カテゴリ:松尾芭蕉資料室
芭蕉終焉記(1)花屋日記(芭蕉翁反故)
肥後八代 僧文暁著 浪速 花屋庵奇淵校
九月二十一日(元禄七年 1694) 泥足が案内にて、清水布浮瀬の茶店に勝遊し給ふ。 茶店の主が求めに短尺杯書きて打興じたまう。 泥足こゝろに願うことあるによりて、 発句を請いければ
所思 此道やゆく人なしに秋のくれ 翁 峡の畠の木にかゝる蔦 泥足
〔歌仙一折有略〕
連衆十人なり。短日ゆえ歌仙一折にて止む。 今度はしのびて西国へと思ひたち給いしかど、 何となくものわびしく、 世のはかなき事思いつゞけ給いけるにや。 此句につきて、ひそかに惟然に物がたりしたまひけり。
旅 懐 此秋は何でとしよる雲に鳥 翁
幽玄きはまりなし。奇にして神なるといはん。 人間世の作にあらず。 其夜より思念ふかく、自失せし人の如し。 実に鳥の五文字、古今未曾有なり。(惟然記)
九月廿六日 園女亭也。山海の珍味をもて腸謳す。 婦人ながら礼をただし、敬屈の法を守る、 貞潔閃雅の婦人なや。 實は伊勢松坂の人とぞ。 風雁は何某に学びたりといふ事をしらず。 岡西惟中が備前より浪華にのぼりし時、惟中が妻となる。 その時より風雅の名益々高し。 惟中が死後、汀戸にくだりて、其角(宝井)が門人となる。
白菊の目にたてゝ見る塵もなし 翁 紅葉に水を流す朝月 園女
連衆九人、歌仙あり。別記。(惟然記)
九月廿九日 芝拍亭に一集すべき約諾なりしが、 数日打続て重食し給いし故か、労りありて、出席なし。 発句おくらる。
秋ふかき隣はなにをする人ぞ 翁
この夜より、翁腹痛の気味にて、排瀉四・五行なり。 尋常の瀉ならんと思いて、 薬店の胃苓湯を服したまひけれど、 驗なく、晦日・朔日・二日と押移りしが、 次第に度敷重りて、終りにかゝる愁いとはなりにけり。 惟然・支考内議して、 いかなる良医なりとも招き候はんと申ければ、 師曰く、我元々虚弱なり。 心得ぬ医者にみせ侍りて、薬方いかゞあらん。 我性は木節ならでしるものなし。 願くは本節を急に呼びて見せ侍らん。 去来も一同に呼よせ、 談ずべきこともあんなれば、 早く消息をおくるべしと也。 それより両人消息をしたゝめ、 京・大津へぞ遣わしける。 しかるに之道の亭は狭くして、外に間所もなく、 多人数人こみて保養介抱もなるまじくとて、 その所この所とたちまはり、我知る人ありて、 御堂前南久太郎町花屋仁左衛門と云者の、 奥座敷を借り受けり。 間所も数ありて、亭主が物数奇に奇麗なり。 諸事勝手よろし。 その夜、すぐに御介抱申して、花屋に移り給いけり。 此時十月三日仇。(次郎兵衛記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月18日 21時53分06秒
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