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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年01月05日
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カテゴリ:甲斐武田資料室

 





 
❖ 武田信玄の戦力

 

 ❖ 親族衆

 

 一、逍遥軒 80騎

         旗、色きれて見えず

 

一、勝頼公 200騎

        旗、白地に大文字

 

一、一条右衛門大夫殿 200

         旗、白地に裾赤

 

一、武田兵庫殿 115騎

         旗、色書付なし

 

 一、武田左衛門(佐)殿 100騎

         旗、色書付なし

 

一、仁科殿 100騎

         旗、色きれて見えず

 

一、望月殿 60騎

         旗、色きれて見えず

 

一、葛(かづら)山殿  120騎

         旗、色書付なし

 

一、板垣殿 120騎

         旗、色書付なし

 

一、木曽殿 200騎

         旗、色書付なし

 

一、穴山殿 200騎

旗、色書付なし

 

❖ 御譜代家老衆

 

一、馬場美濃守 120騎

         旗、白地黒山道 

 

一、内藤修理正 250騎

         旗、白地堂胴赤 250騎

 

一、山県三郎兵衛 300騎

         旗、白赤晴々

 

一、高坂弾正 450騎

        旗、くちばの四方

 

一、甘利左衛門ノ丞 100騎

        旗、白赤段晴

 

一、栗原左兵衛 100騎

旗白地に黒枠の手

 

一、今福浄閑  70騎

(同息 兄丹波守 弟 市左衛門)

       旗きれて見えず

 

一、土屋右衛門ノ丞 100騎

       旗黒地に白鳥井

 

一、秋山伯者守

       旗きれてみえず

 

一、原隼人佐 120騎

       旗色きれてみえず

 

 一、小山田備中守 70騎

       旗色きれてみえず

     

 一、跡部大炊助 300騎

       旗色きれてみえず

 

 一、浅利 300騎

       旗きれてみえず

 

一、駒井右京 55騎

      旗きれてみえず

 

一、小宮山丹後守 30騎

      旗きれてみえず

 

一、跡部美作 50騎

      旗きれてみえず

(中略)

 

  御旗本武者奉行 

 

一、今井刑部左衛門 一、今井新左衛門

 

❖ 足軽大将衆

 

一、横田十郎兵衛    騎馬三拾騎  足軽百人

一、原与左衛門     騎馬十騎 足軽五〇人

一、市川梅印      騎馬拾騎 足軽五十人

一、城伊庵       騎馬拾騎 足軽(三)拾人

一、多田治郎右衛門   足軽(二)十人

一、遠山右馬ノ介    騎馬十騎 足軽三十人

一、今井九兵衛     足軽十人

一、江間右馬丞     足軽十人

一、関甚五兵衛     足軽十人

一、小勝又兵衛     騎馬三騎

一、大熊備前守     騎馬三十騎 足軽七十五人

 一、三枝十三郎     騎馬三騎

一、長坂長閑      騎馬四十騎 足軽四十五人

一、下曽禰       騎馬二十騎

一、曽根内圧      騎馬十五騎 足軽十人

(一、上原民部入道随翁軒 騎馬三騎  足軽三十人)

一、曽根七郎兵衛          足軽七十人

一、武藤喜兵衛     騎馬十五騎 足軽三十人

一、三校勘解由左衛門  騎馬三拾騎 足軽七十人

一、あんま(三右衛門) (騎馬五騎)足軽五十人

一、小幡弥左衛門    騎馬十二騎 足軽六十五人

  (中略)

  

❖ 御料人様衆

一、五味新右衛門 一、小沢箭兵衛 一、前島和泉

一、朝比金箭九郎 一、永井又五郎 此外以上三十騎

 

❖ 御同朋衆

一、なに阿み 一、さい阿弥

右三拾人、是は御前様衆を後御料人様へ什らる。

 

❖ 御しやうだう様衆

 

  一、秋山越前  

一、下条讃岐  

一、みなひゆきゑ

一、甘利三右衛門   

一、高村清右衛門

是五人を頭として以上三十騎。

 

右御しやうだう様、後は海野が跡を可被遣(と)之事也。

さて又御陣の御留守は、御しやうだう様衆・御前様衆・御蔵前衆、

御かまへの御番なり。

 

❖ 御曹子様衆

一、ぬくひ常陸守。是は御守なり。

 

❖ 御小姓衆

一、土屋惣八郎

 一、土屋源五左衛門

一、安部掃部(かもん)

一、原おちご

一、白頭平次

一、三枝監物

一、小山田弥五郎

一、小山田新之丞

 一、甘利彦五郎

一、曽禰内膳

一、原甚五郎

一、跡部お熊

一、友野又市

一、跡部主殿

一、跡部源左衛門

一、岩本右近

一、市川内蔵 

一、おたき彦次郎

 一、跡部喜兵衛

一、雨宮善二郎

一、日向伝次郎

一、横田おむつ

 

 

 

❖ 御なんど奉行

一、河村下野(しもづけ)

 一、内藤外記

 

 ❖ 御(どう)(ほう)

一、万阿弥一、らいあみ(右これ)共に以上(あわせて)三拾八騎

一、職 山県三郎兵衛持

 

❖ 公事奉行

一、今福浄閑

一、武藤三河守  

一、桜井安芸守

右三奉行 用周(もちゆ)吐握(とあく)

御陣(の)留主には、御蔵「の」前衆目安をうけとり、

目安箱に入置也。

 

❖ 勘定奉行

一、青沼助兵衛

  一、市川宮内(くない)(のすけ)

 一、跡部美作(みまさか)

     此衆惣算用聞也。

 

❖ 御蔵前の頭四人

一、古屋道忠

一、諏訪春芳 足軽七十人

一、古屋兵部 

一、伊奈宗普足軽七十人

 一、古屋(たく)()

一、古屋文六郎

一、伊田村新左衛門

一、石原

一、大野

以上三十五人。

御蔵前につめ、五人組にして、

一日一夜づ矢御納戸の番を、代官衆務るなり。

 

万事御目付衆、三日に一度づつ、

一切善悪の事を見立開立、一書にて言上申者共「也」。

一、坂本武兵衛  一、塚原六右衛門  一、武井江右衛門

一、三沢四郎兵衛 一、あい川甚五兵衛 一、島田外記

一、笠井半兵衛  一、小池主計    一、伊藤玄番

一、切田勘之丞

右此十人ハ、廿人衆の順になされ、

信玄公御身近御供仕る場を引たる武篇の覚、

五度より少は一人もなし。

さるに付、歩の衆、一人に十二人づつ預らるゝ。

一組に廿四人、順共に廿六人を一番にして、

以上五番の積にて出、御陣(に)一日一夜番役を勤る也。

 

此横目衆

一、荻原豊前守

一、志村又右衛門

一、石坂勘兵衛

一、久保田監物

右此十騎は御中関頭也。

一人に付而三十人、御小人・御中間・御道具衆よりこを預り、

御構大手の番屋にて、一日一夜宛番役を勤(る)、

殊更甲州口々の筋(の)奉行を、彼御中間順に仰付らるゝ。

府中其外在々の役者衆、

或ハ又目付衆までの依肪最叙・善悪の横目也。

さるほどに、永禄七年甲子七月十四日(十五日)の夜、太

郎義信公長坂源五郎御供にて、垂範御見物とことよせて、

御城を御出あり、

忍びて飯富兵部処へ御座なされ候故、

(みだれ)(どり)まで談合ありたる様子を不審に存知奉り、

御中間頭荻原豊前、信玄公へ申上る。

それより不審をたてられ、太郎義信公逆心の事あらはれて、

翌年丑の年、飯富兵部・長坂源五郎両人御成敗也。

太郎義信公を(ば)牢屋へ入りまいらせられ、

其上義信衆御成敗或ハ御改易也。

御もりの曽禰周防を則荻原豊前に仰付られ、放し討に討也。

如此御父子の間にて不審立る事、少(すこし)かくしなく、

目付・横目の言上いたすは、何の国にても有間数(あるまじき)事也。

是ただ一偏に信玄公の、人を能召仕(よくめしつかい)給ひ、

よく目利なされて、よく采配を取、よく仕置の法度無類なるゆへならん。

 

一、右之内御道具衆三十五人は、

御中関頭衆に(も)劣ざる者をなされ候心は、

剛強にても御心安者にて無之はなされず、

御譜代の中間・小人の中にて(も御道具衆をば一しほ)

すぐり(て)出し此の如く。

然れば御中間頭各武篇仕る御証文、

大かたこゝにあらはし置侯。

他国の歴々覚の衆にも、さのみ劣中まじく候。

中間(頭)衆「なンどの」加様に(かせぎ)るは、

末代には如何がもあれ、前代にはさのみ何方にも有之とはきかざる放、

こまかにこれをしるす。

一、原大隅      御感状 十八

一、山本土佐     御感状 十一

一、荻原豊前

一、久保(窪)田監物 御感状 六つ

一、中村弥左衛門   御感状 三つ

一、久保田助之丞   御感状 三つ

一、河野但馬     御感状 四つ

一、志村又右衛門   御感状 五つ

一、荻原郎左衛門   御感状 五つ

一、石坂勘兵衛    御感状 七つ

    (中略)

 

一、訴人岩間大蔵左衛門とて、

御分国中万事の儀を申上る侍一人あり。

 

❖ 御台所頭両人

一、前島加賀守

一、大島惣兵衛

   この外十人有り

 

❖ 茶堂坊主頭両人

一、福阿弥  

一、春阿(しゅんあ)み 

右のより子同朋廿人あり。

 

一、御髪そりの越蔵主

   

❖ 御右筆(ゆうひつ)

一、永順是は真ノ物書也。 

一、神尾庄左衛門

一、宗白

 

 ❖ 諸国へ御使者衆四人

(一、八重森因幡 是は三条殿衆。信玄公御台につき甲府へ参也、

   一、初鹿存喜)

 一、日向源藤斎

一、西山十右衛門

 一、秋山十郎兵衛

 一、雨ノ宮存鉄

在府衆・在郷衆・惣近寄(きんき)二百五人、

奥衆、三十五人の内にて、御陣之時御侠いたすは、

大方むかでの差物の衆也。

 

一、諏訪越中    

一、工藤市兵衛

一、漆戸左京ノ亮  

一、小山田弥助

 一、小山田八左衛門 

一、初鹿(はじかの)弥五郎          

一、吉田左近    

一、小山田又二郎

一、小宮山内膳

一、小山田十郎兵衛

一、金丸助六郎

一、諸角(もろずみ)助七郎

一、三枝善八郎

一、原勘(甚)四郎

一、小山田彦三郎

一、曽根(彌)与一(市)之助

 

❖ 御旗奉行

 

一、岩手右衛門ノ佐父子

 

❖ 御鑓(やり)奉行

 

一、安西平左衛門   騎馬拾騎  足軽五人

一、今福新右衛門   騎馬十(五)騎足軽十人

一、數野市右衛門   騎馬十五騎 足軽十人

 

 是は真田一徳之末の子なるを、御一家数野が跡目になされ侯。

 

❖ 御とぎ衆

一、小笠原慶安斎  

一、板坂法印  

一、板垣卜

 一、山本大林

 一、寺島甫庵

 一、岡田堅桃齊(けんとうさい)

 一、小俣清甫

一、新藤金藤斎

 一、花堂(けどう)

一、市川宗三

一、犬山鉄齊

 一、長遠寺(ちようえんじ)

    御はなし衆。御看経所の御番也。

      

 ❖ 御旗楯(たて)なしの別当

 

一、山下伊勢

  御旗本の惣近寄衆二百五(十)騎、此次外様近寄百騎は、

原隼人に五拾(騎)、駒井右京に五十騎預給ふ也。

近寄(合せて)二百五(十)騎、

(足軽三十人、此足軽は掃除の役なり)

 

 右の外牢人衆百(五)十人此頭

 

一、五味与宗左衛門(越前牢人) 

一、名和無理ノ介 関東(牢人)

一、伊井弥四右衛門(遠州牢人伊井豊前の甥なり)

 

(右牢人乗頭ともに百五十三人、この大将武田兵車頭殿)

一、高流(こうるい)兵郎 是は御細工奉行也

一、石原治郎右衛門 是は御馬の血とり

   

 猿楽衆

 一、観世大夫

一、大蔵大夫 両座合わせて、子共をかけて大夫共に五十一人也。

 

此内名人は大蔵太夫也。

同彦右衛門は脇、

みやます弥宏衛門は小鼓、

こうの孫二郎・長命勘左衛門は狂言なり。

 

一、常の御客は土岐殿・佐々木殿。

但し佐々木殿は、

信玄公御他界其年天正元年酉(の)霜月御座候故、

是は勝頼公御代之牢人衆也。

 

以上、惣騎馬数合九千三百四十騎。

但大将共(に)此内にて引方、

御料人様衆三拾騎

御蔵前衆三十九人

御しやうだう様衆三十騎

御台処衆十人

御曹司様衆三十八騎

御同朋衆廿人

猿楽五十(一)人、

引方合二百十八騎。

  (下略)(「甲陽軍艦」十七)

 

〔解説〕

 武田信玄の最晩年期の家臣団を書きあげたものであって、『甲陽軍艦』の中では、信憑性のある部分とされている。ここでは信濃ほかの占領地の先方衆の部分は省略した。






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最終更新日  2021年04月10日 14時11分58秒
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