カテゴリ:俳諧人物事績資料
○ 青山隠田掘得銭の事 太田南畝『一話一言』
◇ 一部加筆 山梨県歴史文学館 天明元年(1781)十月廿日過の頃、青山隠田の名主佐平次といへるもの、鉢植の植木を蔵めんとて、人夫に命じて大きなる窩(むろ)をつくらしむ。 人夫庭をうがちて一ツの茶釜と銭数十貨文〔割註〕百貨に近しといふ。」を掘り出せり。その銭多く開元・洪武・永楽の類にて、唐宋以後の銭なり。 主人田舎のものなれば古銭の貴きを知らず、則人夫の悪銭に与えしを、持来りて、青山善光寺前の酒家にて酒をのむ。酒家の主人これを怪みて問えば、しかじかのよしをいふ、そのうち三十貫文は、駒場道玄坂の酒家亀屋源四郎といへる者に売り、弐拾貨文は青山善光寺門前の酒家に売りしといふ。終にその風説甚しければ公に訴へしといふ。 予もつてを求めて一二文貰ひ置けり。 ある人のいふ、去々年も此庭より一椀の米を掘り出せしを、あへてとらず川水に流せしに、川の水二三日これがために赤かりしとかや、惜むべき事也。思ふにいにしへ渋谷長者の家の跡なりかし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月08日 19時23分52秒
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