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2020年08月24日
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カテゴリ:俳諧資料室
飯田太論 五十代の句を中心に

酒井弘司氏著『俳句』掲載記事

飯田龍太の句の魅力はなにか。

一、

ここでは、この十年間の近業を中心に論をすすめることが目的であるが、いま、初期の句から最近作までを通読しておもうことは、俳句の属性----季語、切字といつた伝統を守りたがら、意思的な新風への試みをとおして、清新な叙情空間を現出してきたところに、その魅力を見ておくことができる。また、自然と人間によせる、まなざしの強さと深さをおもう。そこから見えてくる句の世界は、勁(つよ)く端正なことばによつて構成された叙情空間である。

それにしても、飯田ほど一貫して自己の俳句の世界に潔癖に固執してきた俳人も、また、めずらしい。いま、「俳句」昭和三十一年四月号での特集、「戦後新人自選五十人集」をみても、

紺絣春月重く出でしかな

を冒頭においた五十句の世界は、近年にたるにしたがつて人生の重みをくわえつつ、自在な境地に推移してきているものの、鋭い感覚の冴えは、そのまま今日の飯田の句の世界につながつている。

「戦後新人自選五十人集」の戦後台頭した当時の三十代の誰彼をおもうにつけ、飯田の句のもつ位置の明確さは、他をぬきんでるものがある。

戦後の俳壇の作風の特徴をひと口に云ふと、表現が乾いたことではないかと思ふ。(「俳句」昭和31・6)(難解俳句が)将来平明にたつて堕作になる例を見ないのだろうか。父叉、平明が年を経て「難解さ」を加える作品の姿を知らないのだろうか。(「俳句」昭和34・2)といつた発言は、杜会性俳句から前衛俳句へむけての喧躁を冷静に凝視しながら、自らは、俳句の骨法をもつとも正攻法できわめ、その堅牢な俳句形式に対時して、清新た叙情空間を構築してきた姿勢を如実に示している。

ここでは、十年問の近業を見ていくためにも、飯田の二十代から四十代にかけての句を、それは、ちようど青春の時期から中年にかけての句といつてもよいが、骨格だけ見ておくことにしたい。



春の鳶寄りわかれては高みつつ   『百戸の谿』

鶏?るべく冬川に出でにけり

紺絣春月重く出でしかな

露の村にべみて濁りなかりけり

春すでに高嶺未婚のつばくらめ

いきいきと三月生る雲の奥

大寒の一戸もかくれなき故郷    『童眸』

雪の峰しづかに春ののぼりゆく

渓川に身を揺りて夏来るなり

月の道子の言葉掌に置くごとし

高き燕深き廂に少女冷ゆ

春風が消えにはとりも暗くなる

夏の雲湧き人形の唇ひと粒     『麓の人』

雪山のどこも動かず花にほふ

手が見えて父が落葉の山歩く

紙ひとり燃ゆ忘年の山平ら

碧空に山するどくて雛祭

緑蔭をよろこびの影すぎしのみ

落葉踏む足音いづこにもあらず   『忘音』

父母の亡き裏口開いて枯木山

寒茜山々照らすにはあらず

寒の汽車すばやくとほる雑木山

子の皿に塩ふる音もみどりの夜

春暁の竹筒にある筆二本

雲のぼる六月宙の深山蝉      『春の道』

一月の川一月の谷の中

近づいて冬雨ひびく山の家

雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし

銀鼠色の夜空も春隣り

青竹に何の白旗夕野分



ちようど、この青春の時期から中年の時期にかけて、飯田は五冊の句集をもつたことにたる。



『百戸の難』(二十六歳~三十三歳)、

『童砕』(三十四歳~三十八歳)、

『麓の人』(三十九歳~四十五歳)、

『忘音』(四十五歳~四十八歳)、

『春の遣』(四十八歳~五十歳)

という、それぞれの時期に書かれた句が収録されている。



処女句集である『百戸の谿』では、青春の欝屈した情感を鋭い感性で捉えているが、青春とのわかれへの情もその底流に重く感じられる。若書きであるゆえの魅力ある句が多い。

『童眸』は、中年をむかえ、家郷を負うこと、その家郷の白然と人に俳句を書く視座を、いつそう強めていつた時期といえよう。句は柔軟さをまし、また大胆さもみられるが、句の形姿は、まだどこかゆれている。『百戸の谿』の句が、天性の詩質をもとに書かれたものであるとすれば、『童眸』は意図して白らの句を書こうとしていつた時期といえよう。ことばも、まだ混濁の跡をのこしている。

『麓の人』の時期は、飯田の句が独自な形姿を確立した時期といつてよい。ことばは鮮明さをまし、事物によつて存在感を透明にきわだたせようとする姿がみられ、清澄なリズムが全体から感碍される。

『忘音』の世界は、『麓の人』の時期に確立したスタイルを、より平明に事物とのさりげない交感をとおして見せてくれた時期であり、

『春の道』は四十代後半にかかつての句であるが、大方は平明の境地へ、自然をまた、新たな眼で把握しなおそうとする姿勢が窺知できる。

それにしても、青春の時期から中年の時期にかけての句を収録した五冊の句集をならべてみて、『百戸の谿』から『春の道』にいたる句集の題名は、飯田の来し方の精神風土を、見るおもいがする。

『百戸の谿』は、生家を継ぐべき宿命の家郷甲府盆地の南東にあたる谷間の集落を指すものであり、『麓の人』も『春の道』も、家郷へよせるおもいが十分にこめられている。

『童眸』は、第二子を亡くしての鎮魂の騒が、

『忘音』には、父につづいて母を亡くした痛切なおもいが、それぞれある。

とすると、飯田の句の背景には、家郷を中心にひろがる自然へのおもいと、絶ちがたい業で結ばれた肉親と周辺の人共へのおもいが、つねに交錯してある。それだけに見たり感じたりすること----日常性を核にして、その日常性の機徴を発想の契機にする俳人としての形姿が、いつそうあざやかに見えてこないか。


炎天に筵ん他たたけば盆が来る

炎天は夏の季語だ。盆は秋の季語である。季の約束に従うと、そこに矛盾があるが、実景に即したい。盆は新旧いずれに拠るとしても、炎天は実在する。実際は近辺の風景であるから、前にも記したとおり、七月の新盆である日文字通りの炎暑だ。(『自選自解飯田龍太句集』昭和43)

自解を読んでみても、実景に即す日常性を大切にする俳人であることが首肯できる。俳句の伝統としての季語を守りながら、ことばとして詩語として促えようとする指向が、そこにはある。

また、「私は山国の早春が好きだ。空のいろがいい」。(「朝日新聞」昭和47・2・12)といつたエッセイの一端は、自然の推移に眼をこらして、その機徴を精神を集中して掬いあげるという、季節を書く俳人----季節の徴妙な変化を生かし、季節の匂いや手ざわりを感得することのできる俳人であることをうかがわせる。そのためにも季語を遵守し大切にしていく、季語を約束としてではなく詩語として生かしていこうとするあたり、ことばに対して覚めた眼をもつた俳人でもある。





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最終更新日  2020年08月24日 08時37分18秒
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