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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月01日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室
芭蕉終焉記(2)花屋日記(芭蕉翁反故) 




肥後八代 僧文暁著
浪速   花屋庵奇淵校
十月四日~ 
車庸・畦止・諷竹・舎羅・何中等は、師の病気を知らず、
この道亭にいたりしに、
いたわり給う事を之道より聞侍りて、花屋にまいる。
病気不■■■につき、■訪ね人たりとも、
濫りに座敷に通る問敷と、張紙を出す。
ただし、仁左衛門に断わり置く事。(『次郎兵衛記』)
【註】
松風の軒をめぐりて秋くれぬ  はせを
毎年九月二十一日、浮瀬四郎右衛門亭にて松風の開式あり。
この一折りの俳諧、芭蕉袖草紙にあり。
扣 帳 (控 帳)
座敷人用品受取並び座敷付の道具品々覚
  戊十月四日
 机    一脚
煙草盆  二口
夜具五流
膳十人前 
釜鍋   一口・三口
茶瓶掛  二口
茶腕   十
薄刄包丁 三本
薬溜   二つ
摺鉢   一口
水嚢   一つ
盥    二口
硯一面
  帚(ホウキ) 二本
枕    五つ
竈    三口    
火箸   三
火鉢   二口
茶碗鉢  三口
薬鑵   一口
研木   一本
炭斗   一つ
油徳利  一つ
手水盥  二口
行燈   二張
提灯   二張
懸行燈  二張
  桃灯   二張
  右 
  同四日
白米     一斗
味噌     三升 赤白
  醤油     一升
薪      十束
  炭      一俵
  油      一升
  紙      一束
雑紙     一束
塩      一升
一カ月座敷料 三歩二朱  相渡
  右 仁左衛門より受双書取置
 飛脚使に申遺候。
老師一昨々夜より少し悪寒気御座候處、起居不穏候。
この道不勝手に候故、御不自由と存、取計沢而、
御道前南久太郎町花屋仁左衛門裏座敷、
綺麗閑栖に候乃條借受、この道評判に而、先寓居と定置き候、
今朝は別而ご気分無心元御様に存じ候。
医者呼申筈に候得ども、
早く木節に御容態御見せ被成度との御事被仰せ候條、
則木節に別紙遣候。此状著次第、貴雅にも早々御下り相待候。
木節御同伴候様に存じ候。随分御急可被下候。不一。
  
十月二日         惟然 支考
 去来様
猶々別紙急々木節に御届存侯。以上。
今朝の状、相達候哉と存候。
老師御事、昨夜より泄痢(洩れ)之気味に而我に一變、
夜中二十余度之通気、
これは頃夜園女亭にての、菌之御過食と相考候。
一夜之中に掌を返すが如に、
今朝より猶また通痢度数三十余度、
我等始、之道手を握り候迄に候。
此状著次第、木節同伴にて急々御下り相待候。
南久太郎町花屋仁左衛門と御尋、早々御入可被成候。
急々。以上。
  
十月二日夜子ノ時       惟 然
  去来 様
猶々、大津之衆、其外何方へも、手寄々々御申遣被成候。
木節は急に被参候様御頼申候。伊賀への常飛脚は無之。
幸羅漢寺之弟子伊勢へ越候に、今朝状頼遣候迄に候。
若し其方角より幸便も候はば、被仰遣可被下候。
 
十月三日 
廿七行。但昼夜也。天気曇る。夜半過ぎに去来きたる。
二日之朝の状、三日之朝届く。
その座より直ちに打立、伏見に出しは巳の時なりし。
それより船に打乗り、八軒屋に着きしは亥の時なりしと。
直に抑病床に参りたりしに、師も嬉しさ胸にせまり、
しばしはものものたまはざりしが、
諸國に因し人々は我を親のごとく思い給ふに、
我老ぼれて、やさしき事もなければ、
余のごとくおもふこともなく、
事更汝は骨肉を分しおもひあれば、
三ン日見されば千日のおもひせり。
しかるに今度かゝる遠境にて難治の菜薪の憂に罹り、
再會あるまじくおもひ居たりしに、
逢見る事の嬉しさよとて、袂をしぼりたまへば、
去来もしばしは於咽せしが、暫くして云、
僕世務にいとまなければ、させる實もつくさゞるに、
かゝる御懇意の御言を蒙る事、
生をへだつとも忘却不仕と、数行の泪にむせぶ。
何様売薬の効験心もとなしとて、
去来また消息をしたゝめて、飛脚使に木印につかはす。
(支考記)
 三日夜
子の時折、つゞいて木節来る。
二日出の両人の消息その夜着きせし故、大津を丑の時に立、
一得舟に乗りしかど、短日ゆえ遅く着く。
諸子に会釈もそこそこにして、直に御様態を伺い、御脈を診す。
生方逆逸湯を調合す。(支考記)
 
十月四日 
朝、木節申さるゝにより、
朝鮮人参半両、道修町伏見屋より取、同く色香十五袋取。
天気よし。この道方より世話にて、洗濯老女を雇い、
師の御衣装、其外連衆の衣装をすゝぐ。
園女より御菓子並び水仙を送る。
支考・惟然介抱。次郎兵衛とても手届かね、
之道とりはからひとて、舎嗣・呑舟と云もの来る。
按摩など承る。今日三十度余におよぶ。
度ごとに裏急後重あり。(次郎兵衛記)
 
十月五日 
朝、丈草・乙州・正秀きたる。天気曇る。寒冷甚だし。
時侯の故にや、師時々悪寒の気あり。
朝、次郎兵衛天満に詣でる。昼過ぎ帰る。
夜著蒲団又々五読、米壹斗、醤油二升、塩壱升、味噌三升、
薪二十束、炭二十貫目、雑紙三束なり。
今日師食したまはず。湯素麺二束なり。
夜中までに五十度におよぶ。(次郎兵衛記)
 
 十月六日
天気陰晴極まらず、朝の食、入麪(麦粉 麺)三箸、
前夜終夜宵寝入り給わず、暫く睡眠し給う御眼覚めより、
去来を近くに召して、
先の頃野明が方に残し置き侍りし、
大井川に吟行せし句
    
大堰川波にちりなし夏の月   翁
此句あまり景色過たれど、大井川の夏げしき、
いひかなへたりと思い至りしが、清瀧にて
    
清瀧や波にちりこむ青松葉   翁
と作りし。事柄は変わりたれど、
図説なりと人のいはん心いかがなれば、
大ゐ川の句は捨てはべらんと汝に申たり。
しかるに頃日園女に招かれて
    
白菊の目に立てゝ見る塵もなし  翁
と吟じたり。これ又同案に似て、句の道筋おなじ。
それ故前の二句を一向に捨はべりて、
白菊の句を残しおき侍らんとおもふ也。汝の意いかん。
去来泪をうかべ、名匠のかく名を借み、
道を重んじたまふ有がたさよ。
纔句一章に、さまで千辛萬苦したまふ御病■の中の御骨折、
風雅の深情こそ尊とけれ。眼のあるもの何者か、
此句を同案・同巣と見るべき。
恐ながら此句を同案・同巣など人申すものは、
無眼人と申すものなり。
その故は、比句々景情別々備りて、句意を見る時に、
三句ともに別なり。
かるがゆえに、我は句の意を目に見て、句の姿を見ず。
青苔日ニ厚ソ自ヲ無塵。
これはこれ陰者の高儀をほめたる語、
今は園女がいまだ若くして、
陌上桑の調(ミサホ)あるをほめたまひたる吟なり。
意も妙なり、語も妙なり。世人此句を見るもの、園が清節をしらん。
波に塵なしの語は、
左太仲が 必非絲與竹山清音 といへる絶唱もおもはれ、
園が二夫にまみえざる貞潔と、大井・清瀧の絶景と、
二句の間相たゝかつて、感じてもあまりありと申せしかば、
師も一睡よくおはしけり。(去来記)
 
十月七日
 朝より不相応の暖気なり。曇りて雨なし。
 薬方逆逸湯加減。また入り入麪(麦粉 麺)を好み給う。
 園女より見舞いとして、菓子等贈りきたる。
 次郎兵衛取り計て之道に送る。
鬼貫来る。去来・支考会釈す。
園女・可中・沼川来る。去来・支考会釈す。
終日薬をめさず。終日曇る。
夜になりて晴る。夜に入り人音もしづかになりければ、
灯の元とに人々伽して居たりければ、
乙州・正秀等去来に申けるは、
今度師もし泉下の客とならせたまはば、
この後の風雅いかになり行侍らん。
去来黙して居たりしが、我も其事心にかゝりしゆゑ、
二日の消息届けし故、かくいそぎ參りたり。
人々もさおもひたまふや。さあらば今夜閑静なり。
只今の體におはしまさば、御恢復おぼつかなし。
滅後の俳諧を問い奉らんとて、
静に枕上に伺いよりて、機嫌をはからひ問い申けり。
翁、次郎兵衛に助け起こされ、息つき給いてのたまはく、
俳諧の変化きはまりなし。
しかれども真・行・草の三ツをはなれず。
其三ツよりして、千變萬化す。
我いまだその轡をめぐらさず。汝等もこの以後とても、
地を離れるなかれ。
地とは、心は壮子美の老を思い、
寂は両上人の道心を慕い、
調べは業平が高儀をうつし、いつまでも、
我等世にありと思い、ゆめゆめ他に化せらるゝ事なかれ。
言いたき事あれども、息■■口かなはずと、
喘ぎ給いければ、呑舟口を潤す。
また薬をまゐらせてしづまりたまふ。
各筆をとりてこれを書く。(惟然記)
 
十月八日
天位快晴。胴不良ヘリ。京の口(?)士来る。
信徳(伊藤)より消息もて、御病態を問う。
同近江の角上より使い来る。
人々勝手の間にて、
今度の御所労平復を祈り奉らんとて、
住吉大明神に池中より人を立べしと、
去未申おくられければ、各しかるべしと、
之道・次郎兵衛は■当にて、社務林泉采女方に祝詞をたのみ、
厚く即納の品々おくらる。
    奉納
   落つきやから手水して神あつめ   木節
   初雪にやがて手ひ早かむ佐太の宮  正方
   峠こそ鴨のさなりや諸きほひ    丈草
   起さるゝ聲もうれしき湯婆哉    支考
   水仙や使につれて床はなれ     呑舟
   居あげていさみつきけり鷹のかほ  如香
   あしがろに竹のはやしやみそさゞい 儒然
   神のるすたのみぢからや松の風   之道
   日にまして見ます顔り霜の菊    乙州
   こがらしの空みなほすや鴨の聲   去来
 
大勢の集会なりければ、よろこび興じて師を慰め申けり。
木節、去来に申けるは、今朝御脈を伺具申に、
次第に気力も衰え給うと見えて、脈體悪ろし。
最初に食滞り起りし泄潟なれども、根元脾賢の處にて、
大虚の痢疾なり。故に逆逸湯主方なり。
猶また加減して心を盡すといへども、薬力とゞかず。
願わくば、治法を他医にもとめんと思う。
去来、師に申す。
即日、木節が申條尤もなれども、
いかなる仙力ありて虎口龍麟を医すとも、
天業いかんかせん。
我かく悟道し侍れば、我呼吸の通はん間は、
いつまでも木節が神方を服せむ。
他に求むる心なしとのたまひける。
風流・道徳人みな間然することなし。
支考・乙州等、去来に何かさゝやきければ、
去来心得て、病床の機嫌をはからひて申て云、
古来より鴻名の宗師、多く大期に辞世あり。
さばかりの名匠の、辞世はなかりしやと世にいふものもあるべし。
あはれ一句を残したまはゞ、諸門人の望足ぬべし。
師の言、
きのふの発句はけふの辞世、
今日の発句はあすの辞世、
我生涯云捨し句々、一句として隔世ならざるはなし。
若我辞世はいかにと聞く人あらば、
この年頃いひ捨て置きし句、
いづれなりと辞世なりと申たまはれかし。
諸法従来當示寂滅相、これは是釈尊の辞世にして、
一代の仏教この二句より外はなし。
古池や蛙とび込水の音、
比句に我一風を興せしより、初て辞世なり。
其後百千の句を吐に、此意ならざるはなし。
こゝをもって、句々辞世ならざるはなしと申侍る也と。
次郎兵衛が傍より目を潤すにしたがい、息のかぎり語りたまふ。
比語實に玄々微妙、翁の凡人ならざるをしるべし。(安考記)
 
夜に入り嵯峨の野旧・為有より柿を贈り来る。消息添う。
今日まで伊賀より音信なし。
去来・乙州申談じ、態と飛脚を差たつべきよし師に申ければ、
師の言、
我隠遁の身として虚弱なる身の、数百里の飛脚おもひ立、
親族よりとゞめけれど、心儘にせしは我過ぎなり。
今大病と申おくりなば、一類中の騒ぎ、
殊に主公の聞しめしも恐あり。
たとひ今度大切におよぶとも、沙汰あるまじとのたまひけり。
師の慮の深きこと各感心す。度数六十度におよぶ。
(惟然記)
十月九日
諸子の収はからひとして、
ふるき衣装また夜具などの、
垢つきたる不浄あるを脱かはし、
よき衣に召せかへまゐらせ申。
師曰く、
我邊端波濤のほとりに、草を敷寝、地を枕として、
終りをとるべき身の、
かゝる美々しき褥(しとね)のうへに、
しかも未来までの友どち賑々しく、
鬼録に上らむこと、受生の本望なり。
丈草・去来と召し。
昨夜目の合わざるまゝ、ふと案じ入りて、
呑舟に書せたり。
各詠じたまへ。
   旅に病で夢は枯野をかけ廻る
枯野をめぐる夢心ともし侍る。いづれなるべき。
これは辞世にあらず、辞世にあらざるにもあらず。
病中の吟なり。併かゝる生死の一大事を前に置きながら、
いかに生涯好みし一風流とは言ながら、
是も妄執の一ツともヽいふべけん。今はほいなし。
去来言、左にあらず。
日々朝曇暮雨の間もおかず、山水野鳥のこえ有すてたまはず。
心身風雅ならざるなく、かゝる河魚の患につかれ拾ひながら、
今はのかぎりにその風柳の名章を唱へ給ふ事、
諸門衆のよろとび、他門の聞え、
末代に亀鑑なりと、涕(なみだ)をすゝり泪を流す。
限りあるもの是を見ばで魂を飛さむ。
耳あるもの是をきかば、毛髪これがために動かむ。
列座の面々、感慨悲想して、慟絶して、聲なし。
是師翁一代の遺教経なり、
此日より殊更に劣ろへたまへり。度数しれず。
(去来記)
十月十日 
初時雨せり。
師、夜の明がたより度数しれず、ひとしほ微笑みたまへり。
折ふしに譫言(うわごと)ありて、とりしめなきこと多し。
木節この日芍薬湯(シャクヤクトウ)をもる。
諸子打よにり、食事をすゝめまゐらせけれど、すゝみたまはず。
梨実をのぞみたまふ。
木節かたく制しけれど、頻りに望みたまふゆえ、
やむことを得ずすゝめければ、一片味ひてやみ給ふ。
木節云、牌胃うくる處なし、死期ちかきにありと云う。
申の刻にいたって人ごこちつきたまふ。
今日は一人も食したるものなし。
(惟然記)
  





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最終更新日  2021年12月01日 06時04分55秒
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