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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年11月20日
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中国の神話伝説から出たことば

 

改訂新版 世界の古事・名言・ことわざ 総解説

自由国民社 1999刊 

慶応義塾大学名誉教授 伊佐清司氏著

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

〔執筆に際して〕

 

中国はいろいろな古い文化を伝えてきているが、不思議と神話は少ない。

それは中国人の伝統となっている現実主義と、その中から生まれ、中国の支配階級の学問と思想を長い間にわたって支配してきた儒教的イデオロギーの制約に負うところが大きい。 

中国の古典である正統的な歴史書や聖人賢者の教えや言行をしるした経書は「怪・力・乱・神ヲ語ラズ」という孔子の教えを順守して、ほとんど神話を伝えていない。

 しかし、古代中国に神話伝説がなかったわけではない。換骨奪胎されたとはいっても、正統的史書や経書の背後にも神話の断片は認められるし、従来、異端の書として疎外されてきた非正統的な文献や民間の伝承の中に古代神話の面影を探ることができるのである。

 

   盤古の天地創造

 

『古事記』流の表現を借りて言えば、中国で

「天地とともになりませる神の御名」

は盤古である。

ただし、盤古の名が始めて見えるのは比較的に新しく、三国時代(西暦三世紀)に書かれた徐整の『三五暦記』という書物の中で、そこにしるされたところによれば、

はじめは天地が分かれず、渾沌として鶏卵の中身のような状態であった。

やがてその中で雛がかえるように盤古が生まれた。そして一万八千年経つと、澄んで明るいものが天となり、濁って暗いものが地となった。

 長い年月を眠りつづけていた盤古は一日に一丈ずつ背たけが伸びるというめざましい成長ぶりを示し、その体力で天と地を上下におしへだてていった。このようにして一万八千年たち、その成長は極点に達し、彼の背たけによっておしへだてられた天地の間隔は実に九万里におよんだというのである。

原始の渾沌から天地をおしへだて世界をつくりあげたというこの盤古の神話は、はじめ天地間か挟く、これを上下に押して今日のような状態にしたという、ポリネシアの神話などと同系列の、巨人による天地創造神話である。

 

  盤古の死体

 

天地を押しひろげた巨人の盤古が死にのぞんだとき、その吐く呼吸は風雲となり、声は雷となった。また両眼は日・月と化し、手足と体は天を支える四本の柱(四極)極)や五つの名山(五嶽)となり、血液は川、筋や脈は大地の理(きめ)となり、肉は田上に変わった。さらに髪の毛や髭は星々になり、皮膚の毛は草木と変わり、かたい歯や骨は金属や石になり、精髄は珠玉となった。またその汗は流れて雨露となり、体の中に寄生していたいろいろの虫は人間に変わったという。

別の言い伝えによれば、盤古の涙は大河となり、吐く息は風、発する叫び声は雷、そして眼の光は稲光となったという。

この盤古の死体から日月山川などの林羅万象が発生したという神話はインドのプルシア神話、北欧のイミル神話などと共通する、巨人死体化生による世界発生神話である。中国にはこの盤古を埋葬したという、何百里に達する大きな墓の伝説があちこちに伝えらていれている。

 

  混沌の死

 

渾敦は混沌とも書く。天地開闢以前の茫漠不分明カオスの状態を形容することばであるが、『荘子』応帝王篇の寓話では、その渾沌を中央の天界を支配する帝(かみ)の名前でもある。

茫漠不分明カオスの状態を形容することばでもある。それによると、

  あるとき、南海の帝の儵(しゅく)と北海の帝の忽(こつ)とが、中央の帝の渾沌のところで一緒になった。二帝は渾沌の歓待にすっかり気をよくして、

「人間の顔には目耳口に鼻、合わせて七つの竅(あな)があり、そのおかげて視たり聴いたり食べたり呼吸したりする。渾沌さんにはこれがないから、ひとつお礼のしるしに七つの竅をあけてあげようじゃないか」と相談しあい、日に一竅ずつこしらえにかかったが、七日目に仕事が終わったとき、渾沌はあわれ息絶えてしまった。

竅・忽、またあわせて竅忽は、たちまち・瞬間という意味をもち、はかなきもの、有限の生命、人間の作為・さかしらを象徴している。

 そしてこの寓話の渾沌自然の状態は、その人間的な作為・さかしらを加えることによって破壊され死滅するということを意味している。  

 

   三皇 さんこう

 

 盤古についで最古の神話的世界に出現する三人の帝王(三佳の神)を『三皇』と呼ぶが、誰をそれに当てるかは諸説まちまちである。

ほかに伏義・女媧・神農を三皇とし、またその中の女媧を祝融もしくは燧人に代置する説もあり、例の『十八史略』では、伏義・神皇・黄帝をこれに当てる。

これら諸神については以下で改めて触れることになるが、中でも女媧の人間創造・天地補修の神話は最も異色精彩に富み、他の神々にはそれぞれ人間の文明生活の創造者・推進者の役目が割り当てられている。

 

女媧の人間製造

 

『旧約聖書』らのエホバの神が土の塵で人間を造り、生命の気をその奔に吹き込んだので「人すなわち生霊となりぬ」といわれているが、女媧の人間創造も、これに似ている。

 ただし、女媧の人間製造の材料は土の塵ではなくて黄土である。それを手で丸めて人間を造るのだが、なにせ広い中国であるから、なにぶんにもたくさんの人間を造らなくてはならず、ずいぶん骨の折れる仕事であった。そこで彼女は手間省きの妙案を考え出し、まずドロドロの黄土の泥の中に荒縄をつっこみ、それを掻き回してひきあげた。すると、その縄の先からボタボタと泥が落ち、それらが固まって、人間になった。ちょっとした大量製産工程で

ある。だが、この手間省きのマスプロ人間は、はじめのていねいな手造り人間とはおのずから出来栄えがちがう。つまり、人間社会には富貴な者と貧賎な者があるのは、その製造工程のちがいが原因だというのである。

 

  女媧の補天

 

人間創造とならんで女媧の果たした大事業は『補天』つまり天空修繕の事業である。

あるとき、水の神の共工(きょうこう)と火の神の祝融が大喧嘩のあげく、負けた共工は、

くやしまぎれに自分の頭を不周山にぶちつけた。

 不周山の頂きには天を支える天の柱とそれを大地に繋ぎとめる地の綱があったが、共工の乱暴のおかげで、天柱は折れ地綱は切れ、そのために天は西北、地は東南に傾き、穴のあいた天からは大雨が沛然として降り注ぎ、河川大洪水になり、林に棲んでいた猛獣兇鳥があばれ出して人間に襲いかかるというありさまとなった。

 それを見た女媧は急いで五色の石を採り火に融かして練りあわせて、天空の大穴を塞ぎ、また海中に棲む巨大な海亀の四本の足を切りとって折れた天柱の代りとし、また水辺の芦を刈りあつめ、それを焼いた灰を積んで氾濫した河の水を塞ぎ止め、猛獣凶馬を打ち殺して、やっと地上の平穏をとり戻した。

 しかし、大地の傾斜だけはそのままだったから、今日でも中国大陸は西北が高く東南が低い。このため河川はみな東南に流れている。

 

  道祖神

 

 女媧の時に乱暴を働いて天地を混乱に陥れた水の神の共工は、いわゆる荒ぶる神で手に負えぬ乱暴者であったし、その子供や家来もみな右に倣えであったが、ただ一人、修という名の子供は、底ぬけの善人だった。さっぱりした気性の持ち主、旅行好きで各地を漫遊し、行けるところならどこへでも慨然として出かけて行くといった風だったので、彼の死後、人びとは彼を旅行の神として祭るようになった。

 いわゆる祖神・道祖神と呼ばれるのがこれである。

 だから後世では、人びとが旅行に出発する際には、道のかたわらで祖神を祭り、あわせて送別の宴を催して、一路平安を祈った。これがいわゆる祖宴・祖錢である。

 この道祖神信仰は日本にも伝来、普及していることは周知のとおりである。






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最終更新日  2021年11月20日 16時14分19秒
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