2297100 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年03月02日
XML
カテゴリ:松尾芭蕉資料室

* 蕉風成立 *

 

天和四年の春を深川の新庵で迎えた芭蕉は、くつろいだ気持で、その境涯を、

  似合しや新年古き米五升

とよんだ。その年は二月に改元されたが、八月になると、門人の千里を伴い郷里へ旅立った。芭蕉として、久しぶりの帰郷である。芭蕉は、その前年母を失っているから、今度の帰郷は、墓参を兼ねたのであろうが、ただそれだけではなかった。俳諧の上で、何か突き詰めた気持を感じていたようである。芭蕉はもう初老を越えている。『虚栗』で新しい俳諧の理念を見出したとしても、それを作品の上に具現していくには、容易なことではない。自己の生き方や風雅に対して、芭蕉は何かしら焦燥を感じていたようである。そして、古人の歌人が旅をつづけたように、自分も旅に出て、そうした旅の中でこれからの俳諧の真髄を見出そうとしたのであろう。

 

旅の詩人としての、芭蕉らしい旅がここに始まる。

  千里に旅立ちて、路糧をつつまず、三更月下無何入(むかにいる)といひけむ、むかし

の人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上の破屋をいづる程、風の声そぞろに寒げな

り。

 

    野ざらしを心に風のしむ身かな

    秋十とせ却て江戸を指ス故郷

 

これは『野ざらし紀行』の冒頭、出立を叙した一節だが、前文に、『荘子」や『江湖風月集』中の句を引いて、古人のあとにならう。と、いっているところに芭蕉の求めた世界をうかがわせるものがあろう。「野ざらしを」や「秋十とせ」に見られる悲槍感や流離感なども、いわばそうしたものを意識することによって、自己ときびしく対決しようとした、抜き差しならぬ気持のあらわれだったのだろう。この旅は、東海道をのぼり、伊勢・伊賀・大和・山

.近江.美濃・尾張を廻った大旅行であった。

 

往路では大井川を越えて、

  道のべの木僅は馬にくはれけり

と、詠んだが、素堂はこれを、この旅中での秀逸だと賞めている。小夜の中山では、

 

○ 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり

 

伊勢では外宮に詣でて、

 みそか月なし千年の杉を抱あらし

 

郷里に帰っては兄の家で母の白髪を拝んで、

  手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜

 

と、よんだ。いずれも漢詩的な表現や形式が意図されていて、それから大和に遊び、山城・近江・美濃を経て尾張に出た。名古屋へ行く道で、

 

  狂句 木枯しの身は竹斎に似たる哉

 

の、吟があった。木枯に吹かれながらうかれ歩く姿を、かの物語の主人公竹斎のようだといって、そこにわびしい感情を托したのである。

名古屋では、荷号.野水その他の人々に迎えられて、「尾張五歌仙」が成った。これが『冬の日』(荷形兮編)である。ここでは、わびやさびを志向する風狂的な精神が、俳諧の精神として把握されている。付句の付け方も、前句の余情や情趣をさぐって付ける行き方に変ってきており、蕉風俳諸確立の第一歩を示すものとされている。

いわゆる『俳諸七部集』は、この『冬の日』を最初としていて、以下それぞれ蕉風の変化をうかがうのに便宜が多い。年末にはまた郷里に帰って、その感懐を、

 

  年暮ぬ林きて草鞍はきながら

 

と詠じた。

年が明け、二月になって奈良へ出、京・大津の辺にしばらく留まって後、帰途につき、途 

中甲斐を通って、四月末江戸に帰った。

○ 

夏衣いまだ風をとりつくさずというのが帰庵の吟である。旅をし終えたあとの疲れとほっとした気持が感じられる。

前後九カ月に亘るこの旅は、『野ざらし紀行」と「冬の日」という大きな収獲をもたらしたし、蕉風の確立という点で、重要な意昧を持つものであった。

 

貞享三年は、草庵に落ちついて、静かな牛活を楽しんだ。春には、

 

  古池や蛙とびこむ水の音

の句があったし、秋には、芭蕉庵で月見を催して、

 

  名月や池をめぐりて夜もすがら

と興じた。その問、『春の日』等も出版された。

 

貞享四年も引続き草庵で過したが、八月下句には、曽良らを伴なって、常陸鹿島の根本寺に仏頂和尚を訪ねた。月見の夜は生憎の雨だったが、明け方から晴れた。

鹿島の旅を楽しんでから、芭蕉はさらに旅への憧れが強まり、そこに自らの俳諧活動を求めたらしい。そして、その年10月25日には、『笈の小文』の旅に出て、郷里へ向うことになる。

出発に当っては、朋友山口素堂の漢詩文をはじめ知人門人が、餞別の吟を贈ったり、送別の句会を設けたりして、華々しい門出であった。

 

芭蕉自身

「故ある人の首途するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ」、

といっている。

○ 神無月の夜空定めなきけしき

○ 身は風葉の行末なき心地して

○ 旅人とわが名よばれん初しぐれ

は旅立ちの吟。

ここには、わずか三年前の『野ざらし紀行』のときのような嘆き苦しんだ悲憤感など見当たらず、自信に満ちているような感じがする。芭蕉の心には、充ち足りたものがあった。

江戸を出て、途中、尾張鳴海の知足亭に宿ったり、三河の保美に杜国を訪ねたりして、郷里に帰り、

 

◯ ふるさとや膀の緒に泣く年の暮

 

三月になって、上野に来ていた杜国と連れ立って、吉野の花見に出掛けた。杜国はわざと万菊丸と侍童のような名に変えて従った。大和の詣所をめぐって、奈良に入ったのは灌仏の日であった。唐招提寺では鑑真和尚の像を拝して、

 若葉して御目の雫ぬぐはばや

 

丹波市(天理市)附近では

  草臥て宿かる比や藤の花(再案)

の句を得た。

 

<芭蕉の句は、熟慮の中で仕上がったものが多い。例の「古池やかえる飛び込む水の音」も「古池や蛙とんだる水の音」であるとされている>

それから大阪に出、須磨・明石の古跡をさぐり、引返して京都に着いた。ここで杜国と別れ、近江・美濃を経て尾張へ。尾張からの帰途は、越人らを伴って信濃に更科の月を賞し、八月末に江戸に帰った。この旅で得たものは『笈の小文』と『更科紀行』である。

『笈の小文』、『野ざらし紀行』よりも深い境地と技術的にも精錬されてきたことを示しているが、胃頭の一節は、芭蕉の風雅に対する根本観念を示すものとして重要なものとされている。そして、その「造化に随い造化に帰れ」という思想は、旅で得た体験が大きく物をいっているのである。旅は芭蕉を人間的にも大きく育てた。

 

☆天和2年(1682)39才

 

● 3月、望月千春編『武蔵曲』に発句六旬、一座百韻一巻入集。この俳書によって「芭蕉号」が公となる。

● 12月28日、江戸駒込大円寺を火元とする大火のため芭蕉庵類焼。高山ビジを頼って甲斐国都留郡谷村(現在の山梨県都留市)に赴く。

(この時期については一考を要する。別記)

 

☆天和3年(1683)40才

 

● 5月、甲斐国より江戸に帰る。

● 其角編『虚栗』(六月刊)に「芭蕉洞桃青鼓舞書」として跋文を書き与え、時の俳諧観

を吐露する。

  6月20日、母没す。享年未詳。

  9月、素堂筆の「芭蕉庵再建勧化簿」成り、寄進者五二名に及ぶ。

  冬、新築の芭蕉庵に入る。

 

☆貞享元年(1684)41才

 

  8月、門人千里と『野ざらし紀行』の旅に立つ。

  東海道を経て、9月8日帰郷、4、5日間逗留。

  前年没した母の墓参をはたす。

  大和、吉野、山城を経て9月末、大垣の木因を訪ねる。

  冬、熱田から名古屋に入り、野水・荷号・重五・杜国・正平・羽笠と五歌仙、付加表六

句を巻き、『冬の日尾張五歌仙』と題して刊行(荷兮編)

● 12月25日帰郷。

 

☆貞享2年(1685)42才

 

● 2月、奈良に出て、京、近江、尾張、木曽、甲斐を経て、4月末、江戸帰庵。

9月間の『野ざらし紀行』の旅を終える。帰庵後しばらくして、『野ざらし紀行』初稿成る。

 

☆貞享3年(1686)43才

 

  春、芭蕉庵で衆議判による「蛙」題の二十番句合を興行。

芭蕉の、〈古池や蛙飛び込む水のおと〉の吟が見える。仙化の編で『蛙合』と題して刊行。

  8月、荷号編『春の日』刊行。発句三句入集。

 

☆貞享4年(1687)44才

 

  8月14日、曽良、宗波を伴い、常陸国鹿島の月見に赴く。

  8月15日夜、鹿島根本寺の前住職、仏頂和尚を訪ねて一宿するが、雨。

  8月25日、『鹿島紀行』成る。この頃『あつめ旬』成る。

  10月25日、江戸を立ち『笈の小文』の旅に出る。

  12月末、帰郷。伊賀上野で越年。

 

<参考資料 鹿島詣>

 

芭蕉『鹿島詣』

 

……秋八月、曾良・宗波と常陸鹿島の月見に行く。「鹿島詣」

 八月二十五日『鹿島詣』成る。

 

 洛の貞室須磨の浦にの月見に行て

 

○まつかげや月は三五夜中納言

 

 と云けん狂夫のむかしもなつかしきまゝに、此秋鹿島の山の月見んと思ひ立事あり。ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、くは水雲の僧。僧は烏のごとくなる墨のころもに、三衣の袋をえりにうちかけ、出山の尊像をづしにあがめ入テうしろに背負、杖ひきならして、無門の関もさハるものなく、あめつちに独歩していでぬ。いまひとりは、僧にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのとからをためさんと、徒歩よりぞゆく。甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、おのくいたゞきよそひて、やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸の一千里とかや、めもはるかにみわたさるゝ。つくば山むかふに高く、二峯ならびたてり。かのもろこしに双剣のミねありときこえしは、廬山の一隅也。

 

○ゆきは不申先むらさきのつくばかな

 

と詠しは、我門人嵐雪が句也。すべてこの山ハ、やまとだけの尊の言葉つたえて、連哥する人のはじめにも名付たり。和歌なくバあるべからず。句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。萩は錦を地にしけらんやうんにて、ためなかゞ長櫃に折入て、ミやこのつとにもたせけるも、風流にくからず。きちかう・をみなえし・かるかや ・尾花ミだれあひて、さをしかのつまこひわたる、いとあハれ也。野の駒、ところえがほにむれありく、またあはれなり。日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。

此川にて鮭の網代といふものをたくみて、武江の市にひさぐもの有。よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに夜舟さしくだして鹿島にいたる。ひるより雨しきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此所におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ。

しばらく清浄の心をうるににたり。あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあハれなるけしきのミむねにみちて、いふべきことの葉もなし。

はるぐと月ミにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。かの何がしの女すら、郭公の哥、得よまでかへりわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならむかし。

 

                                                         和尚

                           

おりくにかはらぬ空の月かげもちゞのながめは雲のまにく

月はやし梢は雨を持ながら        桃青

寺に寐てまこと顔なる月見哉      同

雨に寝て竹起かへるつきミかな    ソラ

月さびし堂の軒端の雨しづく      宗波

 神前

此松の実ばへせし代や神の秋      桃青

ねぐはゞや石のおましの苔の露    宗は

膝折ルやかしこまり鳴鹿の声      ソラ

 田家

かりかけし田づらのつるや里の秋  桃青

夜田かりに我やとはれん里の月    宗波

賤の子やいねすりかけて月をミる  桃青

いもの葉や月待里の焼ばたけ      タウセイ

 野

もゝひきや一花摺の萩ごろも      ソラ

はなの秋草に喰あく野馬哉         同

萩原や一よはやどせ山のいぬ      桃青

 帰路自準に宿ス

塒せよわらほす宿の友すゞめ      主人

あきをこめたるくねの指杉         客

月見んと汐引のぼる船とめて      ソラ

 

貞享丁卯仲秋末五日

 

 このあと素堂と芭蕉の「みのむし」の遣り取りがある。これまでは、芭蕉側から見た著書が多く、素堂がなにゆえ「蓑虫記」を記したのか、理解不足であったが、このあたりを調査した結果、その辺が解明できた。この一連の遣り取りは、芭蕉の生き方を「蓑虫」に例えた、素堂独特の示唆記事であり、しかもこの時代を代表する詩文でもある。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年03月02日 05時51分03秒
コメント(0) | コメントを書く
[松尾芭蕉資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X