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2021年06月13日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室

 芭蕉、甲斐へ 『芭蕉全伝』山崎藤吉氏著

 

 

 多くの識者は芭蕉の甲斐入りをどのように捉えていたのか

 

 引用資料『芭蕉全伝』山崎藤吉氏著 昭和十七年刊

 

   芭蕪庵焼失    

 

  天和二年冬、芭蕉庵が焼けた。

 

 芭蕉が晩年、門人北枝の火災に罹った時、遣った見舞状の中に。

  池魚の災承り、我も甲斐の山里に引うつり、

  さまざまな苦労いたし候へば、御難儀の程察し申され候。

 

 とあって、自分が嘗て、火災に逢って苦しんだことを述べて居る。其角も亦、芭蕉の罹災の状を左の如く記して居た。

 

  天和三の冬、深川の草庵急火にかこまれ(中略)爰に猶、

  如火宅の変を悟り、無住所の心を発して、其次の年半に

  甲斐が根にくらし。……

 

 とあって、火災に逢って苦労して、無住所の心を発したと言って居る。

 

 元来生活が下手で、貧乏で、市中生活を佗びて深川へ隠遁したのだ、其深川の草庵では、叉一切を佗びて奈良茶歌を歌ったのだ、夫れが又雨の佗笠を作って宗祇の宿りを想ったのだ、芭蕉は満身佗びの創痍を負って居たのだ、其虞へ火災の襲撃を叉けたのたから、答へたことであらう。

 

 知人に身を寄せて、翌天和三年花の頃まで、江戸に居た。

「句解参考」に。

 

  芭蕉庵は火の為に破れて、

  或人の許に春(天和三年)を

  わびけるに、軒の梅に雪の降りかゝるを見て、

        深川の松はなくらむ雪の梅

 

  とある、此の前書の文句は、芭蕉の自作とは認れられないが、事實は斯うであったものと思はれる、叉此の句も疑いがあるが、暫く前書従って見るに、梅の頃までは江戸に居たことになる。

 

 又『虚栗集』に

 

         憂方知酒聖       貧始覚銭神

        花にうき世我酒白く飯し黒  芭蕉

         眠を盡す陽炎の痩      一晶

 

 とあって、芭蕉が一唱、嵐雪、其角、嵐蘭との五歌仙がある、一唱以下四人の連衆は、当時皆江戸在住の人々であるから、此の歌仙は、天和三年春江戸に於いての興行と見られるから、芭蕉が花の頃まで江戸に居たことが判る。

 

「うき世」は憂世てなく、浮世であろう、世間の人々は花に浮かれて騒いで居るのに、我は心配の中に、叉貧乏の中に、濁酒、麦飯で心を遣って居るといふのであろう。

 一説に、其角の菩提寺なる二本榎の上行寺に避難して居た、とも言はれて居る。

  ……天和三年四十歳三月の頃ならん、難を甲斐に避く

 三月頃まで江戸に路み止まって居たすれば、甲斐へ行ったの其より後であろう、江戸に居られない事情は何であったか、傳ふる所によれば、杉風も此頃火災に逢ったというが、頼りにするものが無かった為か。

 遠く甲斐の郡内の片田合へ逃げたことに就て、湖中は次ぎのように言った。

  甲州の郡内谷村と初雁村とに、久しく足を止められし事あり、初雁村の等力山萬福寺といふ寺には、翁の書かれし物多くあり、又初雁村に杉風が姉ありきといへば、深川の庵室焼亡の後、かの姉の許へ、杉風より添書など持れて行かれしなるべし。……

 

と言ひ、叉成美は。

 深川の庵、池魚の災に罹りし後、暫く甲斐國に掛錫して、六祖五平といふものを主とす、六祖は彼のものゝ仇名なり、五平嘗て禅法を深く信じ、佛頂和荷に参学す。彼者一文字だに知らす、故に人呼んで六祖と名けたり、芭蕉も亦彼禅師の居士なれば、其因みによりて宿られしと見えたり。

 

 とある、とに角、郡内に居た人を頼って行って、随分難を嘗めたことであろう、谷村では「磯部久住といふのが宿」で有ったといふ。

 

 火災に就て、芭蕉庵焼亡の火災は、天和二年十二月の八百屋お七火事の類焼だと言はれて居る、けれども必ずしもお七火事の類境だとは断言出来ない、其頃別の火事に罹ったものと見ても差支ふる處はない。

 

 某年十一月、芭蕉が橘町に居たことがある、共某年と云ふのが天和二年だといふ説がある、左に掲げる中尾、濱連名宛の書状が、此時の事に該当するものと認められる。

 (上略)

  御俳諧被遊候や、御発句など被遊候はば、

  便に可被遣候、春は其角、集あみ申候間入集可仕候、

  私は宿は橘町彦右衛門と申ものゝ店にて桃青と御書付可扱成候。

         霜月十八日                 芭蕉桃青

        中尾源左衛門様 濱市海術門様

 (中尾源左衛門は、伊賀上野の人にて槐市と称す)

 

右の文中「春は其角集編み」とある集は、『虚栗集』に該当するものと認められ

果して『虚栗集』とすれば、此手紙は『虚栗集』の出来た前年、即ち天和二年ののであろう、叉芭蕉庵の焼失を十二月のお七人事でなく、其前に既に焼けたとすれば、天和二年霜月十八日に、橘町に居たことも差支なくなる、即ち一時橘町に避難していたものと見られる。

 

 冠山の『芭蕉翁全傳』には、深川の草庵が焼けた時、暫く駿河臺の芭蕉庫に避難して居たといふ異説を挙げて居る。甲斐滞在中の様子は判然と分って居ない。滞在期間は、二ケ月前後と見える、五月には江戸へ帰って居る。

 

  滞在中の句

 

         甲斐山中

        清く聞ン耳に香焼て子規

        ほととぎす正月は梅の花咲り

        青さしや草餅の穂に出るらん

        椹や花なき蝶の世すて酒

        勢ひあり氷消ては瀧津魚

 

 甲斐山中の句の中に、冬から春にかけての句が見えて居ないが、其譯は、此の期間は、まだ甲斐へ行ってない為かと推測される。

 

  滞在中、木曾に櫻狩をしたとの説。

 

 貞享二年四月、名古屋から江戸へ帰る時、木曾路を通った、其時の述壌に、

  思ひ出す木曾や四月の櫻狩

 の句がある、されば天和三年四月甲斐に避難中、櫻狩した、とを思出したものと思はれる、是は滞在中木曾へ遊んだのであろう、併し『雛筥物語』には「思ひ出す」とあるけれども、曉臺の『幽蘭集』には「おもひ立」とあるから、どちらか句意が判然しない。

 

 滞在中江戸の一唱と麋塒が訪問した。

 

 二代目麋塒の話に、

  芭蕉桃青は,(中略)亡父幻世(初代麋塒〉懇にて、

  甲州郡内谷村へ度々参られ、三十日或は五十日逗留す、

  叉或時は一唱など同道す。

 

 とあって、数回谷村へ来て居るやうに言って居る、又麋塒と一唱と同道で訪問したとある。

 麋塒と一唱と同道で、甲斐の芭蕉洞を訪問した時の歌仙は『蓑虫庵小集』と『一葉集』とに残って居るのが其れであろう、其歌仙の発句に次の句がある。

 

  夏遅行我を繪に見る心かな

 此の附句に

  麦手ぬるゝ瀧凋む瀧      麋塒

 第二に

  蕗の葉に酒灑竹の宿懲て    一唱

 とある。

 

 《句許解》

 

 「夏馬の遅行」の句は「水の友」には、

     馬ぼくぼく我を繪に見る夏野哉

 とあって、画賛としてある、後に改めたのであろう、ぼくぼくは、暖い日を浴びながら遅々と歩く満足の形容であろう、夏野は盛夏でなく、初夏行楽の好時季であろう、馬に乗って居る自分を、繪中の景の如く感じたのであろう、此の景を書いた繪に芭蕉の讃をしたのがある、其れは多分後になってから、此の句の意を繪に書いたものに讃したものと思はれる、一本に、「夏野かな」を、「枯野かな」としてあるが、夏野であらう、遅々,とか遅行とかは、歌の方では「うらうら」といひ、俳諧の方では「ぼくぼく」といって居るやうだ。

 

 其年夏柏水宛芭蕉書状には、

  (上略)

  木曾路にて発句の事、

  此度は日数も間も無之故、

  発句も二三句ならではは致さず候、

  其くせ不出来に候、暫く浅間邊にて

 

        馬ぼくぼぐ我を繪に見る夏野哉

  此句ばかりと存候、

  其外不埒千萬なる句にて御座候故、

  不申入候、

  追付富士詣人に誘はれ候に付、

  愚老も参可申哉と存候。

 

 とあって此句を浅間邊にての作とし、一葉集には

 「甲斐郡内といふ處に到る途中の苦吟」

 として居る所から見ると画賛の方は後のことであろう、此句を貞享二年の作とする説がある。

 

 富士を詠んだ句、此の滞在中であろう。

  雲霧の暫時百景を盡しけり

 

《句許解》

 此句の前書に

 

  まのあたり、士峯地を拂て蒼天をおさへ、

  日月の為に雲門をひらくかと、

  向ふ所みなおもてにして美景千変す

 

 とあるので句意はわかる。

 

 世人が、芭蕉に富士を詠んだ句が尠ないと云ふから、此處に自画賛の板木摺を掲げる。

 

『芭蕉句選拾遺』に、此句を挙げた後に、

 

  甲州吉田の山家に所持の人ありしを、東武下谷、

  菊志秘蔵なるよし、行脚祇法より傳写して出す……

 

 と書き添えてある所から、此句が甲斐にての作ならんと推測される。

                       (以下略)





 






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最終更新日  2021年06月13日 06時30分36秒
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