カテゴリ:井上靖の部屋
北 国 『井上靖全詩集』
いかにも地殻の表面といったような瓦礫と雑草の焼土一帯に、 粗末なバラックの都邑が急ピッチで造られつつあった。 焼ける前は迷路(ラピリンス)と薬種商の老舗の多い 古く静かな城下町だったが、 そんな跡形はいまは微塵も見出せない。 日々打つづく北の暗影なる初冬の空の下に、 いま生れようとしているものは、性格などまるでない、 古くも新しくもない不思議な町だ。 それにしてもやけに酒場と喫茶店が多い。 オリオン、乙女、インデアン、孔雀、獣麟、 獅子、白鳥、カメレオン…‥ 申し合せたように星座の名がつけられてある。 宵の七時よもなると、町全体が早い店じまいだ。 三里ほど向うの日本海の波の音が聞えはじめるのを合図に、 街の貧しい星座たちの灯も消える。 そしてその後から今度はほんものの十一月の星座が、 この時刻から急に澄み渡ってくる夜空一面にかかり、 天体の純粋透明な悲哀感が、次第に沈澱下降しながら、 町全体を押しつつむ。 確かに夜だけ、北国のこのバラックの町は、 曾て日本のいかなる都市も持たなかった 不思議な表情を持っていた。 いわば、星の植民地とでも言ったような。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年02月14日 15時16分17秒
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