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2020年09月29日
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カテゴリ:山梨県俳句資料室

『峡中俳家列伝』 村松露融(蘆洲)

 

  甲斐志料集成 

  一部加筆 山梨歴史文学館

 

峡南の市川平塩岡は、國祖義清が舘居して以て建業の基を肇めた處であるが、義清の次子清房市川内膳、別当と将して表門神社に仕へて其の宮司を勤め、其の次子定房は故あって伊勢國村松の庄に食みしが、後故郷に復りて帰農し、村松を姓として平塩岡に居住した、其の後五代定武に至り、紙を漉く事を創めて是を家人に教えた。其の予定良、製紙用水の乏しきを憂いて、下で大門の寄洲に移居した、而後武田氏の御用紙上達を承はり、是を定安・定則に伝え、定則の代、徳川家が武田氏に代って國主となった、けれ共、同じく御納戸御用を命ぜられ、諸役に秤免許の特典を蒙り、天E十九年四月には、亦四奉行より棟別免許の黒印を賜り、並に称氏佩刀を許された、其の後数代を経て、呉左衛門定好なる奢嫡流として其の後を襲うた、定好學に篤く、和歌及び俳諧を好み、楮堂亦露融と号し、別に好山亭と称え、諸国を遊歴して其の行程を記し、祖翁(芭蕉)の奥の細道に擬えて、「千代のふる道」と名付けた。写本が古色蒼然として今に伝わって居る、集中録する處の俳句は、

 

明和二酉年卯月酉國三十三ケ所の霊場を廻らんとせし時の首途

 

永き日やけふを千里の足固め

春とても旅はあはれや夜鳴石

   參宮

  御手洗や水かみ清く松桜

  陽炎や波にも燃ゆる日高川

夏ちかし風も南に紀三井寺

   高野山女人堂に至りて

  行春にうつろふ色や姫つゝじ

壺坂や若葉のうへは都卒天

   日枝(比叡)山

夏山やそことも知らぬ鐘の聲

   妓王寺

青肌のあたまも床し芥子坊主

   楠公墓前

ものゝふの義は末代や鉄錢花

   敦盛塚

  蜘蛛の子のちるや草葉に朝嵐

橋立や空にも渡すほとゝきす

   多賀

朝露の和光もすずし神の庭

   谷渡寺にて

笈摺をぬくも・うれしや夏の旅

   木曾義仲舊地

城あとや朽木も光るさつき雨

   帰庵

五月雨やはれて笠おく旅戻り

 

等の如く、何れも美濃風の諧調を帯びて居る處から稽へて見ると、美濃派の俳風が山道を東進しつゝ峡中に戦中に分流した時に、早くも是を捉って以て峡中俳壇の先がけを為したものと思われる。

露融が亦和歌に堪能であった事は、種々の遺跡に依りて知る事が出来る。寛政三辛亥年五月五日易簀した。其子定基其の遺業を継いで、是を廣定・定包・基廣に伝え、以て當代の定彰に及んだ。定彰通称志孝、蘆洲と号して詩を好み、篤學の士として普く其學才知られて居るが、未だ春秋に富で居るのを以て、今後大に大成して以て祖先の名聲を願揚するであろう。






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最終更新日  2020年09月29日 10時35分50秒
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