カテゴリ:芭蕉 春の日 川島つゆ氏
『春の日』 三月六日野水亭にて なら坂や畑うつ山の八重ざくら 旦藁
奈良坂は、京より木津村を経て奈良に至る通路である。木津村市坂より十八丁、更に南方般苔坂・川上等を経て奈良町に達してゐる。また般若坂を奈良坂とも呼ぶのである。これは後者であらう。奈良坂に名木の八重桜のあったことは諸書に散見してゐる。 八重桜のぼってりと咲いている道のべの山に、悠々と畑を打ってゐる人かゐるのであって、いかにも旧都のはづれらしい、春日遅遅たる情趣である。調べもこれにふさはしく「なら坂や」の、上五もおほらかに「山の八重ざくら」の続き合ひも極めてなだらかである。 奈良には古昔から八重桜が多かったのであらうが、殊に『沙石集』その他に見る如く、上東門院が興福寺の八重桜を都に召されようとした時、大衆がこれを惜しんで上意に従はなかったという話や、伊勢大輔の 「いにしへの奈良のみやこの八重桜今日九重に匂ひぬるかな」 などに依って、奈良の都と八重桜とは、一つの観念の下に結び付けられてゐる。 芭蕉の 「奈良七重七堂伽藍八重ざくら」 なども、この例である。そのことが、この句に特に古雅な味を保たせている所以でもある。
歌仙八重ざくらの巻の立句である。この建連衆は、旦藁・野水・荷分・越人。羽笠・執筆のである。
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最終更新日
2021年01月18日 23時58分51秒
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