カテゴリ:松尾芭蕉資料室
宗房時代の俳諧百韵 勝峰晋風氏著 昭和4年刊
『俳書大系』附録(14)春秋社 一部加筆 山口素堂資料室
『貞門俳諧集』を配本する事となつたので、私が多年の懸案として暫らくさがしあてた、芭蕉が貞徳風の俳諧試みた:宗房時代の百韵全巻を発表したいと思ふ。この百韵の存在は私かかつて竹人の『芭蕉翁全傳』ををはじめて我見した時に、百韵中の宗房の附句十八句のうち五句だけ掲げてあるのを見て了知したのであるが、貞徳の十三回忌に芭蕉の奮藤堂蝉吟の発企で、季吟の後見を以て鳥羽寺の實相寺……貞徳の菩提所……ヘ納めことある以外は古俳書に記録を残さないので、どうかして全巻を知りたいものだと、あこがれの気持をすらい抱いて探索中偶然、天堂一叟の遺稿を一括して購入した際、その中の『芭蕉桃青翁正傳記』全五冊の第一巻にはからず百前全巻の筆録してあるのを見、殆んど狂喜するばかりの満悦感にうたれたのであつた。 この一見といふ人は杉風系統 の俳人で『飛鳥国家系』によると。
飛島国紀入一叟 南總吹入、 鈴木直右衛門治紀 初名泰丈、素東。一素園。五済斎、徳人。 無爲坊、天堂、三妙庵、再生坊、
とあり、飛鳥園の初代は後二代白兎国宗瑞となつた廣岡一叟で、二代は並木氏、三代は宇井氏、孰れも飛鳥園一叟と號していたので、天堂を號する鈴木一里はその四代に相富する。 この人の著述中では『俳諧七部十寸鑑』が最も著聞するが、『春の日』『ひさご』『猿簑』の三部の板本が現存するのみで、『冬の日』その他の注解も確に 板本を見たといふ人はあるが、どこに誰が特つてゐるのか全部揃つたものを眉目した事がない。 さてこの貞徳十三回忌の百韵を筆録した『芭蕉桃青翁御正傳記』の稿本には曾良の奥の細道の日記のやうな新資料もありして、充分信頼をはらへる書であるから、左に稿本に載するままを掲げやう。
貞徳翁十三回忌追善俳諧
野は雪にかるれどかれぬ紫苑哉 蝉吟公 鷹の餌こひと音をはなき跡 季吟 臼杵のことくに馴し年を経て 正好 兀たはりこも捨ぬわらはべ 一笑 けふあるともてはやしけり雛也 一以 月のくれまて汲むもゝの酒 宗房 ☆ 長閑なる仙の遊にしくはあらし 執筆 景よき方にのふる絵むしろ 蝉 道すしを登りて峰にさか向 笑 案内しりつゝ責る山城 好 あれこそは鬼の窟と目をつけて 房 ☆ 我大君の國とよむ哥 以 祝むとおほす御賀の催しに 蝉 きけば四十にはやならせらる 笑 まとはれな實の道や戀の道 好 ならて通へは無性闇夜 房 ☆ 切指の一寸さきも惜しからす 以 おれにすゝきのいとしいそのふ 蝉 七夕は夕邊の雨にあはぬかも 房 ☆ 鞠場にうすき月のかたはれ 好 東山の道よき花にやれ車 笑 春もしたえる茸狩の跡 以 とゝのるを残る雪問に尋ぬらし 蝉 なつかて猫の外而にそ啼 房 ☆ 埋火もきへて寒けき隠居處に 以 湯婆の湯もや更てぬるめる 笑 例ならておよるのものを引重ね 好 あふも心のさはく戀風 蝉 恨あれは眞葛かはらり露泪 笑 詠によしのゝ山のとんさい 以 在明の同所のみ友として 房 ☆ 未だ夜深きにひとり旅人 好 よろつかぬほとにさゝをものましませ 蝉 市につゞくは細い懸橋 笑 堀際へ後陣の勢はおしよせて 以 息きれたるを乖替の馬 蝉 早使ありと呼はる宿々に 好 とけぬやうにと氷さゝくる 房 ☆ あけて今朝あさ日ほのぼのほのめきて 笑 大ふくの爐にくふる薫 好 佐保姫と云ん姫御の身たしなみ 蝉 青柳腰ゆふ柳髪 以 待あくみ松吹風もなつかしや 房 ☆ 因幡の月に来むと約速(ママ) 笑 鹿の音をあはれなものと聞及び 好 おく山とある哥の身にしむ 蝉 いろはをはらむうゐのより習初 以 わるさもやみし閨の雅ひ 房 ☆ 花壇の繩のゆひ目もりるうなり 蝉 覆詠も古き神前 好 春の夜の御灯ちらちらちらめきて 笑 北斗を祭る儀式殊勝や 以 出し初る船の行衛を気遣れ 房 ☆ 涙でくらす旅の留主中 蝉 独り居を思へと文に長くとき 好 そちとそちとは縁はむすはし 笑 たてなりしふり分髪は延ぬるや 蝉 悌にたつかのうしろつき 房 ☆ したへとも老かと見しは身まかりて 以 誰に尋むことのはの道 好 またしらぬ名所をは見に行しやな 笑 都にますや海邊の月 以 罪無くは露もいとはし借住居 好 する殺生もやむはうら盆 蝉 竹弓も今は卒塔婆に引替て 房 ☆ 甲の名ある鉢やひくらし 好 焼物にいれて出せる香のもの 以 何の風情もなめし斗そ 房 ☆ お宿より所替るが御慰 蝉 野山の月にいさとさそえる 以 詠草も薪も暮れてかり仕舞 好 肌寒さうに年をおひぬる 以 川風に遅しと淀の舟をめき 笑 久しふりにて訪妹か許 蝉 奉公の隙もよそ目の隙とみツ 房 ☆ こよと云やりきる淀絹 好 一門に逢や病後の花心 以 かなたこなむの節の振舞 笑 名ヲとし玉をいたり叉々申うけ 蝉 師弟のむつみ長く久しき 房 ☆ 盃はかたしけなしといたゝきて 笑 討死せよと給ふ腹巻 以 防矢を軍み鎧れの折からに 好 いとも靜な舞の手くたり 蝉 見かけより気はおとなしき小児にて 房 ☆ 机はなれのしたる文章 笑 媒をやとの明暮頼みおき 以 ちやことにあらて深きすきもの 好 うさ積る雪の肌を忘れ兼 蝉 氷る浜のつめたさよ扨 房 ☆ 訪はぬをも思月夜にいたく更 好 律のしらへもやむる庵室 以 秌は日を清き水石もて遊ひ 笑 残る暑はたまられもせす 蝉 是非ともにあの松影へ御出あれ 以 堪忍ならぬ詞からかひ 好 おされては叉押かえす人込に 房 ☆ けふ斗こそ廻る道場 以 花咲の翁さひしをとむらひて 好 経よむ鳥の聲も妙也 笑
右此俳諧季吟叟より鳥羽里實相寺江納置候者也 寛文元年霜月十三目
右によると竹人の『芭蕉前全傳』に宗房の附句十八句とある通りで、季吟の『績山井』には蝉吟、宗房の主従ともに多くの發句をかゝげ、附句も載ってゐるが、主従同一座で俳諧を行った文献ふしてはこれを嚆矢とするのであるから、芭蕉の傳記なり俳諧なりを研究するにあたって参考に資するところ診少であるまいと信ずる。『芭蕉桃青翁御正傳記』は荻原井泉水頴原退蔵氏の懇望によって貸與したことはあるが、両氏とも発表は遠慮されたむことゝ思ふので、この百韵は今回はじめて公表された譚である。
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最終更新日
2021年07月05日 07時00分07秒
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