2301678 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年01月18日
XML
カテゴリ:松尾芭蕉資料室

芭蕉終焉記(3)花屋日記(芭蕉翁反故) 

 

肥後八代 僧文暁著

浪速   花屋庵奇淵校

十月十一日 

朝又また時雨す。思いがけなく、東武の其角きたる。

是は東武の誰彼同伴にて参客の序、

和州・紀州壹打めぐり、泉州より浪華打入りしが、

はからずも師の労りおはすと聞つけ、

そこ此處とたづねまはり、漸にかけつけたり。

直に病床にまゐりて、

皮骨連立し給ひたる體を見まゐらせて、且愁ひ且よろこぶ。

師も見やりたまひたるまでにて、唯々泪ぐみたまふ。

其角も言句なく、さしうつむきゐたりしを、

丈草・去来・支考其外の衆、次の間に招き、

御病性の始終を物がたる。

此夜、夜すがら伽して、

おもひよりし事ども物がたり居たりしに、

亥のときごろより、師、夢のさめたるごとぐ、粥を望みたまふ。

人々嬉しさかぎりなく、次郎兵衛取計ひて、

疾く焚あげてすゝめまゐらす。中かさ椀にて、快くめされけり。

朔日より已来の変事なり。土鍋に残りたるを、

去来椀にうつし入れておしいただき 

 

  病中のあまりすゝりて冬ごもり   去来

 

 去来日、趣向を他にもとめず、

有あふことを口ずさみて、師を慰めまゐらせん。

深く案じいら〔一字不明〕と頓に句作りたまへ。

惟然は前夜正秀と二人にて、一ツの蒲団をひつぱりて被りしに、

かなたえひき、こなたえひきて、絡夜寝いらざりければ、

はてはしらじらと夜明けるにぞ、その事を互に笑ひあひて

    

ひつぱりて蒲団に塞きわらひ哉   惟然

    おもひよる夜伽もしたし冬籠    正秀

 

 一座これをきゝて、いづれもどっと笑いければ、

師(芭蕉)も笑いたまえり。

 人々嬉しさかぎりなく、十日已来の興にぞ有ける。

初しぐれなりければ、空とく晴て日影さしいりたるに、

蠅のおほく日南に群りいたるに、

人々黐(もち)もて蠅をさし取に、上手下手あるを見給いて、

暫く興にいりたまひけれど、大病中のことなれば忽縮たまい、

直に寝所に入りたまう。

支考は、師の発句を滅後に一集せん心願あれど、

此ごろの病苦に苦しみたまうに、見あわせいたりしが、

今日機嫌よきに乗じて申出侍らんと、去来に申たりければ、

去来はかねて師の心中を知りたりし故大いに怒り、

小ざかしき事を申さるゝもの哉、

師は平生名聞らしきこと好み給わず。

今日暫らく快きを見請侍りて、諸人嬉しと思う中に、

御気に逆うこと聞せ申ては、御心を労しめ申す事、奇怪なり。

この後御病床近くにより給うな、早くその座を立ちたまえと、

聲あらゝかに次の間に追立けり。

 

支考もはからずもの言い出して、

諸子の聞く前面目を失しないしが、行々惟然に打向かい、

我に句あり、そこに書き給えと言いて

    

しかられて次の間に立つ寒さかな  支考

 

さすが支考なりければ、師も仄かに聞き給いて、可笑しがり給いけり。

 

国とりて菜飯-----------(不明)    木節

皆子なり-----------------(不明)    乙州

うづくまる薬のもとの寒さかな   丈草

吹井より鶴をまねかむ初しぐれ    其角

 

 一々惟然吟聲しければ、

師、丈草が句を今一度とのぞみ給いて、

丈草出かされたり。いつ聞いてもさびしをり調べたり。

面白しくと、しわがれし聲をもって誉め給いにけり。

いつに変わりし機嫌の麗しきを喜びけるに、

木節一人愁をいだける様に見えければ、其角その故を問う。

木節云う、病に除中の證と言えるあり。

大病中絶貪なるに俄に食のすゝむことあるは、悪症なり。

死期遠きにあらずといえり。

さはしらず各々さざめき至るに、

夜半ごろよりまた寒熱往来ありて、

夜目ごろより顔色土のごとく見え給い、

暫くは悶乱し人も見しりたまわざりしが、

やゝありて又實性になり給い、

左右に舎羅・呑舟、後よりは次郎兵衛抱きまいらせて介抱し、

程なく夜明ければ十二日なり。

兼ては閉じ籠り給いしが、隔ての障子も襖もとり離させ、

其角・去来・丈草を是えとて向に見給い、

穢れを憚かれば咫尺したまうなと断わり、行水を頼み給う。

木節頻りに制しけれど、しきりにのぞみ給う故、

止むことを得ず、湯を引かせ参らせけり。

座を静かに改め、木節が医術を盡されし事など

都度つどに隠し給い、さて三人の衆を近くに召され、

乙州・正秀を左右にし、支考・惟然に筆をとらせ、

亡き後の事細々と遺言し給う。病苦すこしも見え給わず。

人々奇異の思いをなしけり。

 

伊賀の遺書は手づから認め給い、

外に京・江戸・美濃・尾張洩れざる様に遺言し終り給うに、

始終は門人中にて筆記す。

次第に聲細り、痰喘にて苦し給いければ、

次郎兵衛素湯にて口を潤し参らせけり。

 

やゝ有って去来に向い給い、

先頃、實永阿闍梨より路通が事を仰せ有。

其後汝が丈草・乙州等に送りし消息、露霜とは聞捨てず。

併少し意味憚ること有て、雲井の余所に話し侍りぬ。

彼が数年の薪水の労、努々忘れおかず。

我なき跡には、およそに見捨て給まわず、風流交り給へ。

此事たのみ置き侍る。

諸國につたえ給われかしと、言終り給いて餘言なし。

合掌ただしく、観音経聞こえて、微かに聞こえ、

息の通いも遠くなり、申の刻過て、

埋火の温まりの冷めるがごとく、

次郎兵衛が拘き参らせたるに、よりかゝりて

寝入り給いぬと思う程に、

正念にして終り眠りにつき給いけり。

 

時に元禄七甲戊十月十二日申の中刻、御年五十一歳なり。

 

即刻不浄を清め、白木の長櫃に納まいらせ、

其夜直に川舟にて伏見まで御供し奉る。

其人々には、

其角・去来・丈草・乙州・正秀・木節・惟然・支考

・之道・呑舟・次郎兵衛・以上十一人。

 

花屋仁左衛門が京へ荷物を送る體にて、

長櫃の前後左右をとりまき、

念佛誦経思い想いに供養し奉る。

八幡を過るころ、夜もしらじらと明はなれけるに、

僧李山の下り給える舟に行逢ければ、

いざとて乗り移り、相ともに儚き物がたりして、

程なく京橋につく。

それより狼だに辺りにかゝり、急ぎに急ぎし程に、

十三日巳の時過ぎには、大津の乙州が宅に入れ奉りけり。

乙州は伏見より先立て急ぎて帰り、

座敷を掃除し清め、沐浴(もくよく)の用意す。

御沐浴は之道・呑舟・次郎兵衛也。

御髪の延びさせ給えば、月代には丈草法師参られけり。

 

御法衣・浄衣等は、智月と乙州の妻が縫奉る。

浄衣、白衣にて召させ參らすべき筈なるを、翁はいかなる事にや、

兼て茶色の衣装こそよけれと、すべて茶色を召れければ、

智月尼の計らいとして、浄衣も茶色の服にこそせられける。

さて追葬は十四日と決まり、かれこれ日没になりにけり。

 

大坂花屋より支考・惟然が二日に仕出の状、

羅漢寺の僧伊勢に急用有で參るよしを、花屋より知らせければ、

是幸いと頼み遣わしるに、この僧奈良に著たる日より、

痢疾にて歩行かなわず、やむことを得ず奈良に滞る。

それゆえ十一日朝、伊買上野に行人あるを聞つければ、

右の状を仕出しけり。

この状、十二日の暮ごろに上野に届きけり。

土芳・卓袋ひらき見るより大いに驚き、

とる物もとりあへず松尾氏に參りたれば、

これも同時に書状著せりと云。

それより両人は、したためそこそこにして、

子の刻過より、兼て案内しりたる近道にかゝり、

大和の帯解までただいそぎに急ぎけれど、

月入ての事なれば、暗さは暗し、小路の事ゆえ、

提灯も消えぬれば、其夜の明がたに帯解に着く。

相知れる方に暫らく休らいで、したゝめなどし、

是よりくらがり峠を越れば、大坂までは八九里には渦ず。

さらばとて、足にまかせてくらがり峠を越え、

俊徳海道をたゞ急にいそぎ、平野口より御城の南をかけぬけ、

直に久太郎町花屋にかけつけたるは、十三日の暮れ頃なり。

 

何がなしに、翁の御病気いかにと問いければ、

仁左衛門しかじかと答える。

両人ともに残念申すばかりなく、

さらば葬送になりとも逢い奉らんとて、

又引き返し、八軒屋にかけ行く。

幸ひ出船ありければ、其まゝ飛乗り、

伏見京橋に着きしは夜明け也。直に飛下り狼谷にかゝり、

義仲寺に着きしは、未だ入棺し給わざる前なりければ、

諸子に断わりて、死顔のうるわしきを拝し参らせ、

悲歎かぎりなく、一夜も病床に咫尺せざる事をかき口説きけれど、

まづ因縁の深きことを身にあまり有がたく、

嬉しく焼香につらなりけり。

(土芳・卓袋物語)

 

 十二日暮

 

暮れに伏見を出舟したる臥高・昌房・探芝・牝玄・曲翠等は、

その夜何處にて行違いたるやらん、夜明けて大仮に著く。

直に花屋に馳せたるに、諸子御骸を守り奉りて、

のぼり給いぬと聞より、

直にまた十三日の昼船に大坂より引かえし、

その夜酉の刻に伏見に着く。夜半頃に大津に戻る。

(昌房物語)

 

義仲寺眞愚上人、住職なれば導師なり。

三井寺常住院より弟子三人参られ、読経念仏あり。

御入棺はその夜酉の刻なり。

諸門人通夜して、伊賀の一左右をまつ。夜に入りても左右なし。

去来・共角・乙州等評議して、

葬式いよいよ十四日の酉上刻と相究む。

昼のうちより集れる人は雲霞のごとく、

帳に控えたる人凡そ三百人餘。

知る知らぬ近郷より集る老若男女まで惜しみ悲しむ。

時しも小春の半ばにて、しづかに天気晴れ渡り、

月晴朗として湖水の面に輝き渡り、

名にし粟津のまつに吹起るに、無常の嵐かと思われて、

月はおもしろきもの、露は哀なるものといえれど、

折にふれては何かあ哀れ成ものならざらむ。

矢橋の漣の寄する響きも、

愁人のためには胸にせまり泪を添う。

(支考記)

 

  引導香語

雪月魂魄。風花精神。

等閑一句。驚動人天。

嗚呼。

奇哉芭蕉。妙哉芭蕉。

萬里白雲。一輪明月。

五十一年。一字不説。

 

   各捻香

 丈草 其角 去来 李由 曲翆 正秀

 木印 乙州 臥高 惟然 昌房 探芝

 泥足 之道 芝栢 牝玄 尚白 土芳

 卓袋 許六 丹野 風国 野堂 遊刀

野明 角上 胡故 蘇葉 霊椿 素顰

囘鳧 萬里 誐々 這萃 荒雀 楚江

 木枝 朴吹 魚光 支考 

諸国代替不記

 

 右の外近江国中は申に及ばず、京・大坂・美濃・尾張・伊勢

 その外国々より京などに登り至る諸国の人々、

三世値遇の縁をよろこび、我も我もと香を手向奉る。

その数何百人といふ数しれず。

境内狭ければ、表より入りたる人は裏へぬけ出る様に設え置、

田の刈跡に道をつけゝれば、焼香の人々は全て裏へ抜けるにぞ、

さして騒がしき事もなく、

葬埋終りけるは、子の時過になりにける。

 

翁かねて遺命の通り、木曾殿の右のかたに埋葬し奉りけり。

 

十月十五日 

去来・其角はじめ、膳所・大津の人々、朝とく詣でして、

先ずとて土かきあげて卵塔をかたどり、幸い塚の後に、

年ふりたる柳あるをそのまゝにし、御名の形見とて、

枯々の芭蕉を一本、兼てこのみ給ひたる茶の木の、

今を盛りなる花とともに移し植えて、竹もて坦結い廻し、

香花を手向け奉りけり。

日のもと広しといへども、生前にその名豊芦原の浪に響き、

其徳芙蓉の絶頂に奴ぶ。

人丸・赤人の昔はいざしらず、

末代の今にしては、實に我翁一人と言うべし。

 

  芭蕉書簡 松尾半左衛門宛

 

御先に立候段、疑念に可賛思召候。

如何様とも又右衛門便に被成御年被寄、

御心静に御臨終可被成候。至爰申上事無御座候。

市兵衛・治右衛門殿・意専老初、不残御心得奉頼候。

中にも十左衛門殿・半左殿、右之通に候。

はゞ様、およし、力落し可申候。以上

  十月十目                桃 青

                       〔花押〕

  松尾半左衛門様






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年01月18日 21時57分49秒
コメント(0) | コメントを書く
[松尾芭蕉資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X