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2021年01月04日
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カテゴリ:甲斐武田資料室

同性愛者だった信玄!!高坂弾正宛ての信玄の誓詞

 

 『甲勝軍鑑』晶第十七には、武田信玄のころの職制が書いてある。そのうちで、御小性衆土星総八郎を筆頭に、二十三名をあげているが、春日原助の名はない。

 東京大学史料編纂所に七月五日付で、武田晴信(信玄)が春日原助に与えた誓書そのものが所蔵されている。これを口語訳してみよう。

 

   誓詞の意趣は、

一、弥七郎にしきりに度々いいよるが、虫気だと拒むので、どうしようもない。まったく自分が僞言を申しているのでない。

一、弥七郎を伽に寝させたことはない。以前にもそのことはない。まして昼夜とも弥七郎と密会して関係をもったことはない。とりわけ今夜など思いもかけないことだ。

一、特別に心のうちまで知り合った関係のため、何かと奔走すると、かえってお疑いは迷惑である。

 

此の条々が偽りならば、当国一二三の大明神・富士・白山・ことに八幡大菩薩・諏訪上下大明神の罰を受ける。よって件の如し。

 牛王宝印の裏に書くべきだが、甲府の役人(表役所の)が多いので(人目を憚り)白紙に書く。

明日かさねてでも(牛玉宝印に)書きましょう。

 

  七月五日      晴信(花押)

   春日源助どの

 

 春日源助は、伽に寝かせた寵童である。晴信は、小姓の弥七郎に懸想して、頻りに誘うが、虫気だとて拒否されており処置がない。

 

「この弥七郎を伽に同床させた経験は以前にもないし、昼夜とも関係をもったことはない」

「特に今夜など考えたこともない。知音の関係で何かと奔走すると却って疑われるのは迷惑だ」

と春日源助に誓紙を与えた。

 

某年七月五日の夜晴信が源助と関係を結ぼうとすると、源助の拒否にあう。「弥七郎との関係を清算して欲しい」との言分である。晴信は痛いところをつかれて抗弁の末、遂に誓紙を与え、関係を修復せざるをえない破目に追いこまれた。

 戦国大名で、寵童に浮気をしないと誓約させられた人物は、晴信以外に見当たらない。

春日源助は『甲陽軍艦』によると、「父が春日大隅、甲州石和の大百姓である。姉婿の田地公事のとき、晴信に見染められて召使うと指示される。晴信二十二歳、源助十六。小人に採用、二十人衆に抜擢されてまもなく、出仕して三十日のうちに近習に取立てられ、ことさら奥(女房衆の住居の奥ではない)へ召しよせられて御膝元で奉公した。なんというご縁を結び奉った。晴信の御意にたがい、一ヵ月の問も引続いて龍っているようなことはなかった。ご奉公したので春日弾正といわれ、信州雨飾城を預けられ、海津城の高坂氏の跡目をつぎ、高坂弾正虎網と呼ばれている。ご奉公してから二十四、五までは、傍輩の噂によると、あんな馬鹿者を取立てられたのは、ひとえに信玄公の目違いだと評判になっていると聞いた。これが自分の身の薬になり、ご機嫌を損じないようにと、ひとしおご奉公に精進した」

 と述懐している。

 






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最終更新日  2021年01月04日 14時36分07秒
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