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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年11月09日
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カテゴリ:小林一茶の部屋

 
 





 小林一茶 性交の記録  『七番日記』『九番日記』 より

 

   『国文学』大場俊助氏著

一部加筆 山口素堂資料室

 

はじめに

 

一茶の日記には、自己の性交を記録してある。これはわが国はもとより、世界のいかなる作家に。もみられないことである。これは異常ということではなく、自己のなかに人間を探究し、真に自己の真実に肉迫したものでなければ、できないことである。この点だけでも、一茶は世界に比類のない特異な作家である。ここにはその性交の記録をぬきだし、それにかかわる夫婦の記事についてしるす。

 かれの年次的な句日記は、かれの独創によるものではなく、たとえば芭蕉の門人、伊賀の服部土芳の庵日記・横日記などのように、俳人の間におこなわれていたものであるが、直接には夏目成美の句日記にならったものであろう。

 

又よかりにたへたる恋といふをこれも男、

    しきたへの枕はつしつ乱髪

      なく声高み死ぬといふ也

又ある時かたみに気をやりて後飯より、

    玉の汗に猶やり水の音そへて

      はらとくにつつみうつ声

これを聞て女

    鼓うつこゑをしひとのとかめなは

     ひきはなれっシ狸寝にせん

亦ある時こよひもしのびて通ひ来らんと

契り置けるに其夜は父母の夜更る迄

いねざりければえゆかさりけり。

つとめて男のかたより

玉づさもて恨みいひおこしつ。

女の方よりもせうそこして

たがひに文のはしに歌よみてやれりける。

   よべ君にへだてらるればあてがきの

     皮つるみしてうさをしのびき

女の方よりはかくこそ思ひぬとて、

   水となりしちきりはうしなみつうし

     つのもて作る玉くきもかな

夕つかた又かたみに此歌の返しを、

   わが玉のかとにもいれすよきことを

     しぎの羽根がきかきもすてしか

といひおこせり。男も又恨をふくみて、

   みつ牛の角もて作るうつはあらは

     わが玉くきも君はたのまし

 

 一茶の日記句帖は普通の日記のように、日々のできごとをあるがままにしるしたものではない。作句はまず紙片や竹本(現存している)にしるし、それを推敲して「当座帳」(その一つを湯田中の希杖に寄進したと目記にしるす)にかき込み、さらに推敲して「本帳」に書き入れる。その本帳もさらに推敲・整理・浄書を何回もくりかえしている。

そのことはたとえば七番目記の同一箇所の異なったいくつもの日記断片の照合によってもわかる。それによっても、かれはそれを日記体句文集という文学作品として刊行することを、予定もしくは予期していたことがわかる。そうでなければ、そんなわずらわしいことを、繰り返すはずはない。

しかも日記のなかの記事には、表現の動機や目的があり、文学的な表現意図を潜めているし、視点を設定したり、局面を集約したり、対照と照応をもとめて構成しているのだ。これによっても、白伝体の日記体句文集という様

式をとった文学作品であることがわかるであろう。

 かれがもし生前にこれらを刊行したら、性交の記録などによって発禁処分になったであろうが、ついに刊行されないで、稿本のまま残されたから、筆禍をこうむらずにすんだのだ。ここに引用した七番日記も九番日記も印刷されていて、たやすく千にはいる右のだから、これについて解説する必要はなかろう。

 一菜の性交の記録は、夫婦の記録の核心をなすものであるから、社会生活―家庭生活―夫婦生活へとふかめていって、そのなかに夫婦の性生活をほりさげてゆくのが筋道のようにみえるが、その交合の記録のしかたをみると、右とは逆に夫婦の性生活から夫婦生活を眺め、そこから家庭生活-社会生活をみているようである。つまり性的視点から生活を展望しているようである。そこでさきとは逆視点をとって、まず性交の記録を焦点化して性的視点を設定し、性交にまつわる俗信と、死の予感と前兆の怪事、怪夢と性衝動の関係についてあきらかにし、性交にかかかる強精の薬草採集について述べ、それから夫婦生活や家庭生活に説きおよぼすという経路をとるであろう。

 

つぎに性意識の分析の方法である。一菜夫婦の俗信と性交。怪事と怪夢などに、外からはそのころの性的陰語によって照明をあて、内からはリビドー象徴説によって照明をあて、内外二つの照射の交点に、性意識を拡大・焦点化して、その働き方を分析し、かつその状況をあきらかにするであろう。    

さてここにとりあげる性交と怪夢と怪霊のことには、真宗思想や儒教道徳がかかわり、一茶夫婦の常民的思考や民間信仰がからまって、死の予感と前兆の侵異となってあらわれてくる。そこには超心理学的な世界や潜在意識の顕在意識への投射と屈折があり、その心象の流れを追跡記述してゆくと、さながら一茶自身の「意識の流れ」小説をなし、「内的独白」の形象化をみる思いがする。

西欧現代の意識小説にはるかに先行して、このような目記休の自伝的作品が成立していたことは、驚くべきことであり、特に注目にあたいすることであるとともに、その作品の価値と意義をあらためて発見する必要がある。

-

一、鼠の怪事・交合と怪霊

 

これがまあ、終の栖か、雪五尺

 

 文化九年(1812、昭和四二年から一五五年前、一茶 五〇歳)

十一月二十四日、遺産争いについて、最後の決意をかためて、江戸から吹雪の碓井峠をこえ、故郷、信濃の柏原に帰った一茶は、雪にうずもれた、たそがれの生家の前にただずむ。

 

翌、文化十年 五十一歳、

 

親里に帰りながら、岡右衛門の借家に春をむかえて

 

よそ並の正月もせぬしだらかな

 

一月二十六日、十三年にわたる遺産争いを、最後の切札、江戸の勘定所に訴えると脅して、ついに強引に解決し、漂泊五十年の生活から郷里隠棲の生活に入る。

 

 文化十一年(五二歳)四月十一日

 

母の実家、ニノ倉の庄屋、宮沢徳左衛門のなかだちにより、野尻湖にちかい赤川村の農、常田久右衛門の女菊(二八)を娶り、一茶五十二ではじめて人なみの家庭生活に入る。

七月二十二日に柏原をたって江戸におもむき、江戸や常総の俳友に挨拶まわりをすませ、十一月の末に引退記念集「三韓人」(旅拾遺・さらば笠につぐ第三集、一茶が生前に刊行した俳書は、以上の三集にすぎない)を刊行して、十二月二十五日に五ヵ月ぶりで柏原にかえったが、暮の二十八日は「妻月水」と吹雪に、年も暮れる。

これ以後、日記に妻の月経を記入する。

 

文化十二年(五三歳)、

 

妻ありてわが家に歳旦をむかえ

 

梟よ、面癖直せ、呑み雨

 

思えば孤独にして漂泊し、貧窮の苦渋のしみついた暗いツラ癖をなおして、あかるく生きよと自己にいう。

 五月二日に湯田中。(いま湯田中温泉)で「媱羊霍採ル」淫羊藿(いんようかく)の誤り、和名イカリ草という強精の薬草で、これから強精の薬草採集がはじまる。

六月十三日に三月光日出の松井(しょうせい 葛飾派の俳友の俳号で、姓菊池氏、屋号は三好屋か、江戸久松町の商家)の書状をうけとる。去年、出府の際に頼んできた「黄精紛失申シ来ル」、黄精は和名ナルコユリという強精の薬草である。精力増進に気を配る。

七月十日、妻「月水」、

八月六日「妻ニ用アリー黄散」、女房にあの方の用があるので、黄精を原料にした精力剤を服用する。

 九月一日に柏原をたって、江戸にゆく。

十月二日「寅刻(午前四時)、未ダ夜明ケズ、久松町(いま中央区、芭蕉が晩年、閉関之辞を記した橘町のとなり町、松井の家)ニテ、

糞満々タル後架(便所)ニ、

片足踏ミ落シヌ。臭気汚レテ、

四方闇キ所ノ始末、言語ニ絶ス

と散々なていたらく。かれは後架の失敗に放尿の失策を照応させる。

十二月十日(江戸の煤払は一三日であるが)、松井の家も歳末の煤はらいだから、町で酒をのんで居酒屋から

大酔シテ出デ、店ニ帰ル。

夜丑刻(深夜二時)、

大イニ寝暑(ネボ)ケテ己ヲ知ラズ、

板ノ間ニ尿ス。

年五十三二シテ、始メテノ過チナリ」

 

酔余の不覚とはいえ、ああ、われ老いたりの感がある。

暮の二十八日、柏原に帰る。

 

文化十三年(五四歳)歳互におもう

「こんな身も拾ふ神ありて、花の春」、

自分のようなものでも、人なみに妻をえて家庭生活をいとなむ。世の中はよくしたもので

「捨てる神あれば拾ふ神あればぞ、我も花の春」

だ。

一月七日「竹阿・成美ノ三葉、鼠破ル、火中ス」、

亡師の二六庵竹阿と江戸の夏目成美の短冊三葉を、鼠が食いやぶったから、焼きすてたが、これがこの年の十一月十九日に、生涯恩顧の知己、成美が病没する前報せであった。

一月二十日に善光寺から、わが家にかえる。

  廿陰  柏原ニ入ル 隣追夜夕飯

  廿一時 墓詣 夜雪 交合

  廿二時 昨夜、窓下ニ於テ、茶碗・小茶碗、

人ニ障ラザルニ、微塵ニ破ル。

妻云ウ、性霊ノ車上匹々。

       股引及ビ慎鼻征ヲ洗フ。

 

二十日は亡父、弥五兵衛(法名・釈宗派)の逮夜だから、いつものように一菜・菊夫婦は隣にいって、継母はつ、異母弟の弥兵衛・椋夫婦(弟には子供がない、三人家族に馬一匹、宗門人別帳)とそろって仏前に看経し、夕食を馳走になってかえる。

 二十一日は命日だから、弟と小丸山の墓に詣でる。夜雪になり、妊娠八力月の妻と媾合する。すると窓のところにおいた茶碗や小茶碗が、だれもさわらないのに、骨破微塵(木端)にこわれたので、妻はふしぎなこと、ただごとではないという。翌朝、妻は昨夜の怪事におびえて農作・家事にはいている自分の股引と、一茶の褌を洗いきよめた。

 多くの怪事の記事でもわかることだが、一茶も菊も常民的思考と俗信(迷信)がつよい。これは一茶夫婦だけではなく、そのころ世間一般の傾向である。

亡父の「逮夜」と「命日」の「墓詣」-夜雪、「交合」―「茶碗・小茶碗」が「微塵に破れる」=「強震の事」という考え方には、因果論的な論理と、性霊の事と感じた神秘な感覚がある。茶碗がわれたのは結果で、その原因は妻の妊娠中の交合にある。

普段のときならまだしも、亡父の逮夜、命日の墓詣でをした夜、妊娠八ヵ月の妻と交合したから、性霊の事がおきたのだと考えている。なぜそう思うのか。

 茶碗がものにふれたなら、ふしぎではない。「人にさわらざるに」こわれたから、ただごとではない。それも二つ三つにわれたなら、それほど気にもしないが、骨破「微塵に破れた」から、気になるのだ。それもふだんのときならまだしも、亡父の面目で妻が妊娠中の交合のあとにおきたから、気になるのだ。それにしてもどうしてこういう怪事がおきたのか。

 亡父の逮夜・命日の墓詣でをすると、夜宮となり、妊娠中の妻と交合すると、突如、怪夢の事がおきた。してみると、ここにはなにか眼に見えない神秘なはたらきがある。

怪夢の事の原因は、命日の墓詣と妊娠中の交合の関係にあるようだ。神秘なはたらきは、不可思議な霊の怒りからおこると、人為を超えた事象の庶政を官視して、霊の恐怖に戦慄する。そこでその原因を反省する。

 親の命日を特進日といって、身を浄めモノイミ(潔斎)する。枕草子に、たゆまるゝものは「精進の日のおこなひ」とあり、精進日の潔斎をいう。栄華物語にも「内にはやがて御精進にて、女御・御意所の宿直絶えたり」とある。精進日には夫婦の交合を慎むのである。色里三所世帯にも「親の精進日にさへさらりとあけて」仏事をいとなまず、つつしむべき女色に耽り「親の日は朝精進して」昼

から女色にふけるとある、親の命日は夫婦の交合を慎み、身を浄め、ものいみして仏事をいとなみ、ナマグサ物(腫物・魚類)を避け、精進物(野菜料理)を食するのがならわしである。

 亡父の逮夜と命日の墓詣は、親の精進口の神聖な法事だから清浄であるべきであり(法事の神聖視と清浄感)、夫婦は身をきよめモノイミ(潔斎)して、夫婦の交合はつつしまなければならない(行為の斎戒)。その「夜雪」となったの

も、白雪のように清浄潔白であれとの知らせ(啓示)であったのだ。それをつつしむべき夫婦の交合をしてモノイミ(斎戒)を破ったこと、しかも妊娠中の交合によって出産の禁忌を犯し、法事の神聖と清浄を汚したから、泉下の霊の怒りにふれ、怪夢の事がおきたのであろうか。そうとも思えないふしもある。

 そもそも儒教では、祖先の祭祀をたやさないために、子孫をもうける性交は禁じていない。だから西端も「子孫を絶やさぬ楽しみ」という。しかし祖先の祭りをたやさないための生殖の行為は、野合ではなく、夫婦の清浄な交ひでなければならない。すでに妊娠したら、出産の妨げになる交合は慎しまなければならない。

亡父の命日に墓詣して、子を恵まれることを祈り交合したとしるすが、妊娠していることをかくしている。しかも精進日の交合は禁戒であること、さらに妊娠中の交合の禁忌を、交合の際の性 器の清潔にすりかえて、性器の清潔をおこたったから、この怪事がおきたのだとする。

そこで妻は自分のよごれた「股引」(農婦が家事・農作にはく日常着、女性の性器の代用品による象徴)と夫の「褌」(男性の性器の代用品による象徴)を洗い清めるという、代償行為をしているのだ。

 しかしその深層意識では。精進日の交合の禁戒と、妊娠中の交合の禁忌とを二重に犯したという恐怖が、軽震の事に投射している。禁戒を〈破った〉から、茶碗が「破レタ」と投射しているのだ。茶碗・小茶碗などの容器は、女性の性器の象徴である。それが骨破微塵にこわれたということには、禁戒を破った、禁忌を犯したという意識の内部には、妊娠している胎児がそこなわれるほど、はげしく交合したという意識が屈折している。実はこの怪事が、やがてうまれる長男が、生後わずかに一カ月で夭折する前兆であったと、その没後の椎敲のさいに伏線にしたのである。

 妊娠中の激しい交合によって、仏数的行事の禁戒を破ったうえ、民間信仰の禁忌を犯したから〈震の怒り〉にふれ、茶碗・小茶碗が徴塵にわれる「怪霊の事」がおきたという〈霊の恐怖〉を、交合のさいには性器の清潔を心がけなければならないのに、それをおこたったから、この怪事がおきたのだということにすりかえ(転移)て霊の恐怖におびえ、妻は性器の代用物たる、よごれた自分の股引と夫のフンドシを洗い清めるという代償的な行為をしたのである。

 

 そこで〈霊の恐怖〉と「怪夢の事」の関係である。

一、清浄なるべき精進日の法事を、斎戒を破り、交合によって汚した。

二、妊娠中の交合によって、出産の禁忌を犯した

三、交合のさいの性器の清潔をおこたったから霊の怒りにふれた

という、右の三つの意識がかさなって屈折している、つぎつぎに三段階にすりかえ(転移屈析)られてゆく〈震の恐怖〉が、潜在意識に不安の陰影を入り乱れ揺れうごかして(交錯揺蕩)いる恐怖の「原像」である。それを反射したものが茶碗粉砕の怪事で、これはただごとではないとおそれおののいて、顕在意識の鏡面に屈折した「鏡像」(鏡面像)が「妻ノ云フ、怪霊ノ事」である。俗信のふかい妻が、妊娠中の交合のあとで怪事がおきたから、霊の恐怖におびえているので、怪霊の事の実体は、霊の恐怖におびえる妻の心象に姿をあらわした映像にあるのだ。






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最終更新日  2021年11月09日 14時54分28秒
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