カテゴリ:俳諧資料室
俳文学年表(720~1297)
『俳文学大辞典』角川書店 一部加筆 山口素堂資料室
☆ 養老四年 720 五月、『日本書紀』成、日本武尊と秉燭者との片歌問答が見える。 ☆ 天平一六年 744 このころ以前に、大伴家持と尼との唱和あり。 ☆ 天平勝宝三年 751 一一月、『懐風藻』成。聯句用語所見。 ☆ 天平勝宝四年 750 四月、大仏開眼。 ☆ 天平宝宇三年 759 『万葉集』、この年一月までの歌を収める。 ☆ 延暦一三年 794 十月、平安京に遷都。 ☆ 天慶九年 946 四月に即位した村上天皇のサロンを中心に短連歌が流行。 ☆ 天暦五年 951 『後撰集』撰集開始。巻六に連歌が入集。 ☆ 長徳四年 998 一一月、短連歌を好んだ藤原実方?・没。 ☆ 長保三年 1001 このころまでに『枕草子』ほぼ成か。 ☆ 寛弘四年 1007 『拾遺集』この年までに成か。 連歌が合作の和歌ではないとする考えが見える。 ☆ 康平五年 1062 九月、衣川の合戦において義家・貞任が連歌を応酬したという。 ☆ 応徳三年 1086 一一月、白河上皇の院政開始。 ☆ 天永二年 1111 一一月、大江匡房71歿。生前『江談抄』で聯句を話題にする。 ☆ 天治一年 1124 このころから、有仁ら鎖連歌(長連歌)を興行。 ☆ 天治二年 1128 『金葉集』二度本成立、初めて連歌が部立に入る。 ☆ 大治四年 1129 一一月以前に、連歌の達者といわれた悛頼?歿。 ☆ 長寛一年 1163 このころ、藤原茂明、聯句の上手といわれる。 ☆ 永万一年 1165 このころ、小侍従ら、いろは連歌を興行。 ☆ 仁安二年 1167 平清盛、太政大臣となる。 ☆ 知承一年 1177 七月、藤厚清輔74歿。生前、『袋草紙』で連歌の骨法を論じる。 ☆ 文治一年 1185 二月、壇ノ浦の合戦で平氏滅亡。 ☆ 建久三年 七月、源頼朝、征夷大将軍となる。 ☆ 正治二年 1200 定家ら、百句の連歌を興行。 ☆ 元久二年 1205 三月、『新古今和歌集』見高。 ☆ 建永一年 1206 後鳥羽上皇、有心無心連歌を興行。 ☆ 承久三年 1221 このころまでに順徳上皇『八雲御抄』ほぼ完成。 連歌式目の萌芽が見られる。 五月、承久の乱起こる。 ☆ 高禄一年 1225 このころから、上賦・下賦の複式賦物が見られ始める。 (元仁二年)四月二〇日改元。 ☆ 寛喜二年 1230 四月、連歌尼44没。八月、定家ら追善供養をする。 ☆ 貞永一年 1232 四月二日改元。八月、「御成敗式目」制定。 ☆ 文暦一年 1234 歿 家長?。天福二年と一月五日改元。 ☆ 嘉禎三年 1237 歿 家隆80 ☆ 仁治二年 1241 秋ごろ、東大寺周辺で連歌の興行あり(最古の伝存懐紙)。 歿、定家80歳 ☆ 文永一年 1264 このころから、連歌式目が個々に作られる。 ☆ 文永九年 1272 歿、鰯後嵯峨天皇53歳 ☆ 建治一年 1275 建治年間に『王沢不渇備抄』成か。聯句を詳説。 連歌と聯句との競作、和漢聯句がこのころから始まるか。 歿、為家78歳・行家53歳 四月二五日改元。 ☆ 建治三年 1277 このころ、善阿、式目を統一し「建治新式」を制定か。 ☆ 永仁五年 1297 一月、本式目による『冷泉家蔵永仁五年何本百韻』成。 百韻完備としては伝存最古。 この年以前に献物が単式へと移行。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年06月18日 07時33分44秒
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