カテゴリ:歴史さんぽ
遊興漫録 清水浜臣著 巻の上 序
父ぬし世におはしまし〻(繰り返し)ほど、海山にあくがるゝくせおはして、都へも七たびのぼらせ給ひ、筥根(箱根)のいで湯には十五たびまでおはし、六浦なる金潭の入江をめでては、かしこに仮初め庵ものして、年のうちに二たび三たび遊びたまひき。大方の國々めぐり見たまはぬ所すくなかりき。おのれはおとごにて、父ぬしよはひ五十(いそじ)まり六におはしまし/\時うまれにけり。 さればみさかりの御程(おんほど)は知らす、七つになりし時、父ぬしに具して、始めて筥根の出湯に出で立ちぬ。其のほどのこと、今も猶おろ/\心にとどまりぬ。 父ぬし身まかり給ひて後、十七といふに母とじにともなひて、雨降山、江之島、鎌倉、金澤のあたり経めぐりき。 十九にて叔母刀自とともに入間の郡(こほり)田中と云ふ所に、むかしより知ろすぢありて、七日八日経たりき。これらをはじめにて、年毎のやうにこゝかしこものしつれど、老人家におはするほどは心おかれて、遠き國へは出でたちがたくて、思ひながら都をよそにのみ過しつ。老人たち失せ給ひて後は、また幼きものどものうしろみなさに見はなちかねて、今年/\と過ぎぬ。 さるにおのれよはひ四十を過ぎて四とせ五歳、そこと衰へたる事こそあらね、身にいたづくところ無きにしもあらねば、かくて又五年十年かさねゆかば老のさかそひなましと思ひて、此の春はあながちに思ひたちぬるになんありける。 もとより年ごとに十日廿日の旅ゆき、二たび三たびと思ひたゝぬ年むなし。其の折ごとにまれ/\うまのはなむけとて、歌よみおこす人どもあれど、あながちに人をつどへて別をしむ事なかりき。 こたびはおのれ思ふところありて、睦月の廿日一日を北口とさだめて、行く我もわかれを俳句とどまる友も別を惜むつどひす。其の日のありさま、人々の歌ども、猶ことものにくはしく記すべし。 おのが歌は、 言の葉の匂はぬ身にもおふけなく 吉野の花をわけんとぞ思ふ 心あるひとはとどむなこゝろざす ところは都ころはきさらが 清水浜臣 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月26日 19時12分42秒
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