其妙所を極め、 業を受くる(門人志望)者門前市をなす。 爾来俳諧の風は一変すと云う。 傍ら画を嗜み、 門人森川許六に学び、 雅致を旨とし、墨画多し。 彩色のものは概ね淡彩のみ。
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最終更新日
2020年08月10日 10時35分20秒
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