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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月19日
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カテゴリ:俳諧資料室
俳句歳時記 【正月】
 
『図説 俳句歳時記』
編者 角川原義
 発行 角川書店 昭和40・12・25
  一部加筆 山梨歴史文学館
お正月 祝月 元月 呢(じつ)月(げつ) 端月 はづき 初月
はつづき 嘉(か)月(げつ) 王(おう)月(げつ) 上月(じょうげつ) 泰月 謹月
征月 陬(すう)月(げつ) 年端(としは)月(づき) 初春月 暮(くれ)新月(しづき) 初空月
霞(かすみ)初月(そのつき) 太郎月 初見月 年待月 とらの月
早(さみ)緑(どり)月(つき) 子(ねの)日月(ひづき) 三陽(さんよう)月(げつ) 三微(さんび)月(げつ) 端(たん)正月(しょうがつ) 年初(ねんしょ)月(げつ)
正陽(せいよう)月(づき) 王(おう)春(しゅん)月(げつ) 春(しゅん)正月(しょうげつ) 人(じん)正月(しょうがつ) 王春 初春
新春 孟(もう)春(しゅん) 上春(じょうしゅん) 早春(そうしゅん) 開(かい)春(しゅん) 発春 首(しゅ)歳(さい)
初歳 献歳 主月歳 年初(ねんしょ) 初節(しょせつ) 青(せい)陽(よう) 孟(もう)陽(よう) 上陽(じょうよう)
正陽 新陽 初陽(しょよう) 孟陬(もうすう) 履端(りたん) 大簇(おおそう) 始和(しわ)
解凍 王正 月(げっ)正(せい) 天(てん)正(せい) 地(ち)正(せい) 人(じん)正(せい) 初正(しょせい)
夏(か)正(せい) 春(しゅん)孟(もう) 春首(しゅんしゅ) 歳首(さいしゅ) 歳(さい)始(し) 歳初 流行(はやり)正月(しょうがつ)
  解説 
一年の最初の月である。正月はショウとよめば一月のこと、セイゲツとよめば正陽の月、すなわち四月の異名にする。正一字のみでも、歳首第一月を意味する。
元月は、はじめの月の意。昵月は、親しみむつむ月、すなわち睦月を言い換えた語で、和製の漢語であろう。
端月は秦の始皇の諱が政であり、正と同音であったところから、はばかって端月としたもの。端ははじめ。王月は、王者がまさに居るの意で、王春、また王春月と同じ。
王春は周王の春を意味し、天下の一統をいう語。『春秋』の隠公元年の条に「元年春、王正月」とあるより、正月の異名に王月、王春月という。泰月は大いなる月という美称。
謹月は神ごとに服すべきが正月であるから、身をつつしむべき月の意であろうか。征月も、秦の始皇の名の政を避けてアクセントの違う征の字を用いたもの。
陬月は『爾雅』に「正月為陬」とある。
 年端月・暮新月は『莫伝抄』にそれぞれ用例をあげてあるが(考証欄『滑稽雑談』参照)、同書は偽書とされている。
初空月・霞初月・初来月などは、『蔵王和歌集』に証歌があるが、この集も『莫伝抄』と大同小異の個所を有し、二条良基撰とする説は疑わしい。
太郎月は正月を擬人化した名。年待月は宗碩の『藻汐草』に見える。
とら(寅)の月は、正月を寅位の月とするところからいう。
早緑月は『秘蔵抄』に貫之の歌を証歌として揚げてあるが、同書も偽書であり、この歌も『貫之集』その他に見えぬので疑わしい。
 子日月は、正月の子の日を祝う風習が平安時代に行なわれたことに基づいて呼んだものだが、後世に作られた擬古的呼称らしい。この例ばかりでなく、正月の異名のうち和語によるものには擬古的造語が多い。また漢語のものにも、わが国で作られたものがあるようであり、また誤って用いられているものもある。たとえば正陽月のごときは四月の異称であるのに、正・陽の各字が正月や春に関係があるところから、正月の異名とするごときである。
三陽月・三微月は、三始の月ということから三の字を用いたものか。三始は、年の始め、月の始め、日の始めすなわち元旦をいう語である。人正月は後出の人正を参照。
 初春以下首巻まではいずれも春の始めの意。献春も春のはじめをいう。首歳以下年初までいずれも年の始め、またその美称。
青陽は春の異称。五行説では青を春に配するからであるが、実は青陽は正月に限らず、むしろひろく春の意に用いられる。
孟陽は陽春のはじめ。上陽・新陽・初陽も同じ。孟陽は前出のごとく、陬(正月)の始めをいう。
履端は暦の始め、また正月元日の称。
大簇は中国の十二律の一で、十二律を各月に配するときは、正月寅に大簇を配する。
大簇の名は、大いに臻(いた)る、すなわち正月は万物生じ陽気発するときであるから大簇というのだとされている。
解凍は『礼記』に「孟春の月、律は大簇に中(あた)り、東風凍を解く」とあり、七十二候の孟春月(一月)の初候を「東風解凍」と名づける。
王正は王月に同じ。
月正は正月の倒語。
天正・地正・大正は、それぞれ王朝による正月の相違を表わした語。中国の夏の朝においては寅をもって正月とした。これを人正という。商(殷)の時代には丑をもって正月とし、これを地正、周の代には子をもって正月とし、天正と呼んだ。
夏正は夏の王朝が用いた暦の名。寅の月をもって歳首としたので、転じて正月をいう。
(鈴本堂三)
 新年を迎えた月だが、冬の最後の月でもある。月の始めに寒に大り、なかばすぎには大寒となり、正月のほとんどは寒の内である。
【正月の天気】
来る日も来る日も配達されて来る新聞の天気図は西高東低型で、ときおりそれがくずれたときにだけ
暖かさを感ずる。
 日本全体からみれば、正月のうち太平洋側は乾燥晴天、日本海側は湿潤多雪と対照的である。気温も北と南ではひどく違い、伊豆や四国、南九州ではお花畑にスイセソなどが咲きみだれるが、北国は二重窓の家屋の中で暖房が昼夜兼行で続けられる。
正月は太平洋側に火事が多い。
【考証】
◎ 『花火草』(寛永一三 1636)に部立名として初出。
異名として、『毛吹草』(正保二 1645)連歌四季之詞に「む月・むつみ月・祝ひ月」、
◎ 同俳諧四季之詞に「青陽・太郎月」、
◎ 『世話尽』に(明暦二 1656)に「履端・蒼天・孟春・大賢・王春・端月・子月」、
◎ 『増山の井』(寛文三 1663)に「青帝・陽春・東君・詔光・王春月・初陽・陬月
・更正・はつはる月・かすみそめ月・寅の月」、
『鼻紙袋』(延宝五 1677)に「初空月・初見月・子の日月」、
『番匠竜はなひ大全』(元禄四 1691)に「初子月」、
『しをり萩』(元禄五 1692)に「さみどり月」、
『寄垣諸抄大成』(元禄八 1695)に
「歳初・啓年・新暦・条風・青達・歳始・歳首・芳春・規春・三陽・発春」、
◎ 『滑稽雑談』(正徳三 1713)に「孟陽・履新・年端月・暮新月」
◎ 『通俗志』(享保元 1716)に「大暭・勾芒」、
◎ 『改正月令博物筌』(文化五 1808)に
「献春・開春・上春・発歳・新湯・謹月・年待月」を各初出。
『山の井』(正保五 1648)に
「すべて正月は世のつねに変ることのみぞ多き。貝を嫁が君と呼び、
生鼠を俵子と名づけ、朝夕の寝つきつをも
〈いねつむ〉〈いねをさむ〉など言ひ、なほ〈ひらぎまめ〉〈いものかみ〉
などやうに言ひつけたることわざ、ことごとしるすもうるさければなん、
思ひ出でて句にしつらねば、そのことの聞きにくからず、
あまりに談しからぬをぞ言ひはべるべぎぞや」。
○ 『増山の井』に
「立春の後十五日、雨水の節の初昏に、斗柄、寅の方にさせり。
ゆゑに……寅の月……ともいふなり。
寅は夏の世の正月とて、夏正とはいヘり。
十二律の大簇、この月に准れば、大簇ともいへり」。  
『日次記事』(貞享二 1685)に
「正月、節を立春といひ、中を雨水といひ、律を大簇となす。
この月を陬(すみ)月(つき)といふ。およそ、この月ならびに五月・九月は凶月なり。
ゆゑにかへって祝月と称し、俗間これを祝す。中華にいはゆる善月なり」。
『日本歳時記』(貞享五 1688)に「論語大全に、新安の陳氏が曰、
一月といはずして正月といふは、王者正に居るの義に取る。
尚書正義に日、正を長と訓ずるなり。
五節俎に曰、一月をもって正月とすること、唐虞よりすでに然り。
評は正月をもって終りを文祖に受く。
『年中故事要言』(元禄一〇 1697)に
今月を正月といふは、(中略)字彙に曰、元は大なり。
また、善の長なり。また、首なり、始なり。人君極を立て年を改む。
一年といはずして元年といふ。毎歳首月を、一月といはずして、正月といふ。
正月一日を元日といふ。
けだし、人君、元に体して、もって正に居らんことを欲す。(中略)
舜典にもまた日、月正元日、舜、文祖に格(いた)る。
蔡舜が註に、月正は正月なり。元日は朔日なり。
しかれば蔡舜の代にすでに正月元日といへる名ありと見えたり。
○ 『俳諧新式』(元禄一一 1698)に、
「太郎月といふは、人の子の先に生まれたるを太郎といひ、
次に生まれたるを次郎などいふにたとへて、
一年のかしらなるゆゑに、太郎月の名あるか」。
『滑稽雑談』(正徳三 1713)に
正規宝典に云、正月を端月となす。秦、正の字の諱を避く。
ゆゑに端月といふ。
始泉の名は致、同音をもってのゆゑにこれを避く。〔異名〕
(中略)
蔵王初空月 
雪はなほふる年ながら立つ春はさえにしままの初空の月 後鳥羽院、
同霞初月
けふもはや山風寒み降ろ雪のその名ばかりや霊神月 定家、
同初春月
霞立つ初春月の朝日影のどけぎ色や空に見ゆらん 家隆、
秘蔵早緑月
年暮れてさみどり月になりぬれば所さへなし小松引松 貴之、
(中略)
莫伝抄年端月 
梅もはや盛りになりぬ年端月名もめづらしくなりにけらしな、
同暮幕新月
暮し月千代かかるらん初草のまた見るばかり年は越えつつ」。
『改正月今博物筌』に、
正月古今の違ひ、一年十二月の干支を定むるは、
その月の中(節より十六日目)に星の斗柄の建(をさ)所の干支をもって定むるなり。
正月中、星の斗柄、寅に建(をさ)すゆゑ、正月を寅の月と定むるなり。
○ 唐土
夏・商・周、右三代、正月別別なり。
夏の国禹王の世には、寅の月をもって正月とす。(今の正月なり)
商の湯玉の世には、丑の月をもって正月とす。(今の十二月なり) 
周の文玉の世には、子の月をもって(今の十一月なり)正月と定む。
これすべて一理あることなり。
天は子に開くをもって、周は子の月を正月と定め、地は丑に開くゆゑ、
商は丑の月を正月に定む。
人は寅に定まるゆゑ、夏は寅の月を正月と定む。(中略)
その後、秦といふ世になりて、古典をことごとく改めて、亥の月をもって正月と定む。
(今の十月なり)。
漢の代もこれによりしが、武帝の時、始めて古代の通りに改め、
寅の月を正月と定めしより、今に変ぜず。
本朝は神代より寅の月を正月と定めて、変ずることなし。
この諭、春秋正月考といへる書に委し」。
『年中故事』に
「寅を正月に配す。寅は天地の〈戸聞く〉の略。
日本書紀に、神武帝東征して天下泰平なり。
辛西春正月庚申朔日、橿原の官に即位したまふと。
一月といはずして正月といふは、上下ともに正しく行ひ、
一年のことは春の始めにありて、文字も正は一に止まるの字を合はせしなり。
○ 太郎月は、初の月なればいふ。十二月朔日を乙の朔日といふに同じ。
○ 孟春とは、孟は嫡をいふ。季は末子をいふ。太郎月といふに同じ」。〔流行正月〕
◎ 『嬉遊笑覧』(文政一三 1830)に、
時ならぬ正月「田舎にては、いっにても農業を休みて遊ぶを、正月といふ。
これ、年の始め遊びゐることに喩へていひしにあらず。
その起りは、何ぞの呪にてせしことと見えたり。
寛文七年(1667)末七月六日町触れ、
今度在々所々にて松飾りを仕り、正月を祝ひ申すよしにて、
江戸近辺の町屋までその通りこの月は祝ひ申すよし、相聞え候。
それについては、御代官所へも無用に仕るべき旨、仰せ渡され候間、
江戸町中にても、右の通り正月を祝ひ申すこと、無用に仕るべく候〉云々。
始めはかやうに松飾り何くれと正月のごとくせしことなり。
近ごろもこれに似たることあり。
節料理し、福茶などすることありか。年を経ては、またまた言ひ出だすと見ゆ。
『梅園日記』(弘化元 1844)に、流行正月
文化十一年(1814)夏のころ、某の国某の山にて、
郷、人のごとくもの言ひけるやうは、ことし疫病にて人多く死ぬるなり。
ことしは過ぎて来年の正月になりぬるさまに、
門松立て雑煮食ひなどせば、病を免るべし、と言へりとて、
かの説のごとくになしたる人もいと多かりけり。
これまた前にもありしことなり。
亀岡宗山の後見草に云、宝暦九年(1759)夏のころより、
たれ言ひ出だせるといふこともなく、来る年は十年の阪の年なり、
三河万歳の歌へる〈弥勒十年辰の年〉に当たれり、
この年は災難多かるべし、
この難をのがれんには、正月のことぶかをなすにしくことなしと、
申し触らしたり。これによりて、雑煮を祝ひ蓬莱を飾り、
都鄙一同のこととはなりぬ。
また、伊勢安斎翁の洗菜館に云、安永七年(1778)月晦日、
江戸にて大晦日と称して、
節分のごとく鬼やらひの豆を打ち厄払ひの乞食出で、
六月朔日を元日と称して、
門松を立て雑煮を食し屠蘇酒を飲み鏡餅を設け祝ふ。
町家にては商ひを止め戸を立て寄せ簾を掛け、
買ふ人来たれば雑煮を出だし酒をすすむ。
宝舟の画を売る者も出でたり。
江戸中かくのごとくしたるにはあらざれども、このことをなす者多し。
もと若狭国よりはやり出で、諸国に伝へけるとぞ。
かの国の土民、山中にて異人に逢ひしが、
かくのごとくすれば疫病を除くと教へしゆゑに行ひはじめたりといふ。
(中略)
このことの古くありしは、玉藻、承元四年三月三日章卯の館に、
ある人日、賀茂の氏人の夢に、
三月三ケ日、元三のごとくし礼儀を儲くべしと、云々。
五六月のほど、世間、底を払ひ死去するなり。これを恐るべし。
とあり。また妙法寺記に、
文明八丙申、門松二度立つるなり。とあり。
子細は知れねども、右のたぐひだるべし。これを″流行正月″といふ。
冬の日といふ俳講掛に、
つるべに粟を洗ふ日の暮
といふ句に
くはやり来て撫子飾る正月に、
と付けたり。





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最終更新日  2020年11月19日 21時01分02秒
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