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2021年11月02日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
武田勝頼の家督
「甲陽軍艦」品第五十 勝頼公の家督
(『甲陽軍艦』原本現代訳 発行者 高森圭介氏)
天正元年(1573)勝頼28歳
元亀四年は天正元年(一五七三)に替わる。
◇信玄の死の伝播
そこで天正元年四月十二日に信玄公が御他界なされたにつき、その年五月から勝頼公が統治にあたられた。しかし他国の諸々の敵勢、越後の謙信、岐阜の信長、浜松の家康、そのほか関東の新町、足利さては飛騨越中などの小敵にまで伝わって、相州の北条氏政公は信玄公の旗下にあったけれども、法性院殿(信玄)御他界を聞いて、即座に敵討するといったようなので、諸国へ対処のため、信玄公の御他界を隠して御病気とだけ言い伝えていた。
◇本格的な合戦は、川中島合戦と味方ケ原(三方)合戦
百年このかた本格的な合戦といってもそんなにはない。しかも二度の本格的な合戦ということになると、永禄四年の信州川中島合戦と遠州味方が原(三方)合戦、この二度の合戦である。北条氏康公は河越において上杉管領八万余りの軍勢に対して、氏康が八千の軍で勝ちなされた夜軍があるが、これは敵が油断したからである、そうでなければ、どうして八万余の大軍が八千の北条勢に敗れるなどということがありえよう。
◇姉川の合戦
下総の国府台(姉川)においても、氏康公は安房の里見義弘に勝ちなされたけれども、これは義弘が最初に勝ち、その油断のところを氏康が攻めかかって幸運をもたらしたものだ。このように、出し抜いたり、あるいは連合して小身な敵に勝ったり、あるいは堀をほり、柵をはりめぐらし、内輪もめから謀叛をおこさせ、旗下の配下の侍に合戦の途中で寝返りさせて敵対させたりする。そんな無理な勝利で相手を破っても、負けたとは心から思わぬものだ。世間でも真の勝負とはみなさない評を下すのである。
◇真の合戦とは
国持ち大将たちが、敵味方ともに二、三万の軍勢で、白昼に合戦に参じて、両軍勢がともに他国からの加勢はあったにせよ、総大将はそれぞれ一人ずつで、堀・柵・川・裏切りといった小細工なしに、軍勢そのものが鑓を合せて勝負をする。そこで決着をつけるのを真の合戦というのだ。
この点からどの合戦が本格的かと考えめぐらしてみるに、それが川中島合戦と味方ケ原合戦なのである。両度ともに信玄公の御勝利であった。敵味方ともに二千三千の軍による勝負は、あちこちの国で、それこそ数えきれぬほどあるであろうが、そういうのは大合戦とはいわない。大合戦でたければ、世間では取沙汰しないものだ。信玄公の御勝利となった相州三増の合戦も、氏康公、氏政公の父子が到着なさらぬ以前に、北条家の先鋒だけを斬り崩しなされての勝利だから、本格的な合戦だとはいいきれない。
北条陸奥守(氏照)、安房守(北条氏邦)、助五郎(北条氏規)といったそれぞれ北条家一門の軍勢ではあったが、大将の氏康父子が戦場に着く以前のことだったからである。(中略)
◇浅深表裏の十ケ条
信玄公の御他界以後は、万事にわたり、長坂長閑・跡部大炊助の両人が、勝頼公をお諌めになっていることゆえ、申し上げたい。大身小身ともに、常にお考えになるべきことが五ケ条、深浅合せて十ケ条がある。
◇慈悲深く、欲を浅く。ただし大名が乱国を攻め取られること、小身の人が忠節忠功の奉公によって所領を得ることは欲深いことではない。欲とは邪欲のことである。慈悲といっても罪を犯した者までもあわれむという意味ではない。
◇人を深く思い、自分には浅く。
◇忠節忠功の奉公の心がけを深く、自分の要求は浅く。
◇遠慮して、礼儀を深く、遊山や遊興は浅く。
◇人を使うには穿くを深く、折檻は浅く。
◇国持ち大名の慈悲
第一に国持ち大名であって慈悲を知らぬものは、やたらに欲深い。理非もわきまえず欲深いと、その下にある立身した家臣たちも邪欲に固まり、土産や賄賂にふけり、自分に進物を贈る者を考えなしに取り立てて、諸奉行または諸役職の地位につける。するとその連中は、上の者にならって、国法、軍法に背いても自分の機嫌をとる者は罰せず、法外なえこひいきを行なって、罪のない者も妨害して倒し、大将が危機に陥っても知らず、ちょうど上杉憲政の家中のような、汚れた心根の連中ばかりが多くなる。
◇ 国持ち大名の心得
第二に、国持ち大名が、人を浅く、我が身を深くかばっておられるようであれば、重臣の人カをはじめ家中すべてが互いに功を誇り合って自慢し、たいした証拠もないことをお互いにほめ合い名誉とするから、国をあやまるものである。
その上、民衆の困窮も知らず、下々の苦労も知ろうとしないから、あえて、すべきでない戦などを起し、ついその家中を減してしまうのである。
◇武士の忠節忠孝
第三に、国持ち大名が大切に崇敬しておられる武士たちに、忠節忠功の心がけが浅いならば、その家中は下々の者どもまで主君の御ためを思わず、手柄もたてずに所領ばかりをほしがる。大剛ですぐれた武士をも、小身であればなんの根拠もなく悪く非難し、たとえ臆病者でも親から多くの所領を譲られて金銀、米、銭を持っている分隈者でさえあれば、侍であればいうまでもなく、町人や地下人(百姓)でもほめそやして、よい証拠もなしに、功労者のように言って扱う。
そこで裕福でさえあれば、町人までがのさばって、武勇すぐれた侍のいる席で武芸の雑談をするなど、皆無礼きわまる振舞いが横行し、かくてすぐれた武士は次第に見捨てられ、その国、その家中は戦に弱くたるものである。
◇武士の遠慮と礼儀
第四に、出世した重臣たちが、遠慮なくて、礼儀を失うようだと、その家中の人カはすべて先のことも考えずに遊山にふけり、身辺を飾り、恥を知らず、毎日の暮しにこと欠くようになっても恥とも思わず、国法を無視する者が多くなる。
争いごとが起こり、あやまちを犯し、あるいは死ぬ必要もないことでむやみに命を落す者もでる。さては昼中から強盗を働く者まで出て、政治の秩序は乱れはて、見通しの立てようもない有様となるであろう。そのもとは、活動する臣下が遠慮しないところから起こる。
◇国持ち大名の人材評価
第五には、国持ち大名が人を使うのに、人材の評価をいいかげんにしていると、知行を取るべきでない人が取り、大将が崇敬する人の親類、大身の人の親類、財産家の身寄りの者ばかりが幅をきかせ、たとえ失敗があっても有方な縁者の庇護によって、我が身がに罪赤及ぶことはあるまいと考え、さらに、どのような悪事を働いて、もしもわが身に罪が及ぼうとも、千に一つも命に心配はないと考え、国法にそむくのをなんとも思わなくなる一方有力な親類もなく、しかも分別のない人々はこれをみてりっぱな人の身よりでさえ、あのように法にそむくのだから、我らのような下の者が大将のために尽くす必要はさしてないと心得、法にそむくことが多くなり、法度はあってもさまざまな悪事が起って、紛争の絶え間がなくなるであろう。
以上の五ケ条、裏面と合せて十ケ条である。これをよくよく分別いただきたい。
 





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最終更新日  2021年11月02日 19時09分04秒
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