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2020年08月27日
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カテゴリ:富士山資料室

富士見三景めぐり 西行坂(大正六年)

 

野崎左文氏の著はせる『日本名勝地誌』を紐解きて、臥遊を認すこと久し。

その甲斐国南巨摩郡萬澤村西行坂の僅に、富士見三景の一とあるを見て、遊意動く。また甲斐國南都留郡御坂峠の條にも富士見三景の一とあるを見る。残りの三景の一は何處にかと、残る隅なく『日本名勝地誌』に眼を通したれど、見当たらず。遺憾に思ひつゝも、空しく十数年を過ごせり。

 一日ふと『山梨鑑』を紐解き、その名勝の部を見しに、嬉や嬉や、『日本名勝地誌』に漏れたる三景の一現はれ出でたり。即ち甲斐國北巨摩郡日野春村より䑓(台)ケ原に通ずる路筋の花水坂これ也。斯くて富士見三景は悉く判然せり。判然すれば却って心落付、往いて見むと思ひつつも、斯かる程に、身延鉄道創まり、東海道線の鈴川駅と岩淵駅との間に、富士駅出来て、汽車が宮に通じたり。更に進んで芝川に通じたり。この夏はなお進んで、十島に通じたり。今や西行坂はこの十島駅より僅に数町以内に近寄れり。

 夜汽車に乗り、月の光に箱根山を潜り抜けて、午後四時、富士駅に達し、直ちに身延鉄道に乗換える。一天霽(は)れ渡れり。正面より少し右手に当たりて、富士の全体近く鮮か也。雄視すと云ひても物足らず。東海の天に君臨すとでも言わまほしき心地す。大宮を過ぎて、富士後ろになるかと思ふ間もなく、右手に見ゆ。土地高くなりて、富士従って高し。富士またも後ろになりて、記者は富士川の峡谷に入り、富士川を左に見下しつゝ芝川を経て、十島に達す。

 駅を出でて、青年會の木標の数ふるまゝに左折し、線路を過ぎてまたも左折して渡舟に乗る。舟夫、棹を用ゐず、銅線をたぐりて、舟を進む、『西行坂はどのあたりにや』と舟夫に問ひしに、一人の洋傘さしたる同舟の男、素早く差出でて、『それは富士見三景の一なり。彼處なり』と、無造作に前方数町の外なる二三の松樹の立てる小山の頂を指す。愚かや、甲州人士には斯くばかり一般に知れ渡りたる富士見三景を、余は十数年もかゝりて、空しく書籍の上に捜したりし也。

 西行と称する小部落の人家の間より左折して山田に入り、二町ばかりにして右折し、小橋を波りて、山路に就き、僅に五六町上れば、早や頂上也。古松四株、二株づつ近く相接し、一方の二株、他の二株と相対して、関門の観を成す。石屈ありて、観音を安んず。富士はと見れば、丸味を帯びたる山と山との間に五六合以上を露はす。その頂は普通画に見るが如く、三峯分立す。雪を被らば、観音更に美なるべし。造化の奇を弄すらも、亦甚しい哉。上流を見れば、禧士の村落、川に接し、その左手の上に篠井山巍然として天を衝く。下流を見れば、十島、萬澤の村落川を挾み、右手に白烏山温呼として立つ。富士なくとも、心ゆく處也。況んや萬斛の涼気、松籟に和して涌くをや。県道ここに通じたりしが、今や新道富士川に接して、山麓をめぐる。あたら奇景も、土人の外には見る人もなし。されど身延鉄道延長して、西行坂は十島駅より数町以内の勝地となれり。ゆくゆくは身延詣の風流を解すらもの、ぼつぼつ歩を枉ぐるに至るべき成り。






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最終更新日  2020年08月27日 20時57分53秒
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