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2020年08月30日
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カテゴリ:俳諧人物事績資料

荒木田守武 昭和7年 『俳諧史上の人々』 復刻

    著 高木蒼梧氏著

編 山梨 山口素堂資料室

 

元朝や御代の事も思はるゝ

 

俳句の何たるを知らぬ人の口にも膾炙するこの句の作者守武は、伊勢内宮の神官、通称中川平太夫。

晩年の位階は正四位上であった。

父を守秀と云い母は藤浪氏経の女、宗艦に遅れること八年、

文明五年その九男に生れ、

翌六年九月二十日、五位に叙され、

同十先年二月二十日祢宜に任せられ、

天文十年六十九歳の時、一座に転じ首席となったこと、

薗田長官と号した。

 

博学にして風俗の志が厚かったので、宗鑑・宗長・宗牧など屈指の連歌師等とも交際があり、また当時和歌・連歌壇の中心人物であった内大臣三條實隆公とも往来があり、連歌はかれの長所であった。

曾て或る連歌の席に出たところ、一座みな法體の人ばかりであったので、

    お座敷を見ればいづれも神無月  守武

即ち「神無」を「髪無」にかけて一句やったのである。その時、

    ひとり時雨のふる鳥帽子着て   宗祗

と脇を附けたという逸話がある。

 

彼はまた連歌の煩わしい拘束を破って、俳諧の新天地を開拓した先駆者である。

宗艦も十七文字の一句でなく、俳諧の淫欲といふものをやってみたいとの考えを持っていたが、守武はついに千句つらねて、俳諧の連歌に成功した。守武千句は即ちそれである。かれは明かに「心にまかせん」と云い、春秋二句むすびたる所あるのも顧みず、ただ薄く濃く打まぜて、一巻の変化にのみ着眼し「さし合も時代によるべきにや」と云って、全然上代の法式を否定したのである。

斯く云えばとて、決して出放題のものではない、その時はまだ俳諧千句の式が定まっていなかったので、洛の宗匠周桂に問合せたところが

「汝こそ之を定めよわれこれを用ゐん」

といふ返事に接したので、宗祗法師の百韻を鑑として、それに自己の了管を加えて行っている。

千句の立句は、

 

  飛び梅やかるがるしくも神の春 

  青柳の眉かくしきのひたい哉

  花よりも鼻にありける匂ひかな

  鶯のむすめか鳴かぬ時鳥

  絵合わせは十二の骨の扇かな

かさゝぎやけふ久方の雨の川

にしきかとあまめに細き小萩かな

なのりてやそもそも今宵秋の月

  氷らねど水ひきとつるくわいし哉

  から笠やたゝえかゝみのけさの雪

 

縁語を使い、古歌の語句を取ったものが多い。

その最後に、

  天文九年時雨ふる頃

といふ句があるので、かれが六十八歳の時であり、宗祗の『犬筑波集』が出てから、二十六年ほど後のことである事が知られる。

 

かれはまた大永年間に

  

世の中の親に孝ある人はただ

  何につけてもたのもしきかな

   あにおとゝとうやまひをなしはくゝむは

  誰れもかくこそあらめ世の中

 

のやうに、一首毎に「世の中」という文字を入れた歌七百首詠み、世の中百首と云って児童の教説とした、世人はこれを尊び伊勢論語などと云い、後世それに註解を加えた書物なども出ている。

なおこの世の中百首の版本には守武の系譜が付いて居て、少なからず参考になる。

 守武千句の跋に

 

さて俳諧とて、(みだ)りに笑はせむばかりは奈何、

花實を具ヘ風流にして、しかも一句正しく、

さておかしくあらむようにと、世々の好士の教なり

 

と云っている事により、俳諧に対するかれの見識が窺い知られる。この跋文を解釈してみると、

 

俳諧は唯滑稽頓智を旨とし人の願を

解かむ事のみを本領とすべきか、

否々いやしくも詩歌の一體である以上、

その内容としては花実を具え・・・

花なき句は異彩なく、霞なき句は空虚である・・・・

風流が無くてはならぬ、

内容が斯く完備しても、

姿形が正しく整って居らねばならぬ、

その上先人の云いふるした事は感興を惹かぬから、

おかしくあらんように、

即ち興味あるものでなくてぱならぬ・・・・

 

と云うのである。

まことに至当の言論、立派な俳諧談である。

厳正謹直な性格の上に、このような俳諧観を持っていたかれの作品は、滑稽は同じく滑稽であっても、

豪放磊落ようやくすれば卑野猥雑に陥らんとする宗鑑の作品に比較すると、よほど品のよい所がある。

 

落花技にかへると見れば胡蝶哉

夏の夜はあくれどあかぬ瞼哉

あかつきの秋しぐれかなあはれ哉

茶の水に我と蓋する氷かな

 

 天文十八年八月八日七十七歳にて歿した。墓は伊勢國宇治山田市浦田町今北山麓の荒木田家の墓地に、

下記のように彫った小さな五輪塔がある。

 

 天文十八年

守武

八月八日

 

家は建換えられても、位置は変わらず、そこに守武松という一株の老松がある。

昭和七年九月八日、伊勢の有志により、記念碑が建てられた。

   

こし方もまた行末も神路山

    峯のまつかぜ峰の松風

朝顔に今日は見ゆらん我世かな

 

 普通に辞世として伝わって居るのは右の歌と俳句とであるが、

廣野集に「末期に」と題して別の句が載って居る。

それに就て其角が、

    

廣野あら野に俗世とあり 

   散花を南無阿陀物佛と夕べ哉  守武

 

  彼集のあやまりか、神職の辞世として、

 

何ぞこの境をにらむべきや、

只嗚呼と歎美してうちおどろきたる落花か。

 

と不審がつて居る。歌の方も、

   

 神路山わがこしかたもゆくすゑも

  みねの松かぜ峰のまつかぜ

 

といふのが随齊諧話などに載って居る。






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最終更新日  2020年08月30日 23時04分51秒
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