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2021年01月07日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
武田信玄と貝殻の数

 武田信玄晴信公、十三歳の御時、駿州義元の御前は、信玄の姉御にておはします。此の姉御の御方より母公へ、貝おほひのためにとて、蛤をおくりまゐらせらるゝ。
信玄公を勝千代殿と申す時なれば、御母公より上﨟をもつて、此の蛤の大小を屈従どもに申し付け、えりわけて給はれとの御幸也。即ち大をばえりて参らせられ、小き蛤、たゝみ二帖敷ばかりに大方塞り、たかさ一尺も有りつらん、是れを屈従どもにかぞへさせ給へば、三千七百あまりなり。其の時諸士参供せしに、此の蛤は、何程あらんと問はせ給ふ時、各有功の人々、二万或は一万五千などゝ申す、勝千代殿仰せらるゝは、人数は多くなき物ならん、五千の人数せ持つ人は、何をいたさんもまゝなりと、仰せられしをきくはどごとの人、したをふるはぬ者はなし。是れ信玄公、十三の御年なり。(甲陽軍鑑)

武田信玄、兵略車懸りを洞察

 信玄公、信州先方浦野と云ふ弓矢功老の侍を召し、物見にこし給ふ。浦野見て帰り御前に畏り、輝虎はのき候と申上ぐる。信玄公、積のよき大将故、被仰(おおせられる)は謙信程の者が、宵より川を越し、そこにおいて夜をあかす程にて、むなしく引きとるべきか、但しのきやうはいかんとゝひ給ふ。浦野申すは、謙信我が味方の備をまはりて、たてきり、いく度も如レ此候て、さい川の方へ、おもむき候と申上ぐる。
信玄公開召し、さすが浦野共、おぼえぬ事を申す者哉、それは「車がゝり」とて、いくまはりめに旗本と敵の旗本と、うちあはせて、一戦する時の軍法是れなり。謙信は今日を限りとみえたりと有りて、備を立てなほし給ふ。(甲陽軍鑑)

武田信玄、勝って兜の緒を締める

 三方が原の軍終りて、皆浜松の城を攻めんといひけるに、信玄「勝つて胃の緒をしむる」といふこと有とて軍をかへされけり。
此時信長は白須賀に毛利河内守、山中に滝川伊予守、吉田に稲葉伊予守其の兵三万あまりにておかれたり。もし信玄勝に乗りて引とらずば信長二万五千をひきあておしよせ、毛利、滝川等も思ひもよらぬ所に打つてかゝるなどあらば、必ず浜松よりも切つて出、中にとりこめて軍せんと、吉田より岐阜まで一里に一人のしのびの者をおいて待かけるに、信玄引返されしによりて、信長の謀ごと空しくなりぬ。(常山紀談)





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最終更新日  2021年01月07日 07時16分14秒
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