カテゴリ:甲斐武田資料室
武田晴信 甲州法度之次第
(『諸洲古文書』四 〔参考資料 読み下し「甲府市史」〕
(1) 一、国中の地頭人、子細を申さず悉に罪科の跡と称し、私に没収せしむるの条、甚だ自由の至なり。若し犯科人晴信の被官たらば、地頭の綺(いろい)あるべからず。田畠のことは下知を加へ別人に出すべし。年貢諸役等は地頭へ速に弁償すべし。恩地に至つては書き載するに及ばず。次に在家並びに妻子・資材のことは定法の如く職にこれを渡すべし。 (2) 一、公事沙汰の場に出づる後、奉行人の外に披露致すべからず。況んや落着の儀に於てをや。若しまたいまだ沙汰の場に出でざる以前は、奉行人の外たりと難もこれを禁ずるに及ばざるか。 付、一人として申すこと一切これあるべからず。 (3) 一、内儀を得ずして他国へ音物・書札を遣はす事、一向停止せしめ畢んぬ。但し信州に在国の人謀略として、一国中通用の者は是非なき次第なり。若し境目の人日頃比書状を通じ来る者は、これを禁ずるに及ばざるか。 (4) 一、他国へ縁を結び嫁し、或は所領を取り、或は被官の契約を出すの条、甚だ以て違犯の基たるか。堅くこれを禁ずべし。若しこの旨に背くの輩あらば炳誠を加ふべきなり。 (5) 一、札田畠に狼籍の事、年貢地に於ては地頭の計たるべし。恩地に至つては下知を以てこれを定むべし。但し貢物等の儀に就いては、分限に随ひその沙汰あるべし。 (6) 一、百姓年貢を抑留する事、罪科軽からず。百姓の地に於ては地頭の覚悟に任せ所務せしむべし。若し非分の儀あらば、検使を以てこれを改むべし。 (7) 一、名田地意趣なくして取り放つの事は非法の至なり。但し年貢等過分の無沙汰あり、剰(あまつさ)へ両年に至つては是非に及ばず。 (8) 一、山野の地打ち起すに就いて、四至榜示境を論ずなれば、本跡を糺明しこれを定むべし。若しまた旧境に依り分別に及ばざれば中分たるべし。この上なほ諍(そう)論の族あらば別人に付すべし。 (9) 一、地頭申す旨あり点札を下すのところ、その理なく作毛を捨つるに至つては、翌年よりかの田地地頭の覚悟に任す。去りたがら作毛を苅り取らずと錐も、年貢を弁済せしむれぼ、別条あるべからず。兼ねてまた地頭の非分に於ては、知行の半分召し上ぐべきなり。 (10) 一、おのおの恩地の事、自然水旱両損ありと雖も、替地を望むべからず。その分量に随ひ奉公致すべし。然りと雖も忠勤を抽んづる輩に於ては、相当の地を以て宛て給はるべし。 (11) 一、恩地を抱へる人、天文十辛丑以前十箇年地頭へ夫公事等の勤なくぱ、これを改むるに及ばず。但し九年に及んでは事の躯に随ひ下知を加ふべし。 (12) 一、私領名田の外の恩地領、左右なく沽却せしむる事停止し畢んぬ。かくの如く制すと雖も、拠んどころなくば仔細を言上し、年期を定め売買せしむべきの事。 (13) 一、百姓出すところの夫、陣中に於て殺さるる族は、かの主その砌三十日免許せしむべし。然れども前々の如く夫を出すべし。荷物失却の事はこれを改むるに及ばず。次に夫逐電の上、本主人に届けずして許容せしむるに於ては、縦へ数年を経るも罪科免れ難し。 付、夫差したる咎めなく、主人殺害に及ばば、その地頭へ十箇年の間右の夫勤めざるの事。 (14) 一、親類被官私(ひそ)かに誓約せしむるの条、逆心同前たるべし。但し戦場の上に於て忠節を励まんためには盟約を致すか。 (15) 一、譜代の被官を他人召し仕ふの時、本主見合せ捕ふるのこと停止(ちょうじ)し畢んぬ。旨趣を断りて請け取るべし。兼ねてまた主人聞き伝へ相届くるのところ、当主領掌の上逐電せしむれば、自余の者一人を以てこれを弁ずべし。奴婢雑人の事は、その沙汰なく十箇年を過ぐれば、式目に任せこれを改むべからず。 (16) 一、奴婢逐電以後、自然路次に於て見合せ、当主人に糺さんと欲せば、本主私宅へ召し連れる事非法の至たり。先づ当主人方へ返し置くべし。但し境遥かに依りその理遅延の事、五三目までは苦しからざるか。 (17) 一、喧嘩の事、是非に及ぱず成敗を加ふべし。但し取り懸ると難も堪忍せしむるの輩に於ては、罪科に処すべからず。然るに贔屓(ひいき)偏頗をもつて合力せしむるの族は、理非を論ぜず、同罪たるべし。もし不慮に殺害刃傷を狙さば、妻子家内のことは相違あるべからず。仍つて犯科人逐電せしめば、縦へ不慮の儀たりと雖も、先づ妻子を召し置き、当府に於て子細を尋ぬべきたり。 (18) 一、被官人の喧嘩井に盗賊等の科、夫に懸くべからざるのことは勿論なり。然りと雖も実否を糺さんと欲するのところ、件の主人科なきの由頻りに陳じ申し、相抱ふるの半に逐電せしむれば、主人の所帯三箇一没収すべし。所帯なくば流罪に処すべきものなり。 (19) 一、意趣くして寄親嫌ふこと自由の至なり。然る如き族に於ては、白今以後理不尽の儀定めて出で来らんか。但し寄親の非分際限なくば、解状を以て訴訟すべし。 (20) 一、乱舞遊宴・野牧川狩等に耽り武道を忘るべからず。天下戦国の上は、諸事を抛(なげう)ち武具の用意肝要たるべし。 (21) 一、川流の木並びに橋の事、木に於ては前々の如くこれを取るべし。橋に至つては本所へ返し置くべし。 (22) 一、浄土宗と日蓮宗とは、分国に於て法論あるべからず。若し取り持つ人あらば、師檀共に罪科に処すべし。 (23) 一、被官出仕の座席の事、一両人定め置くの上は、更にこれを論ずべからず。惣別戦場に非ずして意趣を諍ふは、却つて比興の次第なり。 (24) 一、沙汰を出す輩に於ては、裁許を待つべきのところ、相論の半に理非を決せず狼籍を致すの条、越度なきに非ず。然らば善悪に及ばず論所を敵人に付すべし。 (25) 一、童部の口論は是非に及ばざるか。但し両方の親制止を加ふべきのところ、却つて欝憤を致さば、その父世のため誡めずんばあるべからず。 (26) 一、童部誤って朋友等を殺害せば、成敗に及ぶべからず。但し十三以後の輩に於てはその答免れ難し。 (27) マ)本奏者聞き、別人に就いて訴訟を企て、また他の寄子を望むの条、好濫の至たり。自今以後停止すべきの旨、具(つぶさ)に以て先条に載せ畢んぬ。 (28) 一、自分の訴訟披露致すべからず。寄子の訴に就いて奏者を致さるべきこと勿論たり。然りと雖も時宜に依り遠慮あるべきか。沙汰の日の事は先条に載するが如く、寄子・親類・縁嫁等の申す趣一切禁遏すべきなり。 (29) 一、縦へその職に任ずと雖も、分国諸法度の事、違犯せしむるべからず。細事たりと雖も披露致さず恣(ほしいまま)に執行せば、早くかの職を改易せしむべし。 (30) 一、近習の輩、番所に於て、縦へ留守たりと難も、世間の是非井に高声これを停止せしむべし。 (31) 一、他人の養子の事、奏者に達し遺跡の印判申し請くべし。然れども後父死去せしむれば、縦へ実子ありとも叙用する能はず。但し継母に対し不孝なさば悔い還すべし。次に恩地の事、田畠・資財・雑具等の儀は亡父の譲状に任すべし。 (32) 一、棟別法度の事、既に日記を以てその郷中へ相渡すの上は、或は逐電、或は死去すると雖も、その郷中に於て速に弁済致すべし。そのため新屋を改めざるなり。 (33) 一、他郷へ屋を移す人あらば、追つて棟役銭を取るべきの事。 (34) 一、その身或は家を捨て或は家を売り、国中徘徊せば、何方までも追つて棟別銭を取るべし。然りと雖もその身一銭の料簡なくんば、その屋敷の抱人これを済すべし。但し屋敷弐百疋の内に於ては、その分に随つてその沙汰すべし。自余は郷中一統せしめこれを償ふべし。縦へ他人の屋敷たりと雖も、同じく家屋敷相抱ふるに就いては是非に及ばざるか。 (35) 一、棟別の佳言一向停止し畢んぬ。但し或は逐電或は死去のもの数多あるに就いては、棟別銭一倍に及ばば披露すべし。実否を糾し寛宥の儀を以て、その分限に随ひ免許せしむべし。 (36) 一、悪党成敗の家のことは是非に及ばざる事。 (37) 一、川流れ家の事、新屋を以てその償を致すべし。新屋なくば郷中同心せしめ弁済すべし。若し流ること十間に至つてはこれを改むるに及ばず。付、死去の跡のことは右に准ずべし。 (38) 一、借銭法度の事、無沙汰人の田地所諸方より相押ふるの事、先札を以てこれを用ふべし。但し借状に紛れたきに至つてはその方へ落着すべきの事。 (39) 一、同じく田畠等の方、書入借状の事、先状を用ふべし。然りと雛も謀書・謀判に至つては罪科に処すべし。 (40) 一、親の負物その子相済ますべきこと勿論なり、子の負物親の方へこれを懸くべからず。但し親の借状に加筆せばその沙汰あるべし。若しまた早世に就いて、親遺跡を抱ふるに至つては、逆儀たりと雖も、子の負物相済ますべき事。 (41) 一、負物人或は遁世と号し、或は逐電と号し、分国徘徊せしむる事、罪科軽からず。然らば許容の族に於ては、かの負物弁済すべし。但し身を売る奴稗等のことは先例に任すべし。 (42) 一、悪銭の事、立て置く市中の外はこれを撰ぶべからず。 (43) 一、恩地を借状に載する事、披露なくしては請け取るべからず。その上印判を出して相定むべし。若しかの所の領主逐電せしむれぱ、事の躰に随ひその沙汰あるべし。年期を過ぐれば先例を挙げ、若し佳言に依つて出し置くに就いては、恩役等相勤むべきの事。 (44) 一、逐電人の田地残り方に取らば、年貢・夫公事以下地頭へ速に弁済すべき事。 (45) 一、穀米地負物これを懸くべからず。但し作人虚言を構ふれば、縦へ年月を経ると難も罪科に処すべきの事。 (46) 一、負物人死去あらば、口入人の名判を正し、その方へ催促すべきの事。 (47) 一、連判を以て借銭を致し、若しかの人衆の内逐電・死去せしむれば、縦へ一人たりと雖もこれを弁償すべし。 (48) 一、相当の質物の儀は定の如し。若し過分の質物少分を以てこれを取らば、縦へ兼約の期たりと雖も、聊亦に沽却すべからず。利潤の勘定損亡なきに至つては、五三月相待ち、頻りに催促を加へ、その上なほ無沙汰せしむれば、証人を以てこれを売るべし。 (49) 一、負物の分、年期を定めて田畠を渡し、または土貢の分量を書き加へ沽却せんと欲せば、売人並びに買人その地頭の主人へ相届くべし。その儀なきの上、或は折檻に依り主人これを取り放ち、或は子細あつて地頭これを改むるの時、縦へ買人負物人の借状を帯すと雖も、信用する能はず。 (50) 一、米銭借用の事、一倍に至つては頻りに催促を加ふべし。この上なほ難渋せしむれば、その過怠あるべし。自然地下人等の借銭のところに下輩を軽んじ、負物人無沙汰せしむれば披露すべし。これまた右に同前。 (51) 一、蔵主逐電に就いては、日記を以て相調べ、銭不足に至つては、その田地・屋敷取り上ぐべし。但し永代の借状二伝に於てはこれを懸くべからず。年期地のことはその沙汰あるべし。年貢・夫公事等は地頭へ速に勤むべきの事 (52) 一、祢宜並びに山伏等の事、主人を頼むべからず。若しこの旨に背かば、分国俳個これを停止すべし。 (53) 一、譜代の被官主人に届けずして、権威を募り、子を他人の被官に出し、剰へ田畠を悉く譲与する事、自今以後停止せしめ畢んぬ。但し嫡子を本主人に出さば、自余の子のことは禁制する能はざるたり。 (54) 一、百姓の年貢・夫公事以下無沙汰の時、質物を取り、その理たく分散せしむるの条、非拠の至なり。然して年月を定めその期を過ぐるは禁止に及ばず。 (55) 一、晴信形儀その外の法度以下に於て、意趣相違のことあらば、貴賎を撰ばず目安を以て申すべし。時宜に依りその覚悟を成すべきものなり。
右五十五箇条は、天文十六丁未年六月定め置き畢んぬ。(天文十六=1547) 追加の二箇条は天文廿三甲寅五月これを定む。(天文廿三=1554) (56) 一、定年期の田畠は十箇年を限り、敷銭を以て請け取らしめ、かの主貧困に依り資用なきに於ては、なほ十箇年を加へて相待つべし。その期を過ぐれば買人の心に任すべし。自余の年期の積は右に准ずべし。 (57) 一、百姓隠田あらぼ数十年を経ると難も、地頭の見聞に任せこれを改むべし。然れども百姓申す旨あらば対決に及び、なほ以て分明せざれば実検使を遣はしこれを定むべし。若し地頭非分ならばその過怠あるべし。
天正八年庚辰卯月十二目(天正八年=1580) 右筆竹千世九十三
〔解説〕
「甲州法度」には「甲州式目」「信玄家法」ほかの異名が多いが、正式には「甲州法度之次第」という。その原本は 残っていないが、写本が数種残っている。その中で保坂潤治氏旧蔵の「二十六カ条本」は、従来より高く評価されており、「甲州法度」の原型とされてきた。 しかし詳細に検討してみるとこれも抄写本の一つにすぎず、原本とは思えない理由が二、三存在する。ここでは「諸州古文書」巻四(内閣文庫所蔵)の「天正八庚辰年卯月十二日」の奥書をもつ五十七カ条本を比較的原初形態に近いものとして紹介した。 各条文の内容はかなり難解であって、その解釈には異説が多い。しかし全体としていえる特徴は、基本的には鎌倉期の貞永式目以下の影響が強いこと、とりわけ隣国での先行法である「今川家仮名目録」との類似条項が多いこと、経済条項などに先進的た内容が多いことなどがあり、制定の趣旨は領国内での領主層である地頭に対して、その領主としての権限を明示したものであり、在地農民との利害関係を調整した経済条項が多い。制定の背景としては父信虎以来の甲斐守護としての分国秩序の確立があり、信濃侵攻の本格的な展開を前にして、国内の再整備を意図したものであろう。(『諸洲古文書』四 〔参考資料 読み下し「甲府市史」〕
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最終更新日
2021年09月14日 15時18分24秒
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