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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年10月27日
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カテゴリ:俳諧人物事績資料

万治 元年(一六五八)

書 『鸚鵡集』『尾張八百韻』『拾玉集』『俳諧進正集』

参 七月二十三日改元。

七月、中川暮雲『京童』刊。

 

万治 二年(一六五九)

九月、胤及『飽屑集』刊(跋)、中国地方俳書の嚆矢。

この年、風虎、発句初見。

江戸において諸流に門戸を開き文学サロンを形成。

書 『伊勢俳諧新発句帳』『捨子集』

『貞徳百韻独吟自註』

『満目集』

 

万治 三年(一六六〇)

七月、『境海草』刊、堺俳壇撰集の嚆矢。

重頼『懐子』で、本歌本説取りの新風を掲げ、

宗因の謡曲調を紹介。

一二月、宗賢ら『源氏鬢鏡』成、俳家系図の嚆欠。

万治年間、河内国の重興、雑俳の起源となる六句付創案。

書 『歌林鋸屑集』『木間ざらひ』『新続犬筑波集』

『誹諧画空言』『俳仙三十六人』『百人一句(重以編)』

『慕綮集』『和歌竹』

参 一九月、内海宗恵『松葉名所和歌集』刊。

一二月、大蔵虎明『わらんべ草』成、

能と狂言を連歌・俳諧の関係に譬える。

このころ、浅井了意『東海道名所記』成。

 

寛文 一年(一六六一)

この年、在色、江戸へ下向、忠知に俳諧を学ぶ。

書 『烏帽子箱』『思出草』『天神奉納集』『へちま草』

『弁説集』『水車軏・水車集』

参 四月二五日改元。

 

寛文 二年(一六六二)

この年、西鶴、俳諧点者となる。

書 『伊勢正直集』『雀子集』『旅枕』『俳諧小式』

『初本結』『花の露』『鄙諺集』『身楽千句』

参 二月、伊藤仁斎、京に古義堂開設。

 

寛文 三年(一六六三)

八月、一雪、『俳諧茶杓竹・追加幅紗物』刊、

『正章千句』を攻撃。

貞室側は翌年六月刊『蝿打』で反撃する。

書 『埋草』『尾蝿集』『木玉葉』『早梅集』『貞徳誹諧記』

『誹諧忍草』『俳集良材』『破枕集』

参 五月、「武家諸法度」に殉死禁止を加える。

 

素堂関連年表(素堂と親しい人の動向)明暦元年~

 

◇明暦 元年(一六五五)

北村季吟が俳諧の奥書「俳諧理木」を著す。

(季吟は延宝三年、素堂を招いて、京都にて「歓迎百韻」を催す)

○山田宗偏が小笠原家の茶道指南となる。

(素堂の友人、「今日庵」の掛軸を素堂に贈る)

●宗偏の茶書数点に素堂は序文を書す。

 

◇明暦 三年(一六五七)

一月、江戸の大火。林家の文庫類焼し

「本朝通鑑」焼ける。同月林羅山没七十五才 

 

◇万治 元年(一六五八)

北村季吟、立机と云う。(明暦元年鋭もある)

○幕府儒官人見竹洞(林家に於ける素堂の先輩)

が京都に赴き石川文山に面会する。

◇内藤義概(風虎・素堂はここで様々な俳人に出会う。

また「目に青葉」の句は、

内藤家菩提寺の光明寺裏山から詠んだ句と思われる)

「御点取俳諧」をこの頃から始めたか。

俳諧指南には高島玄札・石田未得・野々口立圃等が当たったか。

○十二月、千宗旦京都「今日庵」にて没す。八十一才。

 

**万治 三年(一六六〇)

一月、甲府の大火。柳町より魚町まで焼失する。

(山口屋も焼ける)

◇風虎、父忠興に従い大坂に行く。

(五月~十一月)松江重頼と接触か。

 

**寛文 元年(一六六一)

八月、甲府城主に徳川綱重なる。江戸に在住。

◇風虎、季吟と書簡応答で接触。

○林春斎、江戸のト祐の板行「土佐日記」に序を寄せる。

◇季吟は日記に批判を記す。(十月十一日条・季吟日記)

 

**寛文 二年(一六六二)

「裏見寒話」に甲府の「町々も暖簾も成し云々」の記述を著す。

編者は野田成方、享保九年、甲府勤番赴任。内容は甲斐国見聞記。

◇西山宗因、内藤風虎の重ねての招請に応じる。

 

**寛文 三年(一六六三)

十二月、林春斎の家塾に幕府より弘文院号が与えられる。

 

**寛文 四年(一六六四)

二月、宗因は江戸に風虎を訪ね、その後九州に赴く。

○十一月、幕府は国史舘を忍岡に置き、

春斎に「本朝通鑑」の続修を命じる。

▼芭蕉、二十一才、松江重頼編『佐夜中山』に

「松尾宗房」の名で二句入集。俳書への初入集。

○元政「扶桑隠逸伝」を刊行する。

(素堂の憧れ。かれは母を連れ身延山詣でに甲斐に来ている。)

 

**寛文 五年(一六六五)

松江重頼、秋に風虎を磐城に訪ねる。

▼芭蕉、二十二才 十一月十三日、

蝉吟主催の「貞徳翁士二回忌追善百韻」に一座する。

連衆は、蝉吟・季吟・正好・一笑・一以・宗房、

(ただし季吟は脇句を贈ったのみ。)

◇大坂天満宮連歌所宗匠西山宗因、初めて俳諧に加点。

三月、似船、『蘆花集』を刊行し、以後京俳壇で活躍。

一一月、『雪千句』刊、宗因を大阪俳壇の盟主に据える。

芭蕉、蝉吟主催貞徳翁一三回忌追善百韻に一座。

書 『書初集』『小倉千句』『小町躍』『西国道日記』

『四十番俳諧合』『天神の法楽』『俳譜談』『都草』

『連歌新式増抄』

参 七月、諸大名の人廃止。この年、山鹿素行

 

**寛文 六年(一六六六)

『山鹿語類』成。

三月、西鶴、可玖『遠近集』に初入集。

九月、重徳『誹諧独吟集』刊。

重徳は、以後俳諧出版書肆として新風を援助。

書 『東帰稿』『正友千句』『名所方角抄』『夜の錦』

歿、蝉吟二十五才。

参 三月、了意『伽婢子』刊、怪異小説流行を招来。

内藤風虎の『夜ノ錦』集成る。

●四月二十五日、蝉吟没する(二十五才)。

▼芭蕉発句 

二十三才、内藤風虎編『夜の錦』に発句四句以上入集

(『詞林金玉集』は『夜の錦』より引用)。

  年は人にとらせていつも若夷    (千宜理記)

 ・年や人にとられていつもわかゑびす (詞林金玉集)

   *号 伊州上野松尾氏

京は九万九千くんじゅの花見哉   (詞林金玉集) 

  花は賤(しづ)のめにもみえけり鬼莇(詞林金玉集)

  時雨をやもどかしがりて松の雪   (続山井)

   *号 伊賀上野松尾氏 宗房

 ・時雨をばもどかしがりて松の色   (詞林金玉集)

 ・この項『芭蕉俳句集』中村俊定校注 岩波文庫刊

 






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最終更新日  2021年10月27日 06時56分07秒
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